両の腕
十月十五日追記
サムネイルはみんなのフォトギャラリーより、stilllife様の写真をお借りしました。
諸注意
・ボーイズラブ
以上の諸注意にご留意の上でご覧くださいませ。
本文
針のように細かい雨が街を覆っていた。
正午を過ぎたばかりだというのに街は薄暗い。街を薄白く染める雨のせいか、街全体が夢を見ているようにぼんやりと滲んでいる。
そんな街の中、ビルの立ち並ぶ一角を一人の男が歩いていた。
縞模様の着流しに、黒の羽織を着ている。現代日本、特にオフィスの並ぶ界隈ではあまり見ない格好だ。
羽織の内側に雨から庇っているのか細長い木の箱を抱えており、少しばかり猫背気味になっている。それでも彼は大抵の者が見上げるほどの体躯であった。目鼻立ちも武骨で、大作りである。
癖のある蓬髪が湿気で四方に跳ね、顔に幾らか張り付いていた。その毛先からつるりと雫が流れ、彼の顔にある大きな傷痕にそって顎から地面に落ちていく。
多くの人々が行き交う道であれば、誰もが彼に道を譲るだろうが今は人影もない。そのまま彼は、誰に畏れられることもなく、ビルの谷間にある日当たりの悪そうな木造の建物へと辿り着いた。
年季の入った硝子の引き戸を存外繊細な手付きで開けると、彼は鴨居に頭をぶつけないように頭を下げて中へ入る。
彼が入った先には雑多な代物があちこちに並べられていた。商品として値札が付いている物やそうでない物。価値があるのかないのか、一見しただけでは分からない、そんなものばかりだ。
足元は土間になっており、湿気が籠っている。梅雨時のように暑苦しくはないが、秋の終わりの今は底冷えしていた。
羽織を軽くはたき、彼は雨粒を落とすと、奥へと歩く。
奥には上がり框と沓脱石があり、さらに障子で土間と区切られていた。
「いま帰った」
「おかえりなさい、カヌチ」
声をかけ、彼が障子を開けると隻腕の男が出迎えた。
隻腕の男は美丈夫という言葉がぴったりと当て嵌まる。流麗な面に引き締まった体躯をしており、項の辺りで黒髪を無造作に縛っていた。
「土産だ」
上がり框に腰を下ろし、草履を脱ぐ前に男――カヌチは隻腕の男に木箱を差し出した。
隻腕の男は木箱を受け取ると、怪訝な顔をしながらも片手で器用に木箱を閉ざしている紐を解く。蓋を開け、中を検めるとそこには細長い枯れ木の如きものが入っていた。
「ウバラ」
カヌチは隻腕の男をひたと見据え、名を呼んだ。
「お前の腕だ。恐らく、な」
「千年ぶりぐらいでしょうかね。対面するのは」
ウバラは苦笑し、枯れ木にしか見えないそれを無造作に掴んだ。
「随分と手の込んだことをしたようで」
形の良い鼻を近づけ、ウバラはさらに苦笑を深める。
「酒と薬草とを一緒に漬けたらしい」
「ははは、そこまでする価値が腕などに有りましょうか」
「もののふの誉れだろうよ」
「私には分かりかねます」
「お前ほどの男がか?」
カヌチの目が鋭くなる。
「もののふも滅んで久しい。カヌチ、あなたを満たせる者など居りませぬ」
「その腕が偽物であるなら、そうであろうよ」
「仮に、これが私の腕だとしても、物が掴めれば神に感謝することになるでしょうね」
ふん、とカヌチは鼻を鳴らした。そして、心底から馬鹿にした様子で言葉を接ぐ。
「お前に感謝されるのならば、泣いて喜ぶだろうな」
「それともかく、ご尽力頂いたことには感謝します」
ウバラは腕を木箱に戻し、深々と頭を下げた。
顔を上げないウバラに対し、カヌチは鬱陶しそうに顔をしかめる。
「お前の腕が戻ることは、俺の利益ともなる。そのためだ」
「それでも、私はあなたに感謝をしたいのです」
「勝手にしろ」
カヌチは今度こそ草履を脱ぎ、ウバラをその場に残して部屋に上がった。
部屋の中は畳敷きになっており、火鉢が中央に据えられている。鉢の中では炭がちらちらと赤くなっていた。
彼は火鉢の前に座ると大きな徳利を引き寄せた。栓を抜くと猪口も使わず、口を直接つけて飲み下す。中身はもちろん酒なのだが、水であるかのように楽々と胃の腑に落としていく。
手慰みに炭を突き、また酒を飲む。
そんなことを繰り返して、徳利の中身が半分ほどになったところでウバラが姿を現した。
鉄瓶と徳利、酒瓶を携えている。それらを両手で持ち、ウバラは火鉢の前に腰を下ろす。
二人は火鉢を前に並んで座り、しばらく無言で酒を飲む。
黙って酒を飲むのは常のことである。だが、カヌチは何と言ってよいのか分からず、黙り込んでいた。腕が本物であったことを祝うべきか、それとも先だっての言葉のように己のために喜ぶべきか。
迷いながら酒を飲んでいたが、ついにカヌチの持っていた徳利が底をついた。小ぶりな甕ほどの大きさがある徳利だが、彼の呑み方では一晩ともたない。
「どうぞ」
空の徳利を名残惜しげに眺めていたカヌチへと、ウバラが笑いながら猪口を差し出した。
黙ってそれを受け取り、カヌチは注がれた酒を飲み干す。その間も彼の目はずっとウバラの繋げられた腕に向いていた。
「……物は掴めたようだな」
ぶっきらぼうに彼が言うと、ウバラは久方ぶりに繋がった腕を動かしてみせる。
「おかげさまで。ただ、随分と弱っていますね。我ながら情けない」
「修練はできる」
「然様です」
「俺を満足させるもののふに戻れ。一刻も早くな」
「精進致しますよ。もちろん、手伝って下さるのでしょう?」
カヌチの空いた猪口に新たに酒を注ぎ、ウバラは破顔した。彼の童子の如き笑みにつられてカヌチも剛毅に笑う。
「当然だ。前のように鍛えてやる」
「有難いことですね」
ふと、ウバラは遠い目をする。
空になった徳利を置き、彼は繋がった手を何度も握った。感慨深げなその仕草に、カヌチは殆ど無意識に顔の傷痕を撫でる。そうしていると、もののふとして相対した者達を思い出さずにはいられない。
そんなカヌチの頬にウバラが触れる。頬にかかる癖のある蓬髪を払い、ウバラはカヌチの指先を追うように傷痕をなぞった。
そして、されるがまま何も言わぬカヌチをウバラは両腕で掻き抱く。
腕の中でカヌチはそっと息をついた。
「あなたを、両の腕でまた抱ける日が来るとは思いませんでした」
「俺は忘れもしなかった。お前の腕の中にいたことを」
腕がそっと解かれ、カヌチは温もりから離れた。
「俺は諦めなかった」
強い眼差しでカヌチは、ウバラをきっと見据えた。
ウバラは真っ向から視線を受け止め、それからカヌチを抱き締めた。
カヌチも負けぬよう、強く抱きしめるのだった。
了
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