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子供の頃の記憶

前に、母との軋轢について書きました。
たしかに、あまり思い出したくないような記憶のほうが鮮明に残っています。わりと大雑把で楽天家の私ですが、このことはどうしてもトラウマのように残ってしまっているからです。

でも、だったらいい思い出はないかといったら、そうでもありません。
なぜか覚えてること……。
本当に小さな頃の記憶です。
たぶん5才くらいのこと。
父がバイオリンでよく弾いていた曲「ユーモレスク」。

ドボルザーク作曲、クライスラー版の「ユーモレスク」は、皆さんも聞いたことがあるんじゃないでしょうか。
それくらいポピュラーなクラシックの名曲です。
父は戦後、服や食事にも困る時代、電車代を貯め(そのかわりにものすごく長い道のりを歩き)、バイオリンの弦を買って、練習をしたんだそうです。
この「ユーモレスク」のほかにも「タイスの瞑想曲」や「愛の喜び」など、本当に美しく上品な名曲を好んで弾いていました。
毎日のことなので、わたしも耳にこびりついていて、自然と口ずさんでしまうほどでした。
ある日、幼稚園でのこと。板のスノコが置かれた渡り廊下を歩いていたわたし。その「ユーモレスク」が園内放送で流れてきたんですね。
うれしくなって、その曲を口ずさみながらスキップをしはじめました。ちょうどスキップに合う曲調ですしね!
絶好調のわたしでしたが、角を曲がる時、反対側から来た先生に思いっきりゴッチーーン!!と体当たりしてしまいました。
どこにぶつかったかわかりませんが、とにかく目から火花が散ったとはこのことで。頭の上には、カートゥーンのように白い小鳥が二、三羽ピヨピヨ飛んでました。

その時の痛さ、まぬけなこと、いろいろ相まって、渡り廊下をスキップしていく自分の足音や園内放送の音などを鮮明に覚えているのでした。

同じくらいの年の頃、よく覚えていること。
父と母に挟まれ、両方と手をつないで歩いた時のこと……。
よくブランコみたいにするでしょう?

手つなぎブランコ

これをやってくれたんです。
そんなに頻繁じゃないですけど。時々ね。
母と折り合いが悪かっただけに、これはほんとうにうれしかったですね。
あー、でも、五才くらいの頃はさすがにまだ仲良しだったかなぁ。

おかしいですね。
そっか……仲良しだった頃の記憶だからこそ、鮮明に覚えてるのかもしれませんね。
うーん、だんだん悲しくなってきますね。
それだけ母とのいい記憶がないってことかもしれません。
ただ、自分も人の親となってみて初めてわかったこともあります。どれだけ愛情をもっていてくれたか、母も手探りで子育てをしてたんだなぁということも。
でも、それは子供にはわかりません。
子供のためを思ってやったことだと、たぶん、そう言われると思うんですけどね。それって、多分に押しつけだったり、自分勝手なことなのかも。
まぁ、私自身、そうじゃなかったか?といったら、自信ないですけど。

なんてことを思い出した初秋でした。ちゃんちゃん♪

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