1500円の報酬をいただく 『本の読める場所を求めて』全文公開(47)
第9章 誰も損をしない仕組みをつくる
㊼ 1500円の報酬をいただく
「2000円はいただきます。オーダーが2000円未満の場合は、差額を頂戴します」
これでどうか。最初はこれで万事解決するように思えた。
しかしどうやら「支払い額2000円」で考えるのは筋がよくないということに突き当たった。同じ2000円でも、利益として店に残る金額はオーダーされた内容によって異なってしまうからだ。それはお客さんに軽重が生じることでもある。
フヅクエの値付け方法だと、たとえば1000円の定食と1000円のビールで2000円になった場合、利益は1200円になる。一方で700円のコーヒーと差額の1300円で2000円とした場合、利益は1900円になる。
この場合、お客さんは「どうせ取られるならば」と、オーダーを2000円に寄せることが動機づけられるし、店にとっては、より小さな金額のものがより少なく頼まれることを期待するようになる。いびつなせめぎ合いが誘発される。食事や高価格のアルコールメニューよりも、利益を多く出しやすい喫茶に力を入れたくなるかもしれないし、オーダーが2000円に寄れば寄るだけ、「利益が薄まる」と感じてしまうかもしれない。これは不健康な状態だ。
店が必要としているのは、売上ではなく利益だ。「2000円の売上」で考えるのではなく、「1500円の粗利益」(フヅクエの原価率は約25%)で考えてみるほうがずっと建設的だし、筋が通っている。
そして発明されたのが、現在の「オーダーごとに小さくなっていくお席料」制だ(「案内書き」9ページ)。この仕組みによって、コーヒー1杯の方であれ、食事とお酒の方であれ、どんなオーダーであれ2000円前後のお支払いにはなり、そして、1500円の粗利益は確保できるようになった。こうなることで、まず店にとっては「ご注文はなんであってもいい」ということになる。お客さんがやって来て、そこで過ごすことを確定させた瞬間に、オーダーの数や種類にかかわらず、必要な利益は確保される。コーヒー1杯でどれだけ過ごしてもらっても、気にする理由がひとつもない。おかわりしてくれないのかな、などと思う余地もない。食事だけの人に対しても、飲み物も頼まないのかな、と思わなくて済む。当然、「追加のご注文は……」などの声かけもいっさい不要。たとえ何も頼まれなかったとしても(「飲み物もあったほうが楽しくないかな?」とは思うけれど)不満を持つこともない。そんな人はさすがにいないだろうと思っていたら、これまでに二度、飲食することなく過ごしていく方があった。どちらの方ものんびりゆっくり本を読んで過ごされた。お帰りの際、注文なしパターンを明示はしていないからやや身構えながら1500円と伝えると、よどみなくお支払いになった。一人の方はその後、いい時間だったとお手紙を送ってくださりすらした。
また、4時間超の滞在については席料が上乗せされていくから、滞在時間がどれだけ長時間化しようとも、機会損失が生じることもない。仮に開店と同時に満席になって、その人たちがそのまま閉店まで12時間いて、入れないお客さんが続出したとしても、売上が損ねられることはなく、店側の歓迎の気持ちが曇っていくようなことにはいっさいならない。
現在の仕組み以上に、ゆっくり気兼ねなく過ごしてもらうことと健全に商売を持続させることとを美しく共存させられるものを、今の僕は思い描けない。居酒屋などお酒を飲むことが想定されている店では、飲み物を追加しながら滞在時間を買い足していくような感覚が一般通念として浸透しているはずだが、ややもすればひとつオーダーをすれば席を買い切ったとみなされかねないカフェのような業態で、もし長居する人だけを受け入れる店をやりたいとしたら(それはとても極端な店だが)、これが最適解なのではないだろうか。
また余談だが、お酒を飲ませる店であっても「水だけ問題」はしばしば話題に上がる。オーダーは食べ物だけというお客さんのことを店がうっかり愚痴としてツイートして、同業者や「理解ある人たち」が同調し、「店の都合を客に押し付けるな」「暗黙の了解なんて知ったこっちゃない」と反発する人たちも現れて炎上する。逆に、「水を頼んだら800円も取られた」としてフレンチレストランが炎上したこともあった。
こういったことも、似たような仕組みの導入でだいたい解決できるのではないだろうか。フヅクエほどの細かい設定は楽しい食事をしに来た人たち向けではないし、なにより煩雑で理解してもらうために時間もかかるので、簡略化し、「ドリンクのご注文0杯の場合は1000円、1杯の場合は500円のチャージ料をいただきます」とドリンクメニューの隅っこに記しておくくらいであれば、導入も運用もずいぶん簡単にできるのではないか。店の存続のために必要な金額を払うことに対して「そんなには払いたくない」と言う人を迎えたところで消耗するだけだから、これに嫌な顔をする人はそもそも客として迎える必要もない。
ともあれ、「オーダーごとに小さくなっていくお席料」制は、「お客さんの滞在時間の長時間化と商売の成立がいっさいの矛盾を持たないことが必要だ。それが実現できれば、すべてのお客さんの「がっつり読書」を、店は、「いいね! いいね!」と心底から思っていられる」と書いた通りのもので、店にとっては言うことがない仕組みだ。きれいごとをきちんと眼差し、考え続けてみれば、何かしら答えは見つかるものだ……。
と悦に入りたくなるが、ではお客さんにとってはどうなのか。ただ納得や理解が生まれるだけだろうか。それとも、この仕組みがあるからこそ生じる深い喜びのようなものもあるのだろうか。