母との葛藤の日々②
今で言うところの「毒親」だったのかもしれませんが、呼び方はどうあれ、私にとっては本当に本当に疲れる毎日でした。
それでも、結局は母が好きだったし、だからこそ、悲しかった……。
忘れられないことのひとつめ。
それは、ある母の日のことです。
わたしはお小遣いを全額使って、デパートで素敵な真っ白のエプロンを買いました。
スミレの刺繍がしてあって、おそろいのレースのハンカチも一枚添えて、きれいに包装してもらいました。
どれだけ母が喜んでくれるだろう?と、わくわくしながら家に帰ったのを覚えています。
母の日のくるのが待ち遠しかったし、驚く顔が見たかったのを覚えています。
でも、母はそのプレゼントを開封して、すぐに信じられないことを言ったんです。
「ありがとう」でも、「きれいね」でもなくって。
「レシート持ってる?」
最初、何を言われたのかわからず、キョトンとしていました。
後になってようやくわかったのは……なんと、母はそのエプロンとハンカチをすぐ返品し、別のものに交換してしまったんです。
オレンジがかった茶色のプリント柄のエプロンでした。
「こんな白いエプロン、すぐ汚れるのよ。子供はわからないわよね」と笑って言ってるのを聞いてました。
さすがに父は怒って、「そういうこと、するもんじゃない!」と言ってたのを覚えています。
でも、わたしは涙も出なかったし、そうか……考えが足りなかったなぁと、そういう意味で落ち込みました。
その晩、浴槽に浸かってしばらくして、涙がポタポタ落ちてきましたが、不思議と怒る気持ちはなかったです。
忘れられないことのふたつめ。
それは、たしか……わたしが小学5年生くらいだった頃のこと。
まだ幼稚園の弟と両親と、四人でドライブに出かけました。母の作ったお弁当を持って。
草原のようなところで、お弁当を広げて、楽しく過ごしました。
ナゾナゾをしたり、シリトリをしたり。一緒に歌を歌ったり。
ヒバリが陽気に鳴いていました。
ご飯を食べた後、果物を食べようということで、母がリンゴにするかミカンにするか聞いてきました。
父はリンゴ、わたしはミカン、すると弟も母もリンゴだと。
一瞬、胸がドキッとなりました。
嫌な予感がしたからです。
でも、まさか……こんな楽しいピクニックの時に、そんな嫌なこと言わないだろうと思い直しました。
でも、そのまさか……だったんです。
母は、クスッと笑って「やっぱりそうなのね。みっちゃん(わたしのことです)だけミカンなんだ」と。
つまり、わたしだけ仲間外れだと言いたいんでしょう。
さーっと顔が青ざめ、わたしは立ち上がりました。
さすがにそのときは怒りで目の前が歪んで見えたほどでした。
ズンズン、見知らぬ道を歩いて、その場から立ち去りました。
「馬鹿なことやめなさい! 戻ってきなさい!!」という声。
みんな車にのって追いかけてきました。
わたしは涙でぐしょぐしょになった顔を拭いながら歩きました。
その時も父が母親に何か言うよう促しましたが、母は顔を横に向け、こっちを見もしませんでした。
そうです。彼女は、謝りもしなかったんです。一言も。
この他にもたくさんたくさんありました。
中学の頃、友達と恋バナをしていた交換日記を勝手に見られ、「くだらないことばかり」とさんざん怒られました。
高校になって、ラブレターをもらった時も全部勝手に見られ、なんとその相手を家に呼びつけ説教をしたそうです。そのことをわたしが知ったのは全てが終わってしまった……何ヶ月も後のことでした。
そんな母ですが……わたしが大学に入学して1ヶ月経った頃、末期ガンが発覚。入院しました。