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3.5話目:指名手配 (note・エブリスタ限定)

 十二月二十四日。父は朝から恭を探していた。昨日ドイツから届いた手紙の急ぎの翻訳を頼まねばならなかったからだ。
 ドイツ語と言えば当然水銀も堪能なはず──ということで早速診療所を兼ねた離れのドアを叩いてみたものの、出てきた先生はすでに満身創痍、年の瀬も押し迫るこの時期に目元に薄ら隈をこしらえふらふらと働いていたという。

「……さすがに気が引けたのでしょうね。あの時はありがたいと思ったのですが、何だかかえって厄介なことになってしまった。こんなに見つからないのなら、翻訳を引き受けた方がましでした」
 先生は眠気覚ましのコーヒーをガリガリ挽きながら、どんよりとした目を窓外に向けて話し始めた。
 木枯らしに窓が鳴る。木枠のささくれた出窓では、父が侯爵家から拝領したという赤い篝火花シクラメンが薄日の中にしんみりと項を垂れていた。
「すみません。父が我儘を」
「いえ、お父様も仕事ですから……寧ろお力になれなくて申し訳ありません」
 先生はすっかりハンドルの軽くなったコーヒーミルの引き出しをコトリと開けた。
「一応書生たちに心当たりを訊いてみたんですが、どれも正鵠を射るものではありませんでした。あの恭が明るいうちから浅草六区で遊ぶとは、僕には到底思えなくて……」
 煤けたストーブの上で鴨羽色のケトルが沸いている。先生はげんなりとして目頭を抑えた。

 休日の昼前に学生たちの行くところといえば確かに浅草六区が定番だ。賑やかな歓楽街の往来を歩き、活動寫眞や演劇を楽しんだ後にカフェでコーヒーでも飲みながら感想を語らう。旧弊な成りでそんな小洒落た場所へ行き、終日無表情に過ごす恭を迂闊に想像してしまい吹き出しそうになった。
 それに仮にその推理が正しかったとして、浅草六区には恭と同じ年頃の若者が溢れかえっている。隣にモダンボーイ宜しく山高帽でおめかしをした都司さんが並んでいた日には、いよいよ捜索は絶望的だろう。何とかしなくては。

「私、探してきますね。先生は少しお休みになっていてください」
「すみません……何処か思い当たりますか?」
「ええ、何となくは」
「さすが幼馴染」
 先生はストーブからケトルを下ろし、丁寧にコーヒーを淹れてくれた。熱くなった琺瑯がチリチリと鳴る。咲き広がるような芳香にすっと息を吸った。また少しほっそりとした白衣の背中がなんだか悲しくて、思わずきゅっと胸を抑えた。

「……暖かくしていってくださいね。頼んでおいて何ですが、寒いですよ。今日は」
 二人分のカップがカチャリとテーブルに並ぶ。
「はい、ありがとうございます。先生はとりあえず一旦寝てください」
「うん、そうさせて頂き……ふぁ」
 先生は拳を口元に当て、欠伸を噛み殺した。
「……失礼。よろしくお願いします」
 カップにそっと口をつける。お砂糖とミルク、もう要らないのになと心の中で一人ごちながら。
 さて、恭の行きそうな所といえば──


 ***

以上、4話目の没原稿でした。
水銀先生はよく小夜を心配していますが、同じくらい心配されているような気がします。

次回4話目は、恋文を巡る恭のお話です。
よろしければお付き合いくださいませ。
ご精読ありがとうございました!

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