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さよならの言い方なんて知らない。

拝啓、これは君影ランからの手紙。
どうか最後まで読んでいただけると嬉しい限りです。

私は高校を卒業してすぐ東京に来ました。
地元が大嫌いで、なんの思い入れもなく、飛行機でたった1時間半でササッと東京に来ました。
どこに行っても知り合いがいて、勝手に噂話されたり本当の話がどこからか漏れていたり。みんなはそれを田舎の絆の深さだとかなんだとか言っていました。ですが、そんなものじぶんにとってはなにも大切じゃなくて、はやく東京に行きたくてたまらなかったのです。
東京に行こうと決めたのは小学4年生のときでした。

地元にいた頃のじぶんは本当に世間知らず。じぶんが生きてる世界が全てで、当たり前だと信じて疑いませんでした。でも、高校に入ってじぶんの世界が半ば無理やり拡張されてたくさんのことを思い知らされたのです。
全てを知って、感じて、受け止めて。何も納得できませんでした。当時のじぶんはどうしようもなく世界を疑っていて。そんな中で「じぶんの人生に納得したい」という想いが芽生えました。その想いが小学4年生のときのじぶんが憧れた【アイドル】の夢を叶えさせたのです。

アイドルという生き方は君影ランにとって最高の選択でした。アイドルという哲学は君影ランをとても強くしました。
DOGMACLUBに加入したじぶんは最初から最後までじぶんの想像を超える、出会ったことの無いじぶんでした。
そんな君影ランを引き出してくれたのは間違いなく、応援してくれたみなさんなのです。

本当はもっといっしょに時間を重ねたかったです。
本当はもっといっしょに想いを深めたかったです。
でももう本当にみなさんに会えないなんて、こんな寂しいこと他にないです。
失ってから気づくことの浅はかさなんてこの人生で痛いほど味わっているのに、とてつもない喪失感に襲われています。

最初は君影ランを受け入れてもらえるかどうか正直不安でした。でもそれでも、LIVEをしてみなさんと過ごしていく中でお互いに色んなことやものが浸透していって結果的にたくさんの方に愛されたと言い切ることができます。
君影ランは愛を知らない生き物だったので、ここにきてみなさんに触れて、愛を知りました。
愛は言葉じゃないですね。行為でした、行動でした。言葉で愛は伝わらないです。やっぱり、愛は目に見えないってことが改めてわかりました。だから、みなさんは目に見える形で愛を届けてくれたのですね。
ですがそんなじぶんにとって唯一目に見える愛があって、それはおばあちゃんの手料理のレシピ数だったのです。家族のことを考えて、想ってくれていたおばあちゃんは毎日色んな料理を用意してくれて。寝る前には温かいお紅茶も用意してくれていました。それがじぶんにとってのとめどない最上級の愛でした。
それがDOGMACLUBに加入して、新たな目に見える愛が加算されました。
最高の愛を本当に、ありがとう。

ラストライブが決まってから、上手に未来をイメージすることが出来なくて、もう研究所に戻ろうかと何度も考えました。遺伝子の研究所でのアルバイト、中々に楽しいのですよ。無菌操作、試薬調整、実験補助、その他雑用。結構充実してて、好きでした。
でもある日研究所の居室の掃除をしている途中に突然泣きました。
「居室の掃除をするために、お前は東京に来たのか?」と。じぶんに問いました。
友達とのご縁があって勤めさせて頂いた研究所でしたが、その次の日の退勤前に「アイドルをやりたいので今月いっぱいで辞めます」と伝えました。
このことを思い出すと、やっぱり、アイドルがやりたいな。やりきりたいな。とおもいました。
地元が大嫌いで、じぶんの人生に納得もできず。居室の掃除をして一日が終わっていく人生。君影ランはそのために存在している訳じゃないだろ、なんて思ってしまいました。
だから、またアイドルとしてステージに立てることを祈って(じぶんの根性を信じて)その日まで生きていこうと、ラストのステージから見えるみなさんの顔を見て決めました。

田舎の絆とかいうのは毛嫌いしていたくせに、この半年間でみなさんと深めた絆は確かにこれからの人生の軸になっていくのだろうと感じています、本気で。

あとこれは余談というか。書いても書かなくてもなのですが。君影ラン、非常に集団行動が苦手でした。中学は不登校で、高校から頑張ったものの運動会とかそういう類はずっと苦手でした。人と接するのもそういうのに打ち込む時間もどれも違和感で避けてきた人生でした。だから、友達にアイドルになることを伝えるとまずその辺の心配をされて結構ガチめなトーンでアイドル厳しいんじゃないかと言われたこともあります。それでもなんとかなるだろうというその辺に対して軽い気持ちで挑んだら、案外結構なんとかなりました。
むしろこの4人でアイドルを出来たことが誇りで、この4人じゃなきゃDOGMACLUBはやりきれなかったと思うほどに。メンバーは君影ランにDOGMACLUBという居場所を分けてくれて、そのうえ役割を与えてくれたのです。君影ランが生きるには充分すぎる生息区域であったと感じます。

たぶん、じぶんの人生にとってどうでもよい人間とわざわざ時間や想いを懸けて何かを生み出したり創ることがそもそも好きではなかったのかと。だから学校という不特定多数と浅く広く関わってもちろん協調性を学ぶ場であることはわかっていたけれど、それでも挑戦できない人間だったのかなと今は振り返ることができます。
たくさんのことに気づかせてくれて、ありがとう。
メンバーには感謝の気持ちでいっぱいです。

この手紙のタイトルそのものなのですが。
君影ランはさよならの言い方をまだ知らないので、知らないでいるので、どうか、まださようならをしないで頂けると助かります。
(敬愛している作家・河野裕の本のタイトルから引用させて頂きました)

またみなさんに会える日を楽しみにしています。
どうか、その日まで。
君影ランのことを忘れないでいてくれると嬉しいです。
君影ランもみなさんと過ごした時間や、ステージから見たみなさんの顔、届いた声。全部全部忘れません、一生の宝物にします。

東京にきて初めて東京タワーを見た時。その色やフォルム感で神戸港にあるポートタワーを思い出しました。スカイツリーも勿論好きですが、それよりも東京タワーが好きな理由はたぶんそういうことなんだろうなと最近気づきました。地元が大嫌いなクセにいつか地元でライブできたらと思ったりするのです。

それでは、また会う日まで。どうかお元気で。
これからもよろしくお願いします。

敬具                                君影ランより

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