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君影ラン、であること。

ステラ(ラテン語: stella)は、ラテン語に由来し、英語、イタリア語、古プロヴァンス語、インターリングアで、「星」「惑星」または「星光」を意味する名詞。

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どうも、星・惑星または、星光の一員となりました。君影ランです。
オーディションに合格してメンバーとの顔合わせのために事務所に向かっている道中、星街すいせいさんの「Stellar Stellar」を聞いていました。事務所に到着して渡された資料に目を通すと『グールプ名は STELLASTELLA 』と表記されていてなんだか運命というかそういう導きってあんのかな、とか呑気に考えたりしていました。

STELLASTELLA であり、君影ランである、ということ。こっちの世界は知らないことばかりです。
ほんとうに、地球から土星に移住したみたいに。
真反対のカルチャーの中で生息しています。
こっちの星に来る前にどうしても行きたい星があったんですけど、ダメでした。その星に行けないならもう"楽曲派"と呼ばれる世界線(惑星線?)に居なくてもいいなって、じぶんでもビックリするくらい綺麗に諦めがつきました。

今まで王道系と呼ばれるアイドルさんとの交流もほぼ無い状態で、ただただ一方的にこっちが憧れていただけで。まさかじぶんが王道系の星に来るなんて、想像もしていませんでした。
王道系、すごいです。ステージでパフォーマンスしてたら目一杯お名前呼んで貰えます。フロアが色とりどりの光で溢れます。チェキ撮影のときに相手に触れることができます。すごいです。
イントロ・間奏・アウトロにコールが入ります。未だ理解が追いついていません、勉強不足です。

今じぶんが置かれている環境を「星」と表現してみましたが、やっぱり「生息区域」という表現のほうがしっくりきます。やっぱり、生息区域です。
我々は結果的に生き物なんだなって感じます。人間、よりも、生き物、のほうがしっくりきます。

西の魔女はこう言いました。

「サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。」

西の魔女が死んだ

めっちゃ有名で様々な場所で引用されていますが、ぶっちゃけ真理です。そう思ってます。
主人公・まいが不登校の理由をおばあちゃんに打ち明けたときにこう返答されたのです。
この言葉を読んだ時、体内に入れたいなと感じました。知ってるな、聞いたことあるな、で終わらせたくないなって。この言葉をかけた意味や想い、この言葉を持つに至ったそれまでの人生。全部飲み込んで体内に入れなきゃって。
君影ランは今、とってもいい生息区域にいます(当社比)。じぶんがじぶんらしくいられる、とか、自由だ、とか。そういうのもう要らないんです、君影ランの人生に。でもそういうのとっぱらってでも今すごく生息区域が安定しています。
君影ランは君影ランという人間のひとりとして生きるより、星・惑星または、星光の一員として生きた方が良かったんだって、遅ばせながら気づいたものです。

でも、そんな言い方をしてしまうと。
「昔の生息区域じゃ到底生き残ることはできなかったってこと?納得いってなかったってこと?」となってしまうのですが。いいえ、そんなことはありません。その都度その都度で、じぶんの生息区域を見つけて生きて満足してきました。全部本物だったのに、なにも不自由なんて存在しなかったのに、ただ今がとってもなんだか心地よいのです。

事務所だったり、運営さんだったり、メンバーだったり、そしてファンの皆様だったり。
それぞれの方との距離感がとっても良いんだろうなあって思いつつ、じぶんと君影ランとの距離感もめっちゃちょうど良いのかもしれません。
そう、そうなんです。「君影ランであること」が心地よいのかも知れないんです。
今までじぶんとアイドルを、近づけ過ぎていました。朝起きてもLIVEしてもご飯食べても夜寝ても。ずっとニコイチでした、魂が共鳴していました。それはそれで楽しかったです、すごく。振付も作詞も作曲もなんでもかんでもやって、そうやって今までのじぶんが積み重ねてきたことをアイドルの君影ランが出力していてくれたので。様々な経験ができたのです、が。

星になってみたら、惑星になってみたら、星光になってみたら。君影ランは別人でした。普段のお花の蘭ちゃん(本名が蘭なので)とは全くの別人。でもそれは別人格を創ったとかそういう話ではなくて、確かに2人いるんです。全く別の2人が。

でも、その2人は鏡合わせで。常にお互いを見張っています。どちらかの行いが良くなければ、反映される。どちらかが堕ちたら、それも反映される。お互いがお互いを意識してライバル視して奮い立たせて生きています、現状。
今までみたいに仲良くないです。朝起きてもLIVEしてもご飯食べても夜寝ても、君影ランとお花の蘭ちゃんは別なのです。
お花の蘭ちゃんの延長線上にあった君影ランは星・惑星あるいは、星光の一員の君影ランになりました。平行世界っていうのかな。今、2つ人生があります。

パラレルワールド(Parallel universe, Parallel world)とは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。

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カッコつけて言ってみたものの、結果的にお互いがお互いのことを認知しているしどちらの記憶も確かにあるしどちらの生活も確かに行っているので平行世界とまでは言いきれませんが、感覚としてはそんな感じです。そんな感じかって思ってもらえらたら嬉しいです。

お互いライバル視している所もありますが、お互いがお互いの人生で補填し合っている部分もあります。
お花の蘭ちゃんが諦めたことを君影ランが叶えて。君影ランが諦めたことをお花の蘭ちゃんが叶えて。どちらかというと前者の方が割合多めで、2つの人生を歩みつつ人生を「やり直している」んです。
お花の蘭ちゃんの人生でミスったことは君影ランは絶対しません、そういう仕組みになっています。
我ながら話がややこしくなってきました、もう辞めます。人生が2つあるって言いたかっただけなので(あと平行世界も)。

幸福な瞬間をたくさん持つと、人は勇敢になると思う。自分の人生に対する信頼、しか勇気にはならない。

「勇気」

お花の蘭ちゃんにも君影ランにとっても神様の作家の作品の一文(神様の正体は秘匿)。
高校生の頃にこの言葉と出会って素直に「生きよう」って思いました。人よりは割と結構小説読んだり、映画観たり、アニメ観たり、音樂聞いたり。そういう他人の世界にお邪魔した回数多いかなって感じているのですが、そのお邪魔した中でもこれがトップで衝撃を喰らいました。

この一文が書かれる経緯はあんまりポジディブな内容では無かったのですが、それでも、当時のじぶんには輝いてみえた一文でした。
この言葉に出会うまでのじぶんの人生を振り返って、勇気を振り絞った瞬間なんてあんまりなかったなって見つめ直したりしました。
きっとお花の蘭ちゃんは勇敢になりたかったんです。だからそれを、君影ランに託しました。

きっともう、すっかり、お花の蘭ちゃんの人生に信頼なんてありません。たぶん(そこを言い切れる勇気さえ持ち合わせていないのか)。
生き物として生きていくことに慣れてきたのもほんとうに最近です。
ただ、君影ランは違うんです。勇敢なんです。びっくりです。

ただその勇敢さは間違いなく、君影ランとして生きている人生で幸福な瞬間というものに何度も出会っているからです。そしてその瞬間にはいつも皆様がいます、皆様のおかげで君影ランは勇敢なのです。そしてその幸福な瞬間は常に更新され続けています。LIVEをして音楽を通して皆様と繋がっている時間が多ければ多いほど、幸福な瞬間は訪れて君影ランを勇敢にし、次はこうしたいああしたいって挑戦できる勇気を蓄えることができるのです。

これは勝手な祈りですが、どうか。どうか皆様も自身の人生を信頼できますように。これに尽きます。じぶんでじぶんのこと認められないと、人間っていう生き物はややこしいもので、その認められる信頼がないと、生きてくのが困難になるんです。だから、どうか小さな瞬間でもいいので日常の中で幸福な瞬間を持ってください。願わくばその幸福な瞬間に君影ランが在りますように。そこにSTELLASTELLAが在りますように。

人生って山あり谷ありで〜とかそんなんわかってるんです。そういう前提でみんな生きてる。お花の蘭ちゃんも君影ランも知ってます。ただ山だろうが谷だろうがその場所で、生息区域で、幸福な瞬間を持ち寄って、支え合って、生きて行けたら。きっと人生100年時代も悪くないなって思えたりしちゃったりして。


長々とじぶんについて触れてみました。常に俯瞰してじぶんを見ることに強迫されて生きています。2人いて、2つの人生がある。それが今、堪らなく楽しくてアリだなって思っています。
ただ星・惑星あるいは、星光の一員になったとしても君影ランの"君影"はすずらんの和名で結局お花の蘭ちゃんなんですよね。お花の蘭ちゃんが諦めてきた、手放してきた、そういうの、ひとつひとつ大事に拾って抱き締めて。どれひとつも取り零さないように生きて完成したのが「君影ラン」なんです。

2人いて、2つある、なんて言いつつ。全くの別人だなんて言いつつ。お花の蘭ちゃんが送れなかった人生をただ君影ランに押し付けているだけ(さっきは託しているなんてカッコつけましたが)なのかもしれない。

君影ラン、であること。それは、

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