長居をされる方へ 『本の読める場所を求めて』全文公開(23)
第4章 長居するおひとりさまとしての本を読む客
㉓ 長居をされる方へ
とても長い時間、お店におられる方をしばしば見かける。先日も昼過ぎに来られて昼飯を食べ、おやつの時間にお茶を飲み、夜になったら夕飯を食べ、それからもしばらく滞在して帰っていかれたお客さんがいた。それはかなり特殊な例ではあるけれど、何時間も何時間も過ごされる方はしばしば見かける。
多くの場合、そういうお客さんは会計の際に「長々とすいませんでした」というようなことをおっしゃる。どういった気持ちで言われているのかはよくわからないのだけど、そういう方にとても言いたいけどなかなか面と向かっているときには言えないことがある。それは「こんなに長くいてくださって本当に本当に本当にありがとうございます。ものすごいうれしいです。もうなんかお客さんがどんな人かは全然知らないですけど僕たちはあなたが大好きですといっても過言ではありません」ということだ。
時間は有限だ。一日はどうあがいたって24時間で、自由に使える時間なんていったら本当にたかが知れている。僕のことで言えば休みの日にはいつも悩む。この限られた時間を何にどうやって割り振ったら僕は満足して眠れるだろうか。どうやったらいちばん心地いい一日が過ごせるだろうか。時間というものは、本当に貴重だ。
そして、僕たちはカフェというものは何よりも心地よく過ごせる場所を提供する商売だと考えている。心地よく過ごせる場所、心地いい時間を提供し、その対価としてお金をいただく。オーダーいただいたご飯やお茶の代金をいただくのは便宜的なものに過ぎないとすら思う。究極的には、定められた入店料をいただいて金銭の授受は完了して「はい、あなたはこの場所で快適な時間を過ごす権利を買いました。いくらでもいてください。何か食べたかったり飲みたかったりすれば言ってください。個別のオーダーに対する料金は発生しません」というシステムであってもいいんじゃないかと思う(実際に入店料+オーダー分の原価というバーはあるらしい)。
いくらか前に『TIME/タイム』というSF映画を観た。近未来、時間が通貨となり、何かを買うときには自分の時間で支払う。残り時間が0になったら死ぬ。貧乏とは少しの時間しか持たないことで、富裕とは多くの時間を持つこと。貧しいととても死にがちで困るので、富める者たちに反逆しよう、という話だ。つまらなかった。
ここでこの映画を出したのは、僕たちの感覚がかなり説明しやすくなる気がしたからだ。
つまり、僕たちは場所を売って、時間で支払っていただく、というモデル。払われる時間が長くなれば長くなるほどバリューは大きくなり、僕たちの富は蓄積される。資本主義経済ではなく、時間主義経済。なんかそんなイメージ。
うまく伝わるだろうか。うまく伝わるように書けていない気がする。
まあつまり、限られた時間の中の小さくない割合をうちで過ごすことに割くという選択をしてくださることがうれしくありがたくて仕方がないということです。
滞在時間の長さが心地のよさに比例しているんじゃないか、長ければ長いほど、カフェモヤウという場所を気に入ってくださったわかりやすい証左となるんじゃないか、愛してくれたっぽくてなんかもう幸せです、という感じです。
なんかうまく書けないのでもうやめるのだけど、以上のことは、例えばご飯を食べにいらして食べ終わったら帰られる、みたいな方を否定するものではいささかもなくて、どうやらうちの店を好いてくださったっぽいなあ、と感じるときはいつだって本当にうれしい。
今日これを書いたのは、「450円で3時間粘るとかちょっと申し訳ないなあ」みたいに思われてい方が少なからずおられるんじゃないかと思ったからだ。長居ということに対して僕たちがどう考えているのかを知ってもらいたかったからだ。客単価とか回転率とかライフタイムバリューとか、そういう軸じゃない喜びが店側にあるということを知ってもらいたかったからだ。あなたが心地よく過ごせば過ごすほど僕たちは超ハッピーなんです、ということを一度書いておきたかったからだ。