見出し画像

平成に置いていく

「まゆって今○○駅で働いてたりする?」

通知欄にその人の名前を見るのは3年ぶりだった。

学生時代に好きだった人から、前触れもなく連絡が届いた。
偶然私が働いているのを近くに来た時に見かけたらしい。
たしかに、最後に連絡を取ったとき就職先を伝えていたみたいだ。LINEの履歴を遡ってやりとりを確認する。
まるで私じゃないみたいに、過去の私の文字がはしゃいで見えて嫌気がさした。

なんでいまさら。
好きだった時、あれだけ待っていても来なかったLINEがまさかこのタイミングでやってくるとは。


止まり木に止まったような恋だった。
一番好きだった人を諦め、その後に一番愛した人と出会うまでの合間の短い恋だった。
5月と6月、春と夏の間の空気や湿度ごと覚えてしまった恋だった。

私たちは偶然同じバンドが好きで、そのことで仲良くなった。
ちなみにそのバンドは2つあって、どちらも同じギターボーカルがフロントマンのバンドだ。
私は一方がより好きで、彼はもう一方の方がより好きだったけど、彼のおかげでもう一方の方もとても好きになった。

ご飯に行った帰り、まだ帰りたくなくて2人で車中で話していた時、そのバンドの曲が流れていたのを今でも覚えている。
そういえば、そのバンドのライブに行ったという彼からグッズのキーホルダーを気まぐれでもらったりもした。

彼を好きになった頃、私は来月に大学写真部の写真展を控えていた。
授業後、あるいは授業にも行かずに暗室に篭って写真を焼くのが好きだった。
セーフライトの赤い光だけが照らす中、そのバンドの曲をオーディオで流す。
写真を焼きながら自然と彼のことを考えてしまっていた。いつか私の写真を見てもらいたいなと思っていた。

彼と過ごした時の心地のいい夜風や、雨の音、交わした言葉や曲のメロディー。
それらがすべて結びついて、私の記憶の中にいたのだった。

久しぶりの彼との連絡はそれから何度か続き、秋の終わり頃に会うことになった。
「寒いから鍋が食べたい」と言うので名物のせり鍋を勧めたところ、まだ食べたことないということだったので、食べに行くことにした。

駅で待ち合わせをして、駅前の居酒屋へ向かった。

「まゆ、なんだか痩せた?」
居酒屋のテーブルに向かい合って座り、私の顔を見てそう言った彼は、スーツに身を包み顔から学生らしさが消えていても、何も変わっていない、やっぱり彼だった。
「変わらないねって言われるとなんだか複雑な気持ちになるんだよね。まゆはどう?」
私はどちらでもなかったけど、言う人によって捉え方が変わるなんてことを話したら、「そんな考え方もあるんだ、面白いね」と言われたような気がする。

それから転職の話、今の仕事の話、学生の頃のこと、好きな食べ物、休みの日の過ごし方、恋愛観、将来住みたい場所の話なんかをビール片手にあれこれ話した。

注文した料理も次々届き、期待していたせり鍋も運ばれてきた。
どうやらせり鍋というものは、せりの部分によって投入する順番と茹で時間で決まっているらしい。根っこ→茎→葉で、一番最後に入れる葉はほんのちょっと火が通るくらいでいい。しゃぶしゃぶみたいだ。
ところがせり鍋ビギナーの我々はそんなことを知るはずもなく、次々に投入してはくたくたになるまで煮込んでしまった。

「うん、せりだね」
一口食べてそう呟いた彼に、多分この日で一番共感した気がする。

最初は表面だけをなぞっていたお互いの話も、徐々に、お酒の酔いが回ったのもあって深い話になっていった。
訊くつもりはなかったのに元彼女の話をしたし、話すつもりはなかったのに元恋人との話もした。

話しているうちに思い出してきたのだが、彼はとにかく能弁な人だった。
リアクションと褒めがごく自然で嫌味がなく、なんでも興味を持って聞いてくれるから、彼にはつい色々なことを話したくなってしまう。
そして、「尊敬する」「羨ましい」など私を肯定してくれる。その言葉を受け取るたびに、調子に乗っていく自分がいる。

きっと、だから好きになった。
そして、だからこそずっと許せなかったのだ。

彼は、自分の感情とは無縁で相手を褒めることができるし、相手に感情がなくても相手が喜ぶことを言える人だ。

かつて交わした「デートしよう」や「ご飯行こう」が実現したことは今回とその前の一回、たった二回だけだった。彼の方から誘ったくせにだ。
「彼氏ができた」と伝えた時に「なんで」とがっかりした顔をしたこともあった。私のことを好きではないのに。
そんな気もないのに「今度料理作ってよ」と言われたこともあった。
「まゆに会いたかったんだよね」と言いながら、今回だってセッティングは私がした。
そういえば、私が撮った写真を彼は一度も見たことがなかった。

「まゆとは友達以上になれる気がする」

初めて会った時に言われたその一言にずっと踊らされてきたのかもしれない。

彼は何も変わっていなかった。
辛いものが好きという共通点で盛り上がった時にふと口に出た「今度は韓国料理を食べに行こうか」もきっと実現することはない。
彼と話したこの2時間弱が、途端に色褪せていく。
そもそも私は、彼を好きになってしまった私を許せなかったのかもしれない。
彼のことをどこかで肯定したかった。だから今日私はここへきたのに、何をやっているんだろう。
彼とはきっとこれっきりだ。
そんなことを、しなしなになったせりを食べながら思っていた。

その後もお酒の酔いのまま、身の上話をし続けた。私たちはすっかり鍋も平らげ、お酒もほとんど飲み終えてしまった。

「このあとどうする?」
「明日いつもより朝早いんだよね、今日はそろそろ帰ろうかな」

少し名残惜しい気もするけど、これっきりだ。
お会計をして、2人とも同じ方向の地下鉄だったから、居酒屋を出てそのまま駅へ向かった。

駅のホームで待つ間、私は聞いてみた。

「そういえば、最近あのバンド聞いてる?」
「全然聞いてなかったな。このバンドが最近好き。」

そう言ってiPhoneの画面に映ったバンドの名前を、電車に乗った瞬間に忘れてしまったけれど、それでいいと思った。


そうして私は平成の終わりの日を迎えている。
その後彼とは何も連絡を取っていない。彼から連絡が来ることもなければ、私から送ることもない。
彼とのやり取り、彼にかつて抱いていた気持ち、季節の変わり目の空気、思い出もすべて私はこの時代に置いていこうと思う。

そして、何とも結びつかないまっさらな5月を迎えたい。

#平成最後の日 #日記 #恋愛 #エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?