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なだらかな違いをつくる 『本の読める場所を求めて』全文公開(40)

第7章 穏やかな静けさと秩序を守る
なだらかな違いをつくる

『イシューからはじめよ』はベンチャー企業を経営している友人に薦められて読んだ本で、「「何に答えを出すべきなのか」についてブレることなく活動に取り組むことがカギなのだ」とあるように、「本の読める店」についてブレることなく活動に取り組もうとしているフヅクエにとっては、大いにヒントになりそうな本だった。いざ読んでみると、読書というのは往々にしてとても些細な部分が一番印象に残ったりするもので、この本でのそれは次の一文だった。

脳は「なだらかな違い」を認識することができず、何らかの「異質、あるいは不連続な差分」だけを認識する。
安宅和人『イシューからはじめよ 知的生産の「シンプルな本質」』(英治出版)p.172

これは「分析的思考」について理解を深めていくにあたり留意しておきたい神経系の特徴のひとつで、読んだ瞬間に、それまでずっと感じていたことにぴったりの説明が嵌(は)め込まれたような気持ちのよさがあった。
ちょうどその時分はパソコンの使用について悩んでいたところで、マウスやトラックパッドのクリック音やある種のタイピング音はどうしてこんなに耳に飛び込んでくるのだろう、と思っていたが、まさにこれで、「異質、あるいは不連続な差分」だからだった。ボールペン関連の音も同じで、この場所からそういう音はできるかぎり減らしていこうと、案内書きに言葉が足されていくことになった。
ここまでに何度も「静けさ」という言葉を用いてきたが、これはかなり便宜的なもので、「本の読める店」が必要としている状態は本当は静けさでもなんでもないのかもしれない。音環境によってもたらしたいことはいくつかあって、そのひとつが「たしかに本の読める状態を守ること」だ。外部からの刺激で簡単に気を削がれうる読書というフラジャイルな行為を応援するために、「異質、あるいは不連続な差分」になる音を取り除き、「なだらかな違い」にしかならない音、認識に至らない音、意味の外側で留まる音で空間を構成しようということだ。おしゃべりやパソコンがダメなのも、ペンの扱いに気をつけてもらうことも、そのための決まりだ。静けさはその結果として現れたものでしかなくて、もし新幹線内に支店を出すとしたら、静音の工夫に走るのではなく、不連続な差分のない電車の騒音をそのまま有効に使うだろう。




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