店から見たおひとりさま 『本の読める場所を求めて』全文公開(22)
第4章 長居するおひとりさまとしての本を読む客
㉒ 店から見たおひとりさま
そのために必要なのは、店が発する明確な歓迎のしるしだろう。
「読書ですね。かしこまりました。全身全霊でサポートします。お気兼ねなく存分にどうぞ」
このくらいはっきりと感じられて初めて、結託も可能になる。だがここまで見てきたように、このような明示がされることはなかなかない。拒否はされないが、はっきりと読書の時間を応援するようなゴーサインはない。そこにはきっと理由がある。「読みたい客」の視点から一度離れて、店はどう考えるのかを想像してみることは無意味ではないだろう。読書をする人とは、店にとっていったいどんな存在なのか。
店は、継続していくに足る売上を上げ続けなければいけない。仕入原価、家賃、光熱費、人件費。走り続けるための金額を稼ぎ出すのは、簡単なことではない。飲食店の開業から3年後の生存率は30%と言われている。誰もすぐに畳むつもりで店を始めてなどいないのだから、難易度の高いゲームだということがわかる。
売上は、「席数×回転率×客単価」によって算出される。それぞれ「何席あるか」「一日の中で客が何度入れ替わるか」「一人あたりいくら払うか」で、それらの積が大きければ大きいほど売上は大きくなるわけだが、各項すべてを一律に大きくするということは、「肩が触れ合うようなギチギチの席にして、素早く利用して帰っていくようにして、高額の支払いがなされる」という想像しにくい状態だ。だから店はそれぞれの特性に応じて、どの項目を上げて、あるいは抑えて、総じて必要な金額をつくるか工夫することになる。その中でも、「席数」は変更のハードルが高い項目なので、日々の工夫の中でコントロールしやすいのは回転率と客単価だろう。
回転率は滞在時間が肝となる。飲食店経営指南の本を開いてみると、そこには「時間制限を設ける」「空いた皿をどんどん下げていく」「居心地が良すぎる店づくりを避ける」「時間短縮を意識した従業員教育を徹底する」というなかなかギスギスした言葉が並ぶ(どうも既視感があると思ったら、底なしの孤独を味わった店ですべて体験したことだった)。どんどんさっさと帰ってもらおう、ということだ。
時間制限を設けて明確に回転を確保しようと努めているのは居酒屋等のイメージが強いが、カフェや喫茶店にその課題がないわけではない。今この原稿を書いているコーヒーチェーンでも、「お客様に店舗を快適にお過ごしいただくため以下の事項はご遠慮ください。ご理解、ご協力をお願いいたします。」と書かれたシールが目の前に貼られていて、項目のひとつが「長時間の勉強やゲームによる客席利用」とあるし、以前入ったカフェでは「長時間にわたる席の占拠は他のお客様のご迷惑となりますのでご遠慮ください」という注意書きがあって、「占拠」という、席の利用自体が妨害行為であるかのような物言いに愕然としたこともあった。ともあれ、スターバックスのある店舗が試験勉強を禁止にしただとか、「長居」というのはインターネット上でもたびたび湧き上がるトピックで、僕自身もかつて経営していたカフェで「長居をされる方へ」というタイトルのブログを書いたところ大げさにバズったことがあった。多くの人が何かしら思うところがある話題なのだろう。
さて、読書だ。長居の問題のときにやり玉に挙げられるのはたいてい勉強やパソコン仕事で、読書に言及されるのは見たことがないが、それはきっとただ目立たない存在だからだろう。「今日はがっつり本を読みたい」と思ってその場所を探すときの僕たちは、はっきりと、長居する存在だ。つまりそれは、店からは回転率を下げる存在とみなされうるということだ。
回転率の増減に影響する指標として客席稼働率というものもある。これは「椅子の数と比べて実際どれだけ客がいるのか」を表すもので、「実際の客数÷満席時の席数」が計算式だ。僕は今、二人掛けの席に一人で座ってこれを書いているわけだが、仮にすべての席がこうなった場合、稼働率は50%になる。一般的には70%以上が望ましいとされるらしいから、いい状態ではない。つまり今の僕は、稼働率において好ましくない存在だ。読書をする人も同じだ。二人掛けの席は二人に座らせたいというのが、店の自然な欲求だ。
そして客単価。本を読む人は、どれだけ売上に貢献してくれる存在なのか。
以前、人の会話に聞き耳を立てていたところこんな声を聞いたことがあった。
「本当に好きな人の前だと緊張しちゃって私全然しゃべれなくなるから。緊張すると飲み物の話しかできないから私。気をつけて。超つまらない女だなって。飲み物大丈夫? もう飲みな~って。1時間に1回くらい聞いてるらしい」
意味なく挟まれる「気をつけて」というのがなんとも言えずいい。ともあれ、冗談みたいな言葉だが、これはけっこう核心を突いている。二人以上のときにはこの「飲み物大丈夫? もう飲みな~」と言ってくる同席者がいる、ということだ。人と一緒のときのほうが、自分のペースや欲求だけではない要素がオーダーに影響を与えてくる。「もう1杯飲もうか」は「もう少し一緒にいたいな」の意であるといった類いのそれもそうだし、見栄みたいなものもかかわってくるだろう。また、口唇的欲求というのか、「唇で紛らわす」ということも、オーダーを加速させる要因だろう。僕自身、慣れない人たちが何人もいるような状況で飲酒をするとたいていペースを誤って飲みすぎて、眠りこけたり気持ち悪くなったりするのだが、これは精神の平静を保つためには唇でグラスに触れ続けていなければならないからだ。その頻度が高くなりすぎて身体の平静を持ち崩すパターンだ。
一人の場合なら、その場にい続けるための口実としての「もう1杯」は(店によるプレッシャーは別として)必要ないし、人のペースに同調・随伴することもない。緊張緩和の方策として用いることもない。「コーヒー1杯で粘る」という言われ方があるが、1杯で本当にいくらでも粘れてしまう。今現在の僕のように、「コーヒーを飲みたいのではなく、執筆のための場所代としてコーヒー代を払っているだけ」という感覚のとき、おかわりをする理由はどこにも見当たらなくて、客単価は最底辺に留まる。
もちろんそれは二人組でも起こりうることだし(見栄とは反対に、反感を買わないために追加を我慢するということも起きうるだろう。「○○さん、いつもおかわりするから高くついて困るんだよね」という陰口をママ友たちに言われないように……)、また逆に、一人であっても、飲食物に対する期待がある場合や、「今日はハレの日だから贅沢をするぞ。徹底的に自分を甘やかすぞ」という意気込みを持つ場合では、飲み食いを重ねる高単価の客になることもあるだろう。ケースバイケースであることは当然で、店にとっても蓋を開けてみなければわからないことだが、おそらく、自然状態において、「本を読みに来たおひとりさまのほうがたくさん飲み食いをする」という傾向にはならないはずだ。少なくとも、一人の客を見たときに、「やった! おひとりさまだ! 高単価が期待できるぞ!」と喜ぶ店があったら、かなり特殊だ。
このように検討してみると、店から見た本を読むおひとりさまという存在は、長居をして回転率を低めるかもしれない、テーブル席を一人で使って客席稼働率も押し下げるかもしれない、飲み物1杯で延々と粘って客単価も低いかもしれない、そんな存在だということがわかった。「ベストの客」と呼ぶのは難しい存在だ。
では、すべての店にとってまったく受け入れがたい客かというと、そうではない。こんな姿勢もありうる。ずいぶん昔に書いた文章だが、先述した「長居をされる方へ」というブログ記事を全文紹介する