空想
ある男はいった
私達は常に変わるかもしれないものを変わらないことを前提に物事を見る傾向にあるのかもしれない。
本日この場を儲けてとある経験談を語らせていただこう、ここにいる人の中でつまらなそうとか思うならかえってもらってもいい。
これがもしいこの世界事態が小説の中でたった一人の人間が思い描いたもので私の人生がたまたま選ばれただけなのかもしれない。
そんなことだとしても私は自由だ、そしてここは現実だ。
この目がそれを証明してる!ここにいるものも、例えこの世界が小説だとして、それを読んでいるそこの読者も是非最後までお付き合いいただきたい………
それはまだ、私が幼い頃の時にまで遡る
私は5、6歳のころからずっと死ぬことに非常に嫌悪感を抱いて抱いた、そのきっかけが祖父の死だった………
祖父は個人事業主で客との距離が非常に近かった。
私も祖父の家によく泊まったものでそこが自分のもう一つの故郷のような場所と同時に数少ない憩いの場となっていた。
祖父と祖母は何でも与えてくれて沢山の愛情を与えてくれたし教えてくれた。
「ねぇねぇ、父さん!」
「どうした?」
「明日だよね?おとまり」
「そうだよ」
夏休みの中旬やお祭りにはよく祖父の家に泊まりにいくのが恒例であった
当時はまだ幼稚園児の年小それくらい前のこともう数十年以上前の事で今でも多少事実とはずれはあると思うが、ほぼ、鮮明にある私の人生の中核であり実感は湧かないが事実上の記憶として十数年立っても抜け出せない。
話を戻し、当時の私は眠れない夜を過ごし父の車に乗り祖父のとこ家に向かう、その間レトロゲームやアニソンが車のなかで流れ、それを聞きながら大好きなゲームをし、父の実家に向かう至福の時間、到着までがそれなりにあり、時間もに気ならず没頭でき、現実逃避の許される最高の一時。
しかし現実はその時間があることさえ忘れさせ、己の人生の糸を自ら切らせようとする魔の手があることを忘れてはいけない。
父が「そろそろつくよ」とという言葉が至福の一時を終わりを告げると同時に天国のような場所にいけることを教えてくれる。
あいにくの雨の中お気に入りの緑色の傘をさし、祖父の家に向かう。
駐車してからほんの少しだけ歩きガラガラと手動のドアを開ける
靴をみる限り祖父は仕事中なのだろう、靴が二足しかない
「ばぁあ!」祖母と祖父に自分が来たことを主張するように声を出す
「こんばんはー!」とお互いが笑顔になり祖母とハグをして、僕はさっそうと冷蔵庫を漁りなにか美味しそうなものがないか確認するこれはもう本能に等しい行為であった。
悪気はない
それを背後に父は2階にいる父の弟の部屋に行く。
そんなことも気にせず漁ると冷凍ゼリーをみつけ「食べていい?」と無邪気に許可をえようとする、返ってくる言葉は当然イエス。「ええよたべーたべー」の一言である、次にとった行動はゼリーを食べながらゲーム機を開きまたゲームをするのである
「今度は何のゲームをしているの?」
祖母が質問してくる
「これ、最新のゲーム」と返す一見無愛想な返事に見えるが祖母は笑いながら「おお、いいね、私にはよく分からないけど凄いなー」と誉めてくれる顔には出さなかったがどこか嬉しかった。
そしてガラガラガラという音が聞こえ、足音がこっちにきて「かずき、くーん!」
君のとこだけ高い声の独特なフレーズが耳に届く、こんなフレーズを使うのは祖父だけである
「お帰り!」といい視線をゲームに移す、それくらいゲームにはまっていた。
そして父が降りてきて「そろそろ帰るわ」
「ご飯食べた?」と祖母は父に聞く
「一応食わしている、後はふろだけ、3日後には迎えにくる」
「分かった」と祖母はうなずき父はガラガラとドアを開ける少しだけがたつと車のエンジンの音が静かながら聞こえ車が去っていく
風呂にはいってから寝室に向かい、僕を挟み、祖母と祖父で手を繋ぎ寝る
翌朝
「おはよ、公園に出かけるって準備しーよ」といわれワクワクしながらゲーム機を忍ばせ準備をすまし祖父の車に乗る。
「いってらっしゃい」軽トラなので祖父と二人になる。
たまに祖母の膝の 上にのったりしたが今回は二人で隣町の公園に向かった祖父はサプライズ好きで赤信号で待ってるときとかは 「手品~じゃん!」といいアイスとかをくれる今回はグレープのアイスだった。
しりとりや色んな言葉遊びをしていると間もなく公園に着いた
当時の自分にはとても広く、色んな子供や大人がいた。
そこでふと自転車にのっている成人男性が通りかかり、自転車に興味を持つ、蛇足だが自転車の色は水色だった。
でも、なにも言わず遊び続けた砂遊びや働いてる人と何食わぬ顔で話しかけたりした。
一通り遊び終えると祖父が帰るよといい車にのった。
そしてついたのが自転車屋だった。
「どれがいい?」
と、祖父が笑顔でいう。
「え?いいの?」なにもいわなかったが恐らく自分が気付いてなかっただけで釘付けなっていたのだろう。
そして、妙に気になっていた水色の自転車を選び買って貰った
心底嬉しく家でも練習に没頭していたものだ
くる度に何かしらサプライズをアドリブでしてくれる、そんな祖父がいつなのかは不明だが、癌が発覚していた、それを父に教えられたが今一ピンとこなかったが何となく恐怖を感じていた。
とりあえずいつも通りに祖父の家に泊まりにいった10月頃の第三週土曜日前日の夜、祭りの前夜祭である。
祖父は寝たきりらしくステージ的にもギリギリ生きている段階だったのかもしれない
その日以降は何故かもう一個ある家にむかいそこで眠りについた
翌日
朝食を済ませ、祖母と一緒に祖父のところに向かう、祖父は完全に寝たきりでちょうど顔が見えない位置にあって当時の自分には悲しいとか、恐怖にとりつかれたとかそういう感覚ではなく、もう、なにも感じれなくなったことを覚えている、ただひたすら去年の頃みたいな姿が見たかった。
「早く元気になってね」私はその言葉を残し祖父がその細く弱々しい手を振り、返事をくれた
その光景が目に焼き付き今でも誰かが病気になった姿をみると思い出してしまう。
何故なら私と生前の祖父の頃の最後の記憶だからだ
そんなこともお構いなしに祭りに没頭し、楽しい思い出だけをつくり帰っていった。
いや、分からないもしかしたらもうちょい何かしていたのだろうか?
なんせ、自分の身に何が起きたかのか今ではにも覚えていない
人はネガティブな情報に弱いというのだが全くその通りである。
その日からだろう、ネガティブなことだけを焦点に生きていたので楽しい記憶はほぼ記憶にない。
そして次にある記憶は葬式での出来事である。
とある休日に制服を着てといわれ、訳の分からないまま言われた通りに制服を着て、赤い鞄を持ち、車にのる、その間、心のざわつき押さえれないことをゲームで押さえようとする。
今思えばゲームが今の私を作り、生かしていると思える、ある意味命を救った存在なのかもしれない。
そして、たどり着いたのは式場だった、数珠を渡され、会場に向かう勿論当時の私はそんなことは知らない
その光景は奇妙なほど綺麗に並べられた椅子に祖父の写真が見え、下にはみたことないくらいの長い箱があった、臭いも当時まで嗅いだことのない線香の臭いらしきもの。
とりあえず父と一緒に箱のもとに向かう、そこにあるのは紫色の紐の束が2つある扉だった。
父に開けてご覧といわれて紐を引っ張り開ける。
そこには透明やフィルター越しに綺麗で生気ののない眠った祖父の顔だった………
すると、視界はどんどんぼやけ、なにも受け入れることが出来なかった。
葬儀の間も大号泣の記憶しかないそして気がついたら家にいた。
母は「おじいちゃんのお骨を取りに行くよ」
といわれたが、顔を横にふり、しばらくしたあと車の音沙汰が消えた
ここでの記憶はなにもないただひたすらなにもしてなかった………薄暗いリビングの中、聞こえて来るのは季節外れのセミと息の声、見えてくるのは祖父との短い思い出、その日の最後の記憶はとても冷たかった。
ここは現実である。
一度死んだものは現在も死んでいる過去は所詮認知の世界でいくらでも変えれる。
真実や事実というのは現在にある全ての出来事。
今にある過去の遺産はかえれないが、残された者が今に出来ることは誰も変えてはいけない過去を持ち続け、かつていた存在を認知の世界で少しでも長生きさせることなのかもしれない。
なにも歴史に名を刻めとは言わない誰かの中でそっと生き延びるたったそれだけでも幸せを祈る行動だと私は信じる……