懐かしい明日香村の甘樫丘
古代の都の話をします。
都といっても、それほど整備された感じではなく、
やっと小さな大和の国が産声をあげた頃の話です。
その都を「飛鳥」といいます。
飛鳥には推古天皇をはじめとする歴代の天皇の宮が連綿と建設された土地で、その飛鳥を見渡せる丘があることをご存知でしょうか?
甘樫丘(あまかしのおか)といい、古代には、その麓に蘇我蝦夷と入鹿の邸宅が建てられていた、と言われています。
また、『日本書紀』によれば、盟神探湯(くかたち:熱湯に手をいれることで、やけどをしたら罪を問われる、やけどをしなければ罪は問われない、という古代の裁判)が行われたという記述があります。現代ではとても考えられない真偽の探り方ですね。
こんにちは。冬月智子です。
先日、甘樫丘に登ってきました。下の写真が登り口です。始めは大丈夫だったのすが、だんだんと疲れが・・・・(^^;
甘樫丘には展望台が整備されており、北を望むと、大和三山が一望でき、南を望むと、飛鳥の古郷があった場所が一望できる場所です。アメブロにその記事を書いてます。↓ ↓ ↓
真夏だったので、汗だくになり、しかも蚊のような虫に好かれてしまい、虫を追い払いながら甘樫丘の遊歩道を回る、という散策でした(T_T)
展望台からは、とても見晴らしがよく、大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)が見渡せます。
万葉集ファンなら、ワクワクしてしまう場所ですね。
(↑ 甘樫丘から畝傍山を望む)
(↑ 耳成山)
(↑ 香具山)
古代の飛鳥時代も、甘樫丘はシンボル的な存在でした。
飛鳥時代、実は私は渡来人出身の百済系の官人で、飛鳥に住んでいたことがあります。(信じられない!と思う方はスルーしてくださいね。)
渡来人は主に中国大陸の先進技術、文物を大和に伝える役目をしたのですね。
当時の宮廷は、物部氏と蘇我氏という二大豪族が幅をきかせていました。
また、建前は天皇を中心とする国、ということですが、なかなか、政治の世界は人間の欲望が見え隠れします。思い通りにはなりません。
そして権力がものをいい、心が疲れる世界でした。
そんなとき、私はよく、甘樫丘に登りに行ったものです。丘を登り、自然の花や木々を見ながら、丘の上から飛鳥の都を眺望すると、なんとなく気分が良くなってくるのです。甘樫丘に上るときは、誰とも一緒に行かず、一人だけで登っていました。
(↑ 甘樫丘から飛鳥寺を望む)
むしろ、甘樫丘にいるときに、誰か知っている人には会いたくないな~なんて思っていましたよ。
政治の世界に疲れた自分の心を癒すためでしたので。
そんな思い出があります。
(↑ 甘樫丘の遊歩道)
そんな甘樫丘にまた登ることができて、感無量でした。もう、1300年たってますからね💦
昭和40年代のはじめに、甘樫丘に8階建てのホテルを建てる、という計画があったそうで、明日香村は、村を開発から守るためにこれに反対したそうです。
明日香村の景観を守るために、これまでの多くの人々の努力があったことに感謝したい、と思います。
本当に、今明日香村に行くと、自然豊かな風景が残されていますし、昔ながらの景観を大切にしている、と感じます。
いろんな遺跡をまわっていると、タイムトリップしたようで、本当に楽しい旅でした。
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