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39 審判員の役を担う 『本の読める場所を求めて』全文公開(39)

第7章 穏やかな静けさと秩序を守る
39 審判員の役を担う

言いきったそばから否定してしまってなんだが、「不安を抱えながら映画館に行くこと」は、しかしある。行くたびに不快な思いを味わっている不運な人だっているだろう。いつまでもおしゃべりをやめない人。大いびきをかく人。ヘッドバンギングのように船を漕ぎ続ける人。スマホをチラチラと確認しないと気が済まない人。こういう人が近くにいると災難だ。
かつて5時間の映画を観に行ったとき、いよいよ、そろそろ終わる、という最終盤、ふいにビニール袋の中を探る音が聞こえてきた。当初は「いまさらその中にいったいどんな用があるのか」と思っただけだったが、それが続く。延々と続く。結局ラストの20分ほどのあいだ、その音がやむことはなかった。明かりが点いて、すべてがぶち壊しにされたような憤懣やるかたない気持ちで、いまだ鳴り続けている音のほうを見ると、老人の姿があった。老人……憤怒をぶつけにくい対象で、やるせなくなった。ともかく、マナー違反者によって鑑賞の時間を台無しにされてしまった経験は、誰でもひとつやふたつはあるだろう。
映画館の場内に監視員がいないこと、審判する人がいないことが、この事態を生んでいる。状況を判断し、必要に応じて注意する役割の人さえいればほとんど防げることであるはずだ。しかしいない。上映中の場内は客の自治に任されている。審判不在のスポーツを考えてみればたちまち想像がつくが、それは不要な諍(いさか)いを生むし、下手に注意をして逆ギレされるのも怖い。「5時間ビニール袋事件」のときも、場内に響きわたる音に何人もがキョロキョロとしたし、遠巻きに伝えようとしたのか舌打ちやため息を発する人もいたが、誰もはっきりと注意することはできなかった。僕も何度も注意の声を上げようかと思ったし、全員が被害者だったあの状況であればそれも歓迎されただろうが、行動を起こすのは勇気が要ることで、できなかった。
不届き者はどうしても現れる。ルールの制定やマナーの提示だけでは防げないことは、どうしても起きる。そのときに、参加者個々に判断や行動を委ねるのは、大きな負担を強いることだ。審判員が、円滑で公正なゲームの運営のために働かなくてはいけない。
フヅクエの場合、今はボールペン関連の声かけが一番多い(かつては断トツでタイピングだった)。転がる音や、落とされる音、切り替えるときの強い音。一度だけならば手元が狂ってということもあるから静観するが、続くようなら、時宜(じぎ)を見てつかつかと歩み寄り、「ペンの扱いのところってご認識大丈夫ですか?」「それけっこう響くんで、ちょっと気をつけてもらっていいですか?」と伝える。ほとんどの人は、自分がそういう音を発していたことに気がついていなかっただけで、一度伝えればそれからはしっかり気をつけてくれる。
お客さんに注意をするというのは、どれだけやってもその都度いくらか緊張をするもので、間違いなく最もストレスのある業務だが、お帰りの際、他のお客さんから「さっき声をかけてくれてありがとうございます。少し気になっていたので」と言ってもらえるようなこともある。やはり、快適な読書の時間を守るためには必要なことだと実感するし、言ってよかった、と心底思う。同時に、声をかけるべきかかけぬべきか迷っていた時間を思い出し、ヒヤっとする。声をかけずに済ませていたら、周囲のお客さんの時間の毀損に加担することになっていた。





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