きちんと宣言する 『本の読める場所を求めて』全文公開(31)
第6章 店を定義する
㉛きちんと宣言する
「本の読める店」
「カフェでもブックカフェでもなく、ここは「本の読める店」なんです」と、うるさいくらいに主張するための拡張子。
主張する必要があるのは、これが生まれたばかりの言葉だからだ。「本の読める店」という言葉で一般化するのか、あるいは他の言葉になるのかはわからないが、本を読むための店がこれから広まって、もっと普通になって、そこに用がない人も含めて「ああ、本の読める店ね」と、カギカッコなしにすんなり認識できるようなひとつのジャンルになってしまったら(メイド喫茶みたいに)、わざわざ大きな声で拡張子を強調する必要はなくなる。けれどまだまだそうじゃない。だからきちんと宣言する。フヅクエは「本の読める店」です、と。
そして宣言は、事始めにすぎない。これが映画館であれば、どんな説明を加えずともほとんどの人が同じものをイメージできるけれど、「本の読める店」はそうではない。どんな機能があるのか、どんな経験ができるのか、される想像はまちまちだろうし、そもそも「本の読める店」がもたらす経験を具体的に期待したことのない人が大半であるはずだ。だから、宣言の次には定義が必要となる。
「本の読める店」は誰のための店なのか。そして「本の読める店」を「本の読める店」たらしめる具体的な構成要素は何なのか。
誰を幸せにするのかを明確に設定する
「すべての人が心地よくいられる場所でありたい」と、おしゃれなコーヒースタンドなんかがもし謳っていたら、僕は「ケッ」と思うだろう。使う豆はいかにもサードウェーブど真ん中のフルーティーな酸味の浅煎りだけで、メニューの表記もアルファベット。それも「Latte」とかならまだしも、「Flat White」とか「Long Black」とか、「Nani Kore?」となるようなものだったり。本当に「すべての人」に向けるのであればフラペチーノのような甘々な飲み物やノンカフェインの飲み物もあるのが筋だろうし、コーヒーに砂糖やミルクを入れるためのコンディメントバーも用意されていてしかるべき。もちろんベビーカーの赤ん坊も車椅子のおばあちゃんもウェルカムなんだろうな? そもそもそのスタイリッシュな外観と内装で「すべての人」が本当に近寄って来ると思ってる? 前を通っても「自分とは関係のない場所だ」という印象で終わる人たちのことはどう思っているのか。その人たちが「あの店はすべての人に心地よくいてもらいたい場所らしい」と耳にしたらどう思うだろう。
「あ、俺、“すべての人”の中に含まれず?」これは暴力だ。
と、ここまで悪し様に言わなくてもよさそうなものだが、そう思う。「すべての人」は絶対に嘘だ。どのような価値観を表明しようと外野がとやかく言うことではないが、嘘はつくなよ、と思う。その寛容さに擬態したコンセプトは人を傷つけうるぜ、と思う。
それに、門戸を広く取ることで薄まる個々の幸福も間違いなくある。1杯のコーヒーに安らぎを求めてやって来た人と、おしゃべりの時間を求めるグループの人たちの幸福は、どこまで共存が可能だろうか。たくさんの過ごし方を表面的に歓迎するがゆえに、それぞれの満足が損ねられることは、間違いなくある。
その仕事は、誰を幸せにしようとするものなのか。フヅクエは明確に定めている。案内書きにある通り、「「今日はがっつり本を読んじゃうぞ~」と思って来てくださった方」だ。その人たちの「最高の環境の実現を目指して設計・運営」している。その人たちの幸福の最大化だけを考えている。それ以外の人たちについては、考えない。読書の欲求を抱えていない人が来てくれてももちろん構わないし、来てくれた以上は悪くない気分で帰ってもらえたら双方にとっていいことだとは思うが、その人たちがつまらない思いをしたり、損をしたような気持ちになったりしても、それはサービスの範疇の外のことだから、知らない。
いくぶん排他的にも聞こえるかもしれないが、そう特殊なことでもないはずだ。映画館は昼寝をしに来た人の満足をわざわざ考えないし、「音がうるさくて寝にくい」というクレームがついても気にかけないのと、同じだ。
もちろん、多様なニーズを持った人たちを包摂することが可能ならば、それもいいだろう。でも読書はなかなかそうはいかない。本を読んでいる人たちの幸福を追求すればするほど、とても共存できないものがいくつも浮き上がってきた。これはフヅクエをやっていくなかで発見していったことだ(開店当初はもう少しいろいろなものと一緒にあることができるのではないかと思っていた。パソコンとか)。
広く浅くぼんやりと手を広げ、多様な人にまあまあ満足してもらって、その中には読書をする人も含まれる、ということではなく、「「今日はがっつり本を読んじゃうぞ~」と思って来てくださった方」にこそ向けて開く。幸福にしたい対象を明確に限定する。そうすると、どうしたら幸福にすることができるのか、具体的な手立てが見えてくる。