たったひとつの事実が変えてしまうこと
紳士に見える彼は実は子どもだった。
「チャンス」という映画をご存知だろうか。1979年アメリカで公開されたコメディ映画。らしいが見終えたいま、これはコメディなのか?という疑問が残る。
とりあえずストーリーを簡単に説明しませう。
チャンス(50代白人)は豪邸に〝庭師〟として長年仕えながら暮らしていた。彼は知的障害を持っており、一度も家の外に出ることは許されなかった。しかしある朝、主人が亡くなったことで家を立ち退かなければならなくなった。
整ったスーツにハット、バッグと傘を持って家を出たが、車とぶつかり軽い怪我を負う。彼は治療のため車の主の家に招かれる。
するとそこはアメリカの経済団長・ベンの家であった。チャンスの整った身なりと、庭師としての発言がベンたちに深読みされ、チャンスは企業の経営者だと勘違いされる。
チャンスを気に入ったベンは大統領との話し合いに彼を招いた。そこでもチャンスの草木についての発言が深読みされ大統領の政治姿勢に影響を与える。
さらにさらに、大統領が会見でチャンスの発言を引用したことでマスコミ・全米中の国民がチャンスに興味を持ちはじめる———
はて、これは何を示唆しているのだろう。チャンスを取りまく環境の大変化を見ながらそう考えずにはいられなかった。
チャンスと共に豪邸に仕えていたメイド、ルイーズ(50代黒人)はテレビで取り上げられるチャンスを見ながら言った。
「やっぱり白人の国だね。この国は白人なら何でもいいのさ。何にでもなれる」
チャンスがもし黒人なら。どうなっていたかは日本人のわたしでもおおかた想像できる。
事故に遭ったとき家には招かれなかっただろう。経営者だと勘違いされることもないだろう。大統領が彼の言葉を引用することもないし、もし引用したとしても大統領はマスコミからバッシングを受けていただろう。
なにせ時代は1979年だ。黒人差別は当たり前の空気だったはずだ。
けれどこの「チャンス」はそんな人種差別への風刺よりも、わたしには障がい者差別への風刺に見えた。
先ほどの黒人のルイーズはチャンスについてこうも言った。
「あんなの読み書きも何もできない。頭の中はヌカミソだよ」
経済団長のベンをうならせ、大統領に影響を与え、国民中の興味をひいたチャンスを言い表す言葉だとはだれも思わないだろう。
それはたったひとつ、大統領たちはチャンスが障がい者だと知らないからだ。
ただ障がい者であるという事実が、チャンスをおろかな人に見せてしまう。彼の本質を知る〝障害〟になってしまう。
本当は、障がい者だと知っても変わらず彼の言葉に耳を傾けフラットに接するのがベストなんだろう。
事実、チャンス自身は草木のことを言っていようがなんだろうが大統領たちにある種の気づきを与えたことは間違いない。国民が夢中になったのはチャンスの中から生まれた言葉であることも事実だ。そこに間違いなどない。
たったひとつ、チャンスが障がい者だと知っているからわたしたち観客はおもしろおかしく思うのだ。障がい者の言葉に大統領たちが感銘を受けている、と。はたしてこれは本当にコメディなのだろうか。
人種差別を受ける黒人のルイーズさえ障がい者であるチャンスを差別している。
正直にいうとわたしも障がい者を差別している。
だからこそチャンスを見ながら「障がい者だってバレないで…!」と何度も願った。植物に詳しくて優しくてチャーミングなチャンスでも障がい者だというだけで差別されると予想がついたからだ。そんな雰囲気は1979年からあまり変わっていないからだ。
当たり前にある悲しくて変えにくい社会の空気を意識させられた作品だった。