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075 人目を気にせず自分本位に楽しめばよい

創造とは「人目を気にせず自分本位に楽しむこと」だと思っている

「今ここ」にあるものを材料にして、インスピレーションのままに手を動かすことが、そのまま創造になる

ホントかよ?と感じた人もいるだろうけど、子どもの頃の体験をいくつか思い出せば「確かにそうだった」と納得するんじゃないかな

ありあわせの材料でものづくりしたり、石や葉っぱや樹の実を使ってごっこ遊びしたり

このような創造法をブリコラージュと言う

文化人類学の知見によると、それが「人間本来の知の在り方」だそうだ

だからなのか、ブリコラージュをしている最中の気分は「没頭」であり、「楽しい」である

今やっていることが着想のヒントになり、さらなる着想を生み出す

そしていつしか思いもよらなかった成果物を生み出す

ブリコラージュとは何か?

改めてブリコラージュを説明すれば次のとおり

設計図のある一般的なモノ作りとは違い、あり合わせのものを使い、直感のままに試行錯誤しながら創作すること

この創造法、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースによると人類が古くから持っていた知のあり方(野生の思考)だそうだ

彼によると、世界各地の呪術や神話における思考の特徴的なパターンもブリコラージュによるものだと言う

たとえばどこの民族の神話体系も様々な神々や英雄のエピソードの集まりで、きれいに一続きにはなっておらず系図も複雑になっている

なぜこうなるのかと言えば、先行する民族や隣接する民族の神話を引用しながら形成されたために、神話体系が寄せ集めの状態(ブリコラージュされた状態)だからである

言われてみれば、日本の神話も、ギリシャ神話も、おっしゃるとおりな気がする

古い宗教は神話が基に形成されできることを考えれば、宗教はブリコラージュの産物と言えよう

この観点で周りを見渡せば、我々の周りにあるものすべて、その起源はブリコラージュかも知れないと思えてきた

アートの世界におけるブリコラージュ

ブリコラージュはアートの世界によく使われる

視覚芸術においては、ジャンク・アート、アッサンブラージュ、コラージュなどが分かりやすい例だ

音楽においてもブリコラージュはよく使われる

ヒップホップやクラブミュージック、古くはジャズ、サイケデリック、ヘビメタ、パンクロックなど

これらは様々な音楽分野、楽器、思想、ファッションなどと融合しながら変化している

この新しい作品を聴いたアーティストは、それを着想のヒントにして、さらなるブリコラージュで新たな作品を生み出している

もちろん視覚芸術も音楽も「誰かに観てもらう」「誰かに聞いてもらう」が目的にあるから、純粋なブリコラージュ(野生の思考)かと言えば微妙だ

ブリコラージュとは対極のエンジニアリング発想(設計図どおりに組み立てる)も見え隠れするからね

ただし、ブリコラージュをやったことある人なら分かると思うけど、たいがい最初の設計図と完成形はまったく異なるのが常

自由な創造においては、設計図さえもブリコラージュの材料に過ぎないということだ

そう捉えれば、創造プロセス段階でどれだけブリコラージュできたか?

そこに工業製品とアート作品の違いがある

創造は人目を気にしない試行錯誤から生まれる

話は変わるけど、現代人の特徴は「人の目ばかり気にする」ことだと思う

これに対して古代の人はあまり気にしなかったらしい

なぜそれが分かるかと言えば、世界中の宗教儀式はおおよそ人目に触れずに行われているからだ(商業化された儀式は別にして)

例えば神道の宮中祭祀はほとんど人目に触れることをしない

大嘗祭に至っては1000年以上の歴史において天皇以外立入禁止で、補佐する女官以外見た人はいないとされている

宗教儀式は「自然に対する祈り」や「神に対する感謝」が目的だから、他人に見せることは考慮していないということだ

もちろん儀式と言うからに「規範」だってあるし、この先もずっと永続もさせなきゃならないから、ある程度他者の目は必要だろう

でも、そのことと誰かの目を気にするのとではまるで違う

現代人は世間(世俗)の目を気にするのに対し、宗教の視点はあくまでも神(イデア、自然)に向いている

イデアとは、この世の背景にある本質のこと。プラトンは現実世界のすべてのものがイデアに基づいて存在すると説いた。

筆者

ここにエンジニアリング発想(誰かのニーズに沿って組み立てる)と、ブリコラージュ(組み立てながら概念を見つける)の違いがある

考えてみれば、人間以外の動物はみな他人の目など気にしていない

その場その場の状況に対して、生命体としての「うずき」に従っているだけである

人間だってここまで人目を気にするようになったのはここ最近である

社会にとって有益なものを作ろう、市場ニーズに合った商品開発をしよう、と言っていた頃はまだしも

映え、バズる、炎上とか言い出すようになってからは、すっかり「人目中心主義」になってしまった感がある

自分の中の「うずき」に従うことよりも、他者から非難されないことを優先している

これはブリコラージュとは真逆の在り方だろう

カルチュラル・スタディーズ

現在、カルチュラル・スタディーズと呼ばれる潮流がある

これは、文化人類学・哲学・芸術理論・社会学・文学理論・政治経済学など、様々の知見を領域横断的に応用しながら、文化に関わる状況を分析しようとする試みだ

カルチュラル・スタディーズにおける重要なテーマに、サブカルチャーと宗教・哲学・心理学などとの関係の研究がある

私はアニメファンなので、アニメにおけるカルチュラル・スタディーズには興味がある

例えば、ワンピース、NARUTO、毀滅の刃や呪術廻戦などのマンガやアニメが神道・仏教などの宗教、神話、またはポストモダン哲学・心理学・社会学などの知見がどう使用されているかの研究成果があればぜひ読みたいと思っている

アニメファンには承知の事実だけど、マンガやアニメは、過去のマンガやアニメの一部をオマージュすることが多い

オマージュ(英語: hommage)とは、芸術や文学において、尊敬する作家や作品に影響を受け、似た作品を創作すること、またその創作物を指す語である。しばしば「リスペクト」(尊敬、敬意)と同義に用いられる。

Wikipedia

また、文学・アート・音楽、または宗教や科学などの知見を取り入れたストーリー展開もよく見かける

これも一種のブリコラージュだろう

またはアート思考の成果である

アート思考とは様々な視点・観点を足したり、掛けたり、裏返したりしながら今までにない概念や作品を生み出すこと。ブリコラージュはその具体的な手法と言える

筆者

たとえ世の中の大半が人の目を気にしたエンジニアリング発想だとしても、世の中を変えるのはブリコラージュである

だから、何かを創造したいと思うなら人目を気にせず自分本位に楽しめばよいと思う

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