還暦を迎える父親
自分の父親が還暦を迎えた時、どう思いましたか。僕はちょっと引いてます。いや、60歳って。
自分が唯一くらい自慢できるのは家族仲の良さなんですけど、幼少期は父親が怖かったです。というか、あんまり好きじゃなかった。
今は尊敬してるし、可愛い奴だなくらいに思ってます。そんな愛する父親について酒飲みながら綴らせていただきます。
白土三平を小学生に読ませる
コロコロコミックとか読んでた小学生低学年の頃、お前にこれを貸してやろうと父親が貸してくれたのが白土三平の忍者マンガだった。
「サスケ」とか「カムイ伝」を最初に読んだ気がするが、まぁ暗い。サスケなんて序盤わりとポップだったのに終わり方酷すぎだったし、「カムイ伝」は一部の絶望感がすごかった。
忍者マンガといえば白土三平と擦り込まれた弊害で、NARUTO読めなかったからな。読ませるのもう少し大きくなってからで良かったんじゃないか。
ただ、おかげでバッドエンドに耐性できました。
ドラゴンボールが好きすぎる
小学生に上がる頃、全巻を当時の友達から借りたのだが、一番ハマっていたのは父親だった。
あの頃、毎年のように上映されていたドラゴンボールの映画に父親が連れて行ってくれたが、今思えば僕のためではなく自分が観たかっただけなんじゃなかろうか。
実家を出てからある日の日曜の朝、僕は仮面ライダーを観たかったのだが、ドラゴンボール改にチャンネル合わされ、それを母親に愚痴ったら「あの人、録画もしてるしマンガ版も買ってるよ」と告げられ笑った。
あと、何年か前のABC-Zのコンサートで、MC中に河合くんが突然ドラゴンボール改の話をし始めて会場にいた人のほとんどが置いてけぼりになったことがあった。それで父親に「今なんかアツイ展開なの?」と聞いたら興奮気味にストーリーを話されめっちゃ引いた記憶がある。
一番わけわかんなかったのは、リビングで間接照明を灯しながらジャズを流しドラゴンボールを読んでいたことだ。どの回にジャズが合うんだよ。
最近は通勤中にAmazonプライムでドラゴンボールのアニメを観てるらしい。少年か。
プログレ大好き野郎
高校受験の頃だったか、当時は流行りの音楽しか聴いてなかったのだけど、邦楽だと歌詞が耳に入って勉強に集中できないなと思い、父親に「なんか勉強中に聴ける洋楽貸して」と言ったらピンクフロイドのベスト盤を貸された。
全然、集中できなかった。
特にELPのキース・エマーソンが好きで、1人でライブに行き、グッズを買い込んで自慢してくる可愛い一面があった。
エマーソンが自殺した時、先に知った僕が父親にそれを告げたのだが、あんなに悲しそうな顔をした父親は今のところあの時だけだ。
突然25万のギターを買う
大学時代、僕は軽音楽部に入っていた。父親はそんな僕に感化されたのか知らんが、ギターを再び弾き始めた(昔やってた。なのでギターは父親に教えてもらった)。
ある日、僕が楽器屋でベースの弦を買いに行く際、父親もついてきて、オベーションのアコギを試奏し始めた。
「めっちゃ良い音だな」と楽しそうな父親。僕は面倒だったので先に帰宅。それから1時間くらい経っただろうか。父親がどうあがいてもギターケースを片手に帰宅した。
「え…買ったの…?」
「25万。一括払い」
いや、お前どこで披露すんだよ。
今でも休日は寝室で楽しく弾いてるらしい。母さんになんか買ってやれ。
たまにカッコいい
妹が大学受験しねーとか言い始めた頃、母と妹の言い争いが日常茶飯事のように繰り広げられた。
今は仲良しではあるが、父親は我関さずな雰囲気出してたので僕は「お前なんか言ってやれよ」とクレームを付けた。しかし、返ってきた言葉は
「だって、あいつ怖いんだもん」
怒りを通り越して呆れてしまった。そのあと、なんやかんやあって妹は一浪して大学に進んだ。
僕には強気な態度取ってたのでイラっときたところはあるが、何かの話の流れで僕が「親孝行は一生できねーわ」とこぼしたら、「子どもができる一番の親孝行は親より長生きすることだから」なんてことを言われた。
なんだこいつ、急に親みたいなこと言う。いや、まぁ、親なんだけど。
最後に
酒飲みながら書いてるので、話がまとまらないのだが、要するに長生きしてくれよっていう。僕はあなたに良くも悪くもめっちゃ影響受けてるし、あたながいない未来は想像したくないっす。
まだまだ元気にしててください。実家に帰る時はいつも通り酒飲みましょ。僕が一番尊敬してる人は父さんなんで。直接は言わんけどな。
これからもよろしく。還暦、おめでとう。
この文章をお読みになられているということは、最後まで投稿内容に目を通してくださったのですね。ありがとうございます。これからも頑張って投稿します。今後とも、あなたの心のヒモ「ファジーネーブル」をどうぞよろしくお願いします。