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要件を定義する 『本の読める場所を求めて』全文公開(32)

第6章 店を定義する
㉜要件を定義する

読書は外見上、音も立てず、手を動かすこともほとんどない、ささやかな行為だ。同時に、高い能動性を要求される行為でもあって、並んだ文字をひとつひとつ読み、意味を認識し、情景や論理を組み立てていかなければならない。文字が映像や音になって向こうから刺激を与えてくれることはないし、いったん立ち上がった情景も、意識がふっとよそを向いてしまったら、働きかけを続けることをやめにしてしまったら、たちまち消散してしまう(一度は消散した景色が、シャワーを浴びているときであるとかの読書外の時間にふいに立ち現れることもあり、それもまた読書の面白さだとも思う)。

このささやかで、微妙で、フラジャイルな行為。それを守ること。集中の持続が妨げられない環境を用意すること。

必要なのは、まずは、静けさだ。ただしそれは、静寂とも違う。走行中の電車内の音の大きさは80デシベルほどで、これはパチンコ店内と同じくらいだからずいぶんな騒音状態だが、読書は電車の中がはかどるという人は大勢いる。つまり読書を妨げられないために必要なのは、デシベルで表される音量の小ささ以上に、聞こえてくる音が意味を孕まず、耳や意識を奪っていかないことなのではないか。意識を奪う音。その筆頭が話し声である、ということはもはや自明だろう。

そういうわけだから、まずは静けさ。会話が生じないこと。それでいて完全な静寂とも違う、落ち着ける音の状態が形成されていること。気を散らせる音が慎重に排された、穏やかな静けさがあること。そしてそれが、約束されていること。前回は静かだったが、今日はそうじゃない、という当たり外れがあってはいけない。リスクをなくすこと。

読書への没入のためのもうひとつの要件は、気兼ねせずにいられるということだ。「がっつり本を読みたい」というとき、それは15分や30分の隙間時間でおこなうこととしてではなく、2時間や3時間、その日のハイライト、さらに言えば一生懸命に生きたこの1週間や1カ月の自分へのご褒美、みたいな特別な時間として欲望されているとここでは措定する。だから、その読書は気が済むまでおこなわれなければならない。

店で長時間を過ごすことを考えたときに懸念されるのは、「どうあれば自分は望まれない客ではないままい続けられるのか」ということだった。コーヒー1杯で何時間までいけるのか。食事どきに飲み物だけの注文でもいいのか。随時追加注文をしたほうがいいのか。満席になったとき、どうなのか。自分はこのままここに、いつまでいていいのか。いつまで歓迎してもらえるのか。

どれだけ静かで快適であっても、こういった問いが途中で生じてしまっては、そこで過ごす時間はあっという間にソワソワとした落ち着かないものにすり変わってしまう。そうしたら、もはや本の世界への没入は維持できない。「常識」や「良心」との、埒(らち)の明かない問答の時間になってしまう。そんなことは気にせずにいられる図太い人もいるだろうが、大事なことは、どんな人であっても、気兼ねをしないで好きなだけいられることだ。

穏やかな静けさが約束されていること、心置きなくゆっくり過ごせること。このふたつが、読書の時間を快適なものにするための要件だ。それが守られている限りそれは「本の読める店」であり、破られたとき、それはもはや「本の読める店」とは呼べないものになる。

要件を定義できたら、あとはただ、それをひたすらブレイクダウンし、具体的な形に実装する作業を続けていくだけだ。


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