『浮遊体 Demo Tracks』について/オオヤケアキヒロ
平素より文芸サークル『浮遊体』を応援して頂き、 誠にありがとうございます。
この度『浮遊体』は新しい試みとして、Noteに於いて連載をしていくことになりました。
これからもご愛顧とご鞭撻を宜しくお願いします。
さて、主催である虫田くんによる随筆を読んでいただけると『浮遊体』と言うサークルの活動理念について理解していただけると思うので、私オオヤケからはNoteでの連載について少々お話しさせていただこうと思う。
『浮遊体』は活動として年一度の冊子刊行を目標に、これまで計二冊の作品集を刊行して来た。手渡しや文学フリマでの販売活動という形で配布は行われている一方で、ラーメンを啜ったりスタバで茶をしばきながらのミーティングでは
「次はもうちょっと露出を増やして行きたいね」
「せやね」
などと話し合っていた。
前提としてメンバー二人ともハードな作品を好む傾向があるものの、虫田くんのエッセイ通り、当サークルは全作家、全ジャンルに対して開かれたタブー無しの“ハードコアパンク”が売りである。各自の裁量に委ねられた自由な創作活動である一方で、それ故の難産という状態が続いた。
そして時流というものも大きく影響している。新型コロナウイルスの影響はどうしても避けられず、メンバーの居住地がそれぞれ異なる県であることもあって、フィジカルな活動に大きく制限が生じたのも否めない。
書籍に関してはWebショップによる販売も検討しているが、物書きとしてコンスタントな製作・編集の取り組みとして、Noteにて掌編小説と自由な随筆、もっと気楽にエッセイという呼び方のものを交代制で毎月投稿していこう、と相なった次第である。
そして、どうせやるんなら少しメインとは違う遊び、サークルらしい特色を出してみようとなり、それぞれ何かしら思い入れのある曲をテーマとして共有する、という結論に至った。切っ掛けとしては、我々はパンクを中心とした音楽が好きと言う単純な理由からである。
パンクについては語り出すと大変キリがないのだが、基本的には
「そいつがパンクと思えばパンクだよ」
「自分がやりたいことをやるのがパンクだよ」
というノリが根元にあると思う。
もう既にロックの一ジャンルではなく、ファッションに於けるヴィヴィアン・ウェストウッド然り、DIYやストレート・エッジと言う哲学や概念に至るまで様々な新しい価値観を生み出してきた(日本文学にも町田康という大先輩が居ますよネ!)この文化の最大の美点は二つ、カウンターカルチャーの代名詞である様に既存の価値を再度問い正す、時には全否定してでも新しい価値観を求める姿勢、もう一つはその気になれば誰でも挑戦できる事だと私は思っている。虫田くんの文学に対する刺激的な挑戦も踏まえて、どうせならハードコア・パンクと言える小説を書きたいよね、と言うところから始まったサークルなので、有意義な挑戦と言えるだろう。
そしてもう一つ、敢えて二次創作的な〈曲をテーマにする〉というコンセプトだが、これは作家・小説家(末端もいい所の志望者に過ぎませんが)から音楽シーンへの敬意、そして小説というフォーマットからのアプローチをしていきたいと思ったからである。
少なくとも私は、自分が影響を受けた芸術として、小説からも音楽からも言葉では足りないほどの感動や意識の変化を受けてきた人間、一部の音楽シーン風に言えば一人のキッズ、ヘッズなので、自分ができるやり方で大好きな二つの文化に接するということをずっと望んでいた。実力を思えば時期尚早に思えるが、チャレンジする時が来たのだと思う。
以上二点がNoteでの活動を始めた動機であり、それ故メインタイトルも
『浮遊体 Demo Tracks』
と、音楽と実験性を意識したものになった次第である。
小説に関しては執筆責任を担うものとして有料公開を検討しており、インスピレーションを受けたとは言え内容に関してはオリジナルである。Twitterなどで投稿の際には告知をする予定である。その際にはYouTubeや各ストリーミングを共有する事でアーティスト諸氏を微力ながらも紹介させていただきたいと考えている。
誰かの詩を盗用したり、ダシにして金を稼ぐ様な真似は決してしない事を約束するが、
「他人の褌で相撲取ってんじゃねーよ」
「精魂込めて作った作品に対してこんな解釈/扱いをされて不愉快だ」
などと言うご意見を作者の方から頂いた際には、当然ながら誠意を持って対応させていただく所存である。
飽くまで自分自身の物語を打ち出して行く事、そして敬意を示すためである事を理解して頂きたい。
そして、それを体現するために妥協無い制作に努める事を、此処で明確に表明させて頂く。
なお、1月投稿分、2月投稿分は、各メンバーのお披露目ということで無料公開にさせていただきます。
音楽をテーマに執筆する理由がもう一つある。それはもっとロックやヒップホップを聴く様に、もっとエンターテイメントとして小説に親しんでほしいと言う願いである。
感覚的に直接触れる事ができる音楽と比べるとやはり読書は少し敷居の高さを感じてしまうが、メジャー/アングラ/古典/新進気鋭とどこまでも文字だけで紡がれた深い懐や、擬似体験と言っても過言でもない数多の作品世界の中で自分好みの作品に触れられた時の喜びは、何ら遜色無く素晴らしいものである。
そして何よりも、文を書くと言うのは歌うのと似て、誰にでも等しく開かれた自己表現である。大事なのは先ず自分から発信することであって、上手い下手は二の次で良い。しかし、もう文学も音楽も深い歴史がある分、素晴らしい作品がゴマンとあるので相応の水準が求められるが、正直な話それはある意味気のせいだと思って良いと思う。歌うのも書くのも、やってみたければやれば良いのである。
評価されるのは仕方ないとして、やってみたい、これなら自分にも出来るな、と思ったら是非やってみるべきである。音楽技術が進んだ今はもう下手なパンクバンドなんて中々いないのも事実だが、パンクは元々“敢えてやっちゃう”文化である。
何か表現してみたい、自分を曝け出してみたい、そういう人にとって執筆は労力と忍耐が必要であるものの取っ付きやすい文化だろう、何せペンと紙さえあれば誰にでも開かれている文化なのだから。スマホやPCがあれば尚更余裕だ。
紙に書き始めた何かを一つ物語に昇華させた時、きっと胸に何かしらの達成感が生まれるだろう。我々『浮遊体』は、そう言うアナタのきっかけになる場所、そして作品を提供出来たら何よりも幸いである。