「ノマドランド」を観て思ったこと
昨日はとにかく映画が観たい日だった。
毎日少しずつ読んでいる「ザ・ファブル」。その映画化された作品を観て、続編が見たくなったのがキッカケ。
アマプラを見ているうち、気になる作品が今月末でプライムから外れることを知った。
「めぐりあわせのお弁当」
じゃあ、それも見ようと思った。印度映画らしいという情報しかない。
印度映画といえば、どんな映画も必ず最後、エンドロールのときは全員でボリウッドダンスを踊るという印象。
実際の映画は、働く人のもとに、家族が作ったお弁当を配達するというサービスを使っていた女性。気持ちをこめて作ったお弁当が他の人のもとに間違って届いてしまう。そのことがきっかけで、二人は文通を始める……
という、とても地味で、実直な映画。余韻のある終わり方だったが、ここでいつものように踊りが始まったら,全てはぶち壊しだなぁと思った。
でも、この映画、踊りはなかった。良かった良かったw
二作品を観て、アマプラの画面を見ていたら、「ノマドランド」という映画が目に入った。これ、いいらしいよと娘が言っていたのを思い出す。
「ノマド」
それは、放浪の民という意味らしい。
つまり、ノマドランドとは放浪の民の地。
ファーンは夫に先立たれた、わりと高齢の女性。たぶん60代。
一緒に暮らそうという姉たちの言葉や旅の途中で知り合ったいいかんじのおじさんからの誘いにも首を横に振り、ひとり、バンで旅をしながら生活している。
いわば車上生活者。
若い頃は国語の教師をしていたらしい。
今は、日々の糧を得るために、アマゾンの仕分け作業や高齢には辛い土木作業、公園のトイレ掃除というような仕事をこなす。
そんな仕事でさえも、手に入ればラッキー。
お正月、感謝祭、クリスマス……といった行事も、ひとりで過ごす。
想像できないほどの壮絶な孤独と不安。
「どうしてわからないの? なぜなの?」と問いただす姉に、ショーンは静かに言う。
「……だから、一緒には暮らせない」
頑なに自分の生き方を貫き、自由を得るには……誰か他の人がいて初めてなりたつ居心地の良さは決して長くは続かないと知ること。
依存してしまった後、壊れた時の辛さを知っているだけに、なおさらだ。
あたたかな食事、やわらかなベッド、持ちつ持たれつの関係……一見、それ以上の幸福がないように思えることを捨て、日々の糧に対する不安、健康、年齢などの不安をも含め、全てを自分が納得し、生きることの孤独。
孤独という名の、自由。
過酷ではあるけれど、……そのなんと潔く純粋なことか。
車上生活を余儀なくされたアメリカの高齢者の過酷な状況を主題にした映画だったけれど。私は映画を見終わった時、そんなふうに感じた。
「孤独」というのをネガティブな言葉で捉えることのほうが多いと思うけれど、そうじゃないのかもしれない。
人は何かを引き換えに自由を得ている。……あるいは、自由をあきらめている。だからこそ、自分をだましだまし、よかった探しをしながら生きていくんだろうなぁって。
主人公の俳優以外、ほとんどが実際のノマドたちという、果てしなくドキュメンタリーに近い作品はアカデミー主要三部門を受賞という快挙を成し遂げた。監督はクロエ・ジャオという中国の若手監督(女性)。次作はマーベルの「エターナルズ」だというから、なんかすごい。
前作の「ザ・ライダー」も見たくなった。注目すべき監督!