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談話のないところに生命はない(サードプレイスは地獄) 『本の読める場所を求めて』全文公開(12)

第2章 いったいなんなのか、ブックカフェ
⑫談話のないところに生命はない(サードプレイスは地獄)

さて、本論に戻ろう(少し脇道にそれて本の論になっていました)。ブックカフェとはなんたるかだ。

ブックカフェのふたつめの機能、「人とつながる」、つまりサードプレイスとしてのブックカフェということらしいが、考えるまでもないだろう。そんな場所が本を読むことに重きを置いていないのは言うまでもない。

というか、「サードプレイスサードプレイス」ってみなさんわりと気軽に言いますけど、あれはたいてい、地獄だ、ということだけ指摘してこの話は片付けたい。

現在の日本では「サードプレイス」というと、家でも職場でもなく、「ほっと自分に還れる場所」というようなイメージが強くなっている感があるが、社会学者レイ・オルデンバーグが唱えているところは、まったくそんな安穏としたものではない。ホイップたっぷりのココアを両手で持ってふーふーするとかそんな場所ではない。彼が言っているのはこういうことだからね。

「談話のないところに生命はないのだ」……「冷やかし、ばかばかしさ、決着のつかない言い合い、ジョーク、からかい」……「サードプレイス内で生まれるユーモアや笑い」……「さあ元気を出せよ、楽しむためにここに来たんじゃないか。一緒にやろう!」……

もうこれだけで疲れる。弱い笑いしか出てこない。げっそりとした気持ちになる。

僕がオルデンバーグの著書から学んだところでは、サードプレイスとは、酒を飲みながら本を読もうと喜び勇んで店に入るなり知った顔がいて握手をしたり肩に手を回したりハグをしたりしながら「ワッツアップ、メン?」と言われてなんと答えるのかわからないが何か答えて、それから大きなジョッキのビールが出てきてカウンターで立ちながら男二人、振り返り見る視線の先には女がいてたぶんビリヤードをしていて、「いつ見てもあのケツは本当にたまんねえな」と舌なめずりをして、尻に引き寄せられたかのように彼らもビリヤード台に移動してゴージャスな女をチラチラ見ながら球きをして、するとどうしてだろう、しばしば目が合う。それどころか笑顔をこちらに向けさえしてくれる。「何これもしかしてワンチャンあんの……?」と思うがそんなうまい話はなくてアメフト部とかのウィリーとかが勢いよく入ってきてジェニファーの腰を抱いて熱烈なキスをすると二人で出て行く。

儚い期待はもろくも消え失せ、大げさに肩をすくめてからビールをもう一杯飲んでさてそろそろ帰ろうかなというところでジェニファーが一人で戻ってきた。ショートパンツとタンクトップ姿の体全体にうっすら傷を負いながら、泣き叫びながら戻ってきた。「外に……外に……」と言っている。「ウィリーが……ウィリーが……あいつらに……」と震えながら言っている。どうやら何かが起こったらしかった……と、そのとき。窓ガラスの割れる音。店内に響きわたる悲鳴。まさかあれは……という、そういう場所だ。

読書はいったいどうしちゃったんだよ!




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