アレコレについて

 Twitterを利用していると目に入るアレコレについて忘備録的に書き残しておこう思う。
 「今」感じていることを数年、あるいは数か月後に読み返して何か思うところがあるかもしれない。
 そんな自分に対する実験じみた試みだ。

 まずは奨学金の減免について。
 Twitterでは基本的に「反対」「嫌悪」という立場を表明している方々が目についた。
 私は奨学金の減免に関して、前提を見直せば問題はないではないかと思う。
 要は子供を妊娠した。生みたい。しかし、奨学金の返済が枷になって出産やその後の育児に経済的不安がある。そういった場合に申請すれば奨学金の減免(四分の一までなど、大幅な減免が良い)、あるいは免除という形にすれば、良いのではないかと思っている。
 生みたい、育てたいという人の負担を一つ減らすだけだ。
 また、スムーズにその後の出産や育児に関するサポートへ繋げられるようになっていれば、なお良いと思う。
 出産を盾に減免を論じるのではなく、少子化対策や出産・育児への補助やサポート的なポジションで男女を問わずに行えば良いのではないだろうか。

 フェミニズムについて。
 私にとってのフェミニズムは「性別を理由に差別しないこと」だ。
 例えば就業で性差を考慮する必要がないのなら、能力を見て雇えばいい。
 性差を考慮する必要があるのなら、どちらかの性別を積極的に雇用すればいい。
 例えば産婦人科の医師が男性よりも女性が良い、という女性の意見は私にとって性差別にはならない。
 出産だけでなく、いわゆる婦人病や生理の悩みや不安、そして診察でデリケートな部分に物理的にも精神的にも触れるのだから同性が良い、というのは顧客の要望に過ぎない。
 男性特有の病気を扱う医院であれば悩みを共有できる男性医師を雇用するのは、ニーズに適った経営ではないか。
 それぞれの医院が顧客のニーズに則って、性別を理由にしてそれぞれを積極的に雇用することは、性差別か?
 私には「否」である。
 あとはスポーツ分野で公平性を維持するため、性別を、体重を考慮して階級を設けるなどするということも差別ではないと思う。
 そういった意味では文筆や絵画、音楽の世界で性差は個性や誤差の範囲に収まる気がする。

 育児手当などの少子化対策に関して。
 もっと金を出せ。
 教育に金をかけろ。
 個人ではなく国が「教育」と「学問」に。
 国会で寝ているだけの老いさらばえて死ぬだけの人間より、子供を産み育てる人間に、そしてこれからを支える人間に金をかけろ。
 というのが私の直情的な意見だ。
 私だって儲かっていなし、助けてほしいが、それでも子供を産み育てる人間程の負担はない。だから、金をくれとは言わないから「親」になる人間を助けてあげてほしい。

 性に関して。
 官能小説を書いて原稿料を頂戴しているので、「性」というものに関して考える時間がある。
 私は肉体的性別と意識・精神的な性自認が一致しているし、性愛の対象は異性だ。
 だが、世の中には自分の肉体と性自認の不一致に悩む人がおり、同性愛者であることに不安を抱く人がいる。
 私がまともだとは思っていない。どちらかと言うと生物的に多数派であるとは思っている。
 そういった私とは「違う」人がいても別に困らないし、不安や悩みを抱えて大変そうだと他人事のように思うだけだ。
 「他人事」だ。
 私のことではない。だからこそ、否定も拒否もしない。私と同じように人間社会で当たり前のように差別されることなく生きていてほしい。それだけだ。
 Twitterで話題になっていたのは、「自称性自認が女性の人物が、女性トレイや風呂を使うのは嫌だ」というもの。
 主義主張としては、肉体的にも女性になるため、性転換手術などを行った人は受け入れてはいいのではないかということだ。
 もちろん、反対の方も男性は受け入れれば良い。
 ある意味プライベートかつ無防備な瞬間を晒すトイレや風呂といった空間には、当然ながら安心が欲しい。
 異性に乱入されて怖い思いをするのは男女を問わないだろうし、嫌な気持ちには誰だってなりたくないものではないだろうか。

 ここまで書いてから改めて読み返してみたが、露悪的な日記だった。
 日記となると誰に向けているわけでもない文章なので公開を躊躇われるが、せっかく書いたのだから公開しないともったいないという気持ちも芽生えている。
 ……自分に対する実験的な忘備録みたいなものだから、まあいいか。
 私の考え一つで世の中のアレコレが変わるわけでもない。

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