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思い出は、
LIVEしていると、たまに、いや、割と。
フロアに残像が見えるんですよね。
いつかの日のこの光景の、あの人たち、みたいな。
そこに居るはずの無い人たちの顔が、ちらほらと、見えるんです。困ってます。
𓏲𓂅𓂅
別れがくるなら、出会わなければよかった。
人生でたくさんこの気持ちを経験してきたそのたくさんの割合はアイドルになってからを締めているなと感じます。
色んな人と出会って、色んな人と気持ちを深めあって、色んな人とのお別れを経験してきました。
かれこれ4年ほどアイドルとして活動しているのでそれなりにLIVEや特典会を通して、色んな人と出会ったかなと思います。
人の顔と名前を覚えるのが得意な方(勝手に思ってるだけかもしれませんが)なので、STELLASTELLAとして活動し始めてからたまたま現場で出会う"昔出会った人"に驚かれます。名前までは出てこなくても一度会ったことがあるという記憶もあります。相手の人は大体驚きます。
「 え!?こっちだけが覚えてるとおもってた! 」と言われたときに、アイドルさんって結構ちゃんと覚えてるとおもうよと言えばいいのに「 まあ、キミカゲだからね 」なんて、じぶんを特別に魅せようとしてしまう節もあったりなんかしちゃったりして。
キミカゲ、なかなかにめんどくさい人間なのかもしれません。もうすっかり忘れてしまえばいい事を、ずっと想い続けて、こうやって文章にして。忘れてしまった方が潔いまであるのに、こうやって文章にして。あわよくば、この文章が昔出会った人の目に留まればいいな、なんて。ずるいですよね。
素直に「 会いに来て 」と。「 LIVE観に来てほしいな 」と、言えばいいのに。君影ランはそれを言うのがあまり上手ではないようです。
たった5文字で終わるような言葉を、何回も何回も考え直して、組み直して。どうにかこうにかしてもうここですでに700文字を越えていて。ほんとうにめんどくさい人間なのです。素直では、無いのです。
よく笑うので、ご機嫌さんなので、関西人なので。明るくて気さくな感じに見えているかもしれませんがなかなかに陰気で、ジメジメした人間なのです(たぶん、きっと)。
𓏲𓂅𓂅
いちばん最初にアイドルを始めたグループの解散が決まったときに、もがきました。当時はファンの人に会えなくなることよりも、これまで時間を重ねて色んな景色を共にしてきたメンバーと離れ離れになることが怖くて、出会わなければよかったと、そしたら別れなんて来なかったのにと、とってももがいた記憶があります(いつの話やねんって感じですが)。
セルフ運営・セルフプロデュースだったので、じぶんを含めたメンバー以外の大人(人間)はおらず、ほとんど全てをじぶんたちの手で創りあげていたグループだったので、キミカゲにとってはひとつの作品でもありました。丹精込めて、じぶんの全てを懸けて創ったものたちは呆気なく終わりを迎えて、夢から目が覚めました。
ただ、もがいたのは。その作品たちが呆気なく終わってこれから時間が経つにつれて誰からも忘れ去られるということに恐怖したのではなく。
メンバーと過ごした日々の思い出が、ただただキミカゲにとって毒で、もがきました。
思い出は、毒です。
高校を卒業して上京してきて。なんとか憧れたアイドルになれて、誰よりもいっしょに時間を過ごして想いを重ねてきたメンバーと離れ離れになって。いつかきっと、この日々が過去になってくんだっていう現実を受け止めきれませんでした。
東京の至る所に思い出があって、じぶんの中の至る所に思い出がありました。すごく、苦しいくらいに。
𓏲𓂅𓂅
それを今でも引きずっている、めんどうな人間代表・ランキミカゲ。
ここのライブハウス立ったな、とか。ここのCDショップでリリイベしたな、とか。この時期には決まってこのイベントに出たな、とか。ここのファミレスで頭痛くなるくらいにみんなで企画考えてたな、とか。思い出したら、キリがなくて。
思い出したら、というか、勝手に溢れ出てきて。異常記憶やな、とじぶんにツッコミ入れちゃうくらいに忘れられないのです。厄介です。
そしてそれらと同じくらいに引きずっている、もう会えなくなった人たち(当社比)の顔。
LIVEをしていると様々な顔が見えて見えて、仕方なくて。
これはなんでなんでしょうか、キミカゲがただ寂しがり屋さんなだけなんでしょうか。
それともじぶんで景色を捏造しているんじゃないかと疑ったりもしました。でもこれも、もう会えなくなった人たちと重ねた思い出がきちんとキミカゲの心にしまわれているからだとおもいます。
キミカゲの歌声に救われているとLIVEで泣いてくれた方、ランちゃんという名前の通りちゃんと未来で花が咲くように応援していますと言ってくれた方、初めてランだけに向けてペンライトを振ってれた方、初めての自主イベントで怖かったけど特典会で「 ランの人生何も間違ってないぞ 」と言ってくれた方。
アイドルという文化、そして音楽を通して出会った皆々様が今どこでどう過ごしているのか。キミカゲのことすっかり忘れちゃっているのか。毎日アイドルしながら、考えています。
嬉しいことに、いちばん最初にデビューしたときからキミカゲを追ってくれて現在も現場に通ってくださる方もいらっしゃって。
中には一度会えなくなったけどSTELLASTELLAに加入したことでまた会えるようになった方もいらっしゃって。
すごくすごく嬉しくて、その関係性を大切にしたいですし。ここに来て出会った新しいたくさんの人たちとの関係性ももっと育んでいきたいですし。
もっともっとたくさんの時間を過ごして、想い合って、音楽で繋がりたいのに。思い出が増えていく恐怖が最近、勝っちゃっているんですよね。
𓏲𓂅𓂅
ただシンプルに、傷つきたくないだけなんだと思います。キミカゲはただの臆病な人間なので(キャラが渋滞している)。
思い出に殺されたくないんです。どうしても思い出しちゃうし、どうしても想いを馳せちゃうし。だったら思い出なんてなくていいなってすごい強がったこと考えちゃうんですよね。もっと素直に生きれば、生きやすいのにね。
いまここで、2500文字を越えてます。
いやあ、非常に、回りくどいですね。なんでもこうも、臆病でめんどくさい人間なのでしょうか、全く、ってやつです。
もうどうしようもないので、そういう人間であることを素直に認めて最後まで持っていこうとおもいます。
𓏲𓂅𓂅
もう会えなくなった人たちへ
君影ランは相変わらず、ステージの上にいます。歌って踊って、チェキ撮って、アイドルとして生きています。アイドルになって4年経ちました。日々様々な現場に揉まれて、チェキの枚数過去(4年間のなかで)最低を記録したりもしました。
それでも、じゃあアイドル辞めようってならないんです。もっと、もっと先へという気持ちが強くなって握ったマイクが離せなくなります。
みんなとの思い出が全て苦しくてじぶんを追い詰めて来たとしても、それ以上の幸福な瞬間がキミカゲを満足させてしまうのです。相変わらず情緒が不可思議な奴です。あんまり変わってないかとおもいます。
思い出は、毒です。
嬉しかったこと、楽しかったこと、苦しかったこと、傷ついたこと。それらがじぶんを救う瞬間よりも苦しめる瞬間のことのほうが多いです。それはたぶん、ちゃんと、失っているからだと感じます。
重ねた時間があるじゃないか、想い合った言葉があるじゃないか。今があるから、過去は無かったことにならない。たくさん思うことがあるかもしれませんが、キミカゲはアイドルでいる限りいつだって『今』を観測していてほしいのです。
あの時、こうだったよね、みたいなそういう話をされると「 ああ、もう完全に過去の話なんだな 」って「 今の貴方の中にリアルタイムの君影ランは存在しないんだな 」って。勝手にセンチメンタルになるのです、めんどくさい人間なので。
君影ランを、思い出にしないでください。
君影ランを、過去にしないでください。
思い出にするくらいなら、過去にするくらいなら、全部全部忘れてください。
言葉(字面?)はキツいかもしれませんが、それくらいの気持ちでキミカゲはアイドルとして日々活動しています。たぶんきっとこの想いが今の君影ランを突き動かしているとおもいます。
新しい生息区域にきて新しい人と出会って、常に今を更新して生きています。その瞬間ひとつひとつを追って、キミカゲを愛してくれている人を、今いちばん大切にしています。
もう会えなくなったのに、キミカゲは変わったんだとか昔と違うんだとか、好き勝手言わないでください。
キミカゲはいつだって君影ランなのです。
キミカゲより
𓏲𓂅𓂅
正直に言うと、会いたいです。
それは過去も今も関係なくです。常にキミカゲのことを気にかけてくれている方々(俗に言うキミカゲフレンズ)にはいつだって、会いたいのです。
思い出は毒ですが、やっぱり、忘れないでいてください。
キミカゲが忘れられないので、それまで覚えていてください。
𓏲𓂅𓂅
おばあちゃんがお花を育てるのが趣味で、おばちゃんのいちばんすきなお花は「 ミヤコワスレ 」でした。
その名前に因んでおばあちゃんは「 私が亡くなったとき、忘れてもいいからね 」と幼いキミカゲに何も背負わせないようにしてくれていました。『忘れる』ということが悪いことではないということを、教えてくれていました。
でもそんなおばあちゃんがある日「 ランランにぴったりなお花があるよ 」と教えてくれたお花が「 ワスレナグサ 」でした。
「 忘れてもいいし、忘れなくてもいい。ランランが落ち着く方を選んでいいのよ 」と。
当時のじぶんはあんまりよく分かってなかったとおもいます。へぇ、そんなお花があるんやくらいの感覚。でもおばあちゃんはたぶん、嬉しいことも嫌なことも全部覚えていてしまうキミカゲを心配してワスレナグサというお花が存在することを教えてくれたんだなと今ならわかります。
当時のその少し遠かった感覚が今はずっと目の前にあって、胸に張り付いています。
中学1年生になったばかりの春におばあちゃんは空に逝ってしまって。棺の中は色とりどりのお花で溢れて、中にはミヤコワスレもきちんとおさめられていました。でもキミカゲはワスレナグサを選んで、棺の中には入れませんでした。
おばあちゃん子だったので、それまでの人生の全てを過ごしたおばあちゃんのこと、時間、想い、温度、優しさ、声、何もかも忘れたくなかったので。
今でもその感覚で生きてしまっているんだと思います。君影ランのこと、どうか、忘れないで。でも、過去に思い出に浸るくらいなら、どうぞ、忘れて。キミカゲはこれからも貴方との未来をみたいので、瞬間を生きたいので、もっと遠くに行きたいので。今日も静かにワスレナグサに水をやります。
思い出は、毒です。
それでも、貴方のことは、忘れません。
おわり