私は私にしかなれない
浴室の折り戸が外れてしまった。
経年劣化でなんとも立て付けが悪く、扉上部のロックが勝手にゆるくなってしまう。
こんな風に普通に使用していても突然外れてしまうことは初めてではなかった。
ここ数日も扉の滑りが鈍くなっていたので、そろそろ来るかなとは思っていた。
ため息をついて、濡れた髪のまま折り戸を嵌めようと持ち上げる。
でも非力で身長も低い私には、自分の身長よりもだいぶ高い折り戸を嵌めることは困難なことであった。
何度持ち上げても上戸車はくるくる回り、全然嵌めることができない。
下戸車はどれだけ力を入れても一向に動こうとはしないし、焦りは増すばかりだった。
何回か試してみて、ようやくカチッと音がした。
戻った…と思った瞬間、折り戸が浴室内に勢いよく倒れていった。
何かが私の中で切れた気がした。
倒れた折り戸をもう一度自らの手で起こし浴室内に打ち付けた。
洗面台の鏡の中の私と目が合う。
濡れた髪は少しだけ乾いてパサパサで、何も塗っていない肌は乾燥して、疲れ切っていた。
なんだか自分がとことん無価値な人間に思えてきて仕方なくて、涙が溢れてきた。
自分なんて生きていたって仕方ないんじゃないか。
自分で自分のことをそう思う時、いつも私の脳内にフラッシュバックする言葉がある。
それは実家のリビングのソファーに顔を埋めて泣いている、小学五年生の私が言われた言葉だ。
居間でアニメを見ていた私に「ちょっと手伝って」と母が台所から声をかけた。
その頃の私は学校から帰ってくればアニメやゲーム、もしくはインターネット三昧で、家事にはさっぱり興味がなかった。
きっと普通の小学生の女の子というものは、率先して母親の料理の手伝いをしたり、もしくは一人で料理を作ったりするのだろうし、きっと母も私をそういう家庭的な女の子に育てたかったのかもしれない。
とはいえ、家庭科の調理実習は嫌いではなかったし、母から手伝ってと言われればたまに手伝っていたので、料理が嫌いというわけではなかった。
それなのに、その日の私はまるでダメだった。
台所に向かい手を洗って準備万端になった私は、「卵を割り入れておいて」と母から卵とボールを渡された。
今日は何を作るの?とかなんとか聞いたような気がする。
卵をいつもと同じように調理台にコンコンと打ち付ける。
しかしなぜかその日は手先のコントロールが上手くいかなかった。
勢いよく割れてしまった卵。
調理台の上にはバラバラに割れた卵の殻と、ドロドロに崩れた黄身。
白身は台をつたい、床にも零れ落ちていた。
失敗した。
こんな簡単なことすらできなかったこと、卵を無駄にしてしまったこと、母のお願いに応えられなかったこと、その悲しさと悔しさ、情けなさでいっぱいになり、泣き出してしまった。
「あんたは卵を割ることすらできないの!もう何もしなくていいからあっちいってて」
卵を割ることもできない私。
そうだ、私は。
こんな簡単なことすらできない人間なんだ。
その言葉は大人になっても私を縛り付けていた。
外れた浴室のドアを嵌めることができない私。
PCとWi-Fiの接続がうまくできない私。
部屋の中でさっきまで扱っていたスマホすら探すことができない私。
仕事がうまくいかなくて、締め作業をしながら泣き出してしまう私。
仕事のストレスを和らげるために、休みの日は寝たきりになってしまう私。
未だに私はソファーに埋まって泣き続けることしかできない、そんな人間なのだ。
ああ、情けないなあ。
そんな私の姿が、映画の中の彼女の姿に重なった。
過眠症でバイトの面接があるのに起きられない寧子。
スーパーで買い物もロクにできない寧子。
落ちてしまったブレーカーを自分で戻せない寧子。
恋人に八つ当たりをしてしまう寧子。
バイト先の人と分かり合えると思い始めていたのに、やっぱり分かり合えなかった寧子。
アイロンがけをすればするほどシワシワになっていくように、自分のしたことで心の中がぐしゃぐしゃになっていく様がまるで手に取ったように分かってしまって、映画を観ながらずっと心が痛かった。
生きてるだけで、ほんと疲れる。
そうだよね、私もそうだもの。
私も私と別れたいよ。
でも私は私と別れることができないのだから、私と生きるしかないんだよね。
津奈木の前で踊る寧子のシーンが美しくてずっと心に残っている。
私と生きることをいつか私は受け入れていきたい。
こんなに情けない私にとってこの映画を思い出すことが救いになれた。
寧子は私に寄り添ってくれているのだと。
小学五年生の私は未だに埋まって泣き続けたままだけれど、いつか大人になった私が彼女に寄り添える日が来るのかもしれない。
今の私ではまだまだ力不足なのだけれど、いつか。
ということで、誰か私の家の浴室の折り戸を直してください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?