漠然とした不安
常に不安に駆られているのだが、漠然とした不安の正体が分からない。明確な理由はないのだ。漠然とした不安は胸を締め付け、動悸を誘発し、呼吸を浅くする。生き物は呼吸をして生きているのだから、呼吸が乱れるのは良くないことだ。そうは思っていても、胸を縛り付ける糸を引っ張られているかのように、締め付けられる胸を緩めることができない。そこで少しでも不安に抗うために、理由を探ってみる。しかしいくら理由を探せど見つからない。理由を探るほど思考がシャットダウンする。不安といえばなにかしらの理由があって、理由に対して抱くものである人が大半なはずだが、私の不安には理由がないのだ。形のないものに怯えるだなんて馬鹿げたことだと思われるかもしれないが、不安は制御できないのだから仕方がない。その上、私は抑うつ状態になるときも、理由がないことが大半だ。
そこで脳の神経の異常で不安なのかもしれない、と思考を切り替えてみる。むしろ理由がない不安を感じているからこそ、私の不安や抑うつ状態は病的なものだと認められでいるのかもしれない。理由のある不安やうつは正常なもので、理由がない不安やうつは病的なものなのだろう。私の不安は病気の症状として考えるとおかしいものではないのかもしれない。そう考えると少し心が軽くなる。だが全て病気のせいにしていて良いのだろうか。病気のせいだからと甘えて、不安に酔っていないか?不安にならないように対策や努力をする妨げになっていないか?それにしても、不安の理由がないのだから、対策や努力をどのようにしたらいいのかも分からないのが現状だが。精神科医やカウンセラーには、腹式呼吸などを勧められた。しかし私の不安は腹式呼吸で良くなるものではなかった。不安には惨敗だ。
それとも私は人より心配性な一面があるため、不安を引き起こしているのだろうか。全ての出来事において、最悪の事態まで想像してしまうのは異常なのかもしれない。それならば精神療法を受けてみるべきか。考えてみよう。私の不安に対する模索は続く。
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