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母との葛藤の日々③

昨日、書いていて、当時のことがまるで今、目の前で展開されているように思い出され、悲しくてしかたなかったです。

読み返すこともしなかったので、文章もよくなくって、それも落ち込む原因となりました。でも、こうして思い出すことも大事なことだと思うので、続きを書きます。

もちろん、決して楽しい内容ではないので、その点はご理解の上、お読みくださいね。



末期ガンだったというのを知ったのは、母が亡くなる直前でした。

それまで、約一年間、わたしは知らされず、ただ病気なんだと思って看病を続けました。

大学は休学しました。

父は遠方に出張することの多い仕事でしたし、弟の世話もありましたから。

本当は、お金もかかるし、大学はあきらめてもいいと父に言いました。

でも、父は君の人生に関わる大きなチャンスだから、あきらめることはない。何年休んでもいいから、勉強しなさいと言ってくれました。

今思うと、よく頑張ったなーと自分を褒めたいくらいに、毎日毎日、病院通いをしました。下の世話もしました。

大雪の降った日も休まず、行きました。雪うさぎを作って、持っていったのを覚えています。母も喜んでくれて、看護士さんに

「かわいいでしょ?娘が作って持ってきてくれたの」

と言ってくれました。その一言で、わたしはあの悲しかった母の日のことも、ミカンのことも全て許せた気がしました。

看病を続けながら、わたしは気づきました。

母はとても弱い人だったということ。

同時に、とても女らしい人だということ。

ふくよかだった体も顔も、日に日に痩せ細り、見る影もなくなっていったのに、毎朝の丁寧な洗顔とマッサージは欠かしたことがありませんでした。

父のくる日は特に念入りに身だしなみを整えていたと思います。

あんなに葛藤を続けてきた母との関係も最後……土壇場にきて、変化しました。

強い痛み止めを点滴しているせいか、頭がもうろうとなり、意識も混濁することが多くなったある日……。

いつものようにやってきたわたしの顔を見て、母は手を合わせました。

「マリア様だと思った。マリア様に見えた」と。

母は若い頃、洗礼を受け、毎週教会に通うほど熱心なクリスチャンだったそうです。叔母の話によれば、当時のイケメンな牧師さんに片思いしてただけだったそうですが(^_^);

「どうしたの?」

わたしが困って聞くと、母はわたしを怖いほど見つめました。

「わたし、ずっとみっちゃんと仲良くしたかった。普通の親子みたいに腕を組んで買い物に出かけたりしたかった……。

神様がきっとわたしを病気にして、みっちゃんと仲直りさせてくれたんだと思う。

わたしね。病気がよくなったら、お父さんと釣りに出かけたりしようと思うのよ。お父さんのお友達も呼んで、食事したりしたいなぁ」

そう希望を言い続ける母は、本当に骨と皮だけの体で。

でも、目には希望の光がありました。

不思議なもので。

亡くなる一ヶ月前まで、わたしは母が末期ガンで、余命幾ばくもないということを知りませんでした。治ると信じていました。

父はわたしが知ってしまうと、顔に出るからと教えてくれなかったのです。

そのことを告げられた時は、頭を金槌で叩かれたような衝撃に、膝から崩れ落ちました。

父が困ると思って、トイレで号泣しました。

トイレの窓から見た夜空を忘れられません。

母が亡くなって、復学したわたしは、急に心が解放されたことに驚きました。

気づかなかったんですが、常に母の呪縛があったんでしょうね。

だからなのか、亡くなった時もその後も、それほど悲しくなかった気がします。まぁ、しっかり一年間看病できたというのも大きかったです。

心残りのないほど、しっかり病の母と向き合い、濃密に過ごせたからです。

ガンというのは残酷で恐ろしい病気ですが、こうして猶予を与えてくれる優しい病気でもあります。

でも……

母が亡くなった翌年の母の日間際。

全館、母の日特集をしているデパートで買い物をしていました。

赤いカーネーションの造花がいろんなところに飾られていました。

本当にこれは自分でもびっくりしたんですが、突然、胸がいっぱいになり、トイレにかけこみました。

涙がこみあげてきたんです。

いや、それはもう……慟哭といっていいのではないでしょうか。

声を殺して泣くのが大変だった。

母との葛藤の日々、全てを洗い流すかのように、激しい感情が止まりませんでした。

考えたら……わたしっていつもトイレで泣いてますねw

その後……わたしは母の夢を時々見るようになりました。

夢の中でのわたしたちは本当に仲がいいんです。

そして、不思議なことに、母はどんどん若返って、元気に、ふくよかになっていきました。

あれ?お母さん……亡くなってなかったっけ?

首をかしげながら、彼女と日向のベンチに腰かけている夢を見たりしました。

今もたまに……一年に一度くらい見ます。もう彼女はわたしよりずっとずっと若くふくよかです。あぁ、でも、夢の中のわたしは子供のままなのですけどね。


たぶん、母の呪縛が解かれなかったら、作家にはなれてなかったと思います。

でも、先輩に一度言われたことがありました。

「美潮ちゃん、そのお母さんとの日々があったからこそ、本が書けてるんだね」と。

そうか……と思いました。

きっと、どちらもが真実なんでしょうね。


長らく読んでいただき、ありがとうございました。

もし、不愉快な点あった場合はお許しください。


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