見出し画像

4.5話目:夜鷹蕎麦(note・エブリスタ限定)

「ああ、それは大変だったね」
 水銀先生は屋台の湯気に眼鏡を曇らせ、くつくつと笑った。赤い提灯のあかりが高い鼻筋を残照のごとく照らしている。
「笑い事じゃねぇよ。ろくすっぽ学校行ってねぇような奴に恋文の返事を書くんだぜ。自分で言いだしたこととはいえ骨が折れら」
「そうか……まあ、お気の毒さま」
 溜め息を吐く恭を宥め賺し、先生は熱いお茶を慎重に含んだ。時刻はとうに真夜中を過ぎており、屋台に客は二人だけだった。
「そういや夜食なんて珍しいな。ちゃんと腹減るんだ、一応」
 恭は熱燗を手酌で煽りながら、仏頂面で先生を揶揄からかった。
「一応ね。最近眠気の方が強いんだけど」
「大丈夫かよ。とうとう近く召され──」
「へいお待ち」
 熱々の蕎麦が二杯、目の前に置かれた。恭は割り箸を横に咥えパキリと割った。先生は中指ですっと眼鏡を押し上げると、割り箸の先を左に向けゆっくりと上へ割った。
「全部食える?」
「半分かな。いる?」
 長くは触れていられない熱さのどんぶりから、ほうほうと出汁の香りが立ち昇る。
「ここの蕎麦、美味いのに」
 恭は器を隣に寄せぽつりと言った。
「そうだね。でも美味しさで胃の大きさが変わるわけじゃないから」
 先生の寒々しいほど白い手が箸を持つ。するすると移される蕎麦を眺めながら、恭は
「何か分かるんだけど、分からねぇんだよな……」
 と呟いた。酒気をはらんだ息を吐き後ろ頭を掻く様を、先生は小さく肩を揺すって笑う。このところよく笑うな──と恭は思った。
「水銀さん、何ならいっぱい食えんの」
「何だろうね。甘いもの……大福とかビスケットとか。ああ、桜餅も好きかもしれない」
「女みてえ」
「好きというより疲れてる時さっと糖分入れたくて。注射のほうが手っ取り早いかな」
 本気なのか冗談なのか分からない答えに肩を上げ、恭は蕎麦を啜った。
「あちっ」
「火傷するよ。江戸っ子は気が短くていけないな」
 先生は眉を顰めた。
「うるせえな。大丈夫だよ、大人なんだから」
「大人ねぇ」
 フーフーしつこいくらい蕎麦を冷ましながら、先生がぼそりとごちる。
「恋文の添削してくれ、なんて言うのかね。大人が……」
「何だよ、やらねえの」
 恭は酒を注ぎながらぶっきらぼうに尋ねる。先生はゆっくり眼鏡を外すと、観念したように足を前に伸ばした。
「……やる。仕方ないから」
 店主は先生の前にそっと猪口を置いた。
「恋文かあ。もてる男はつらいねえ。はーうらやましい」
 店主は腕組みで夜空を見上げ、それからにやにやと首を捻って煙草を吸った。
「相手のツラ見たら腰抜かすぜ」
 先生は恭の脇腹を肘で小突くと、飲みごろを少し越した燗酒を細い喉に流し込んだ。
 冬銀河、何処に在るともしれない夜鷹の星が泣いている。

***

以上、4話目の後日譚でした。
恭は都司くん以外だと水銀先生とよくごはんに行きます。利害が一致しているので…

次回6話目は、都司くんちの家業のお話です。
よろしければお付き合いくださいませ。
ご精読ありがとうございました!

▼よかったら感想お願いします *ˊᵕˋ)っ
https://marshmallow-qa.com/fybys1_ayu?utm_medium=url_text&utm_source=promotion

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?