#BFC4 本戦ジャッジ応募作品
ブンゲイファイトクラブ4のジャッジ応募用の原稿です。書評、兼、抱負。どうぞよろしくお願いいたします。
ゴンブリッチ『美術の物語』について
冬乃くじ
ゴンブリッチ『美術の物語』は美術史についての本だが、その読者層は広い。なぜならこの本は、「作品」つまり「表現されたもの」と、わたしたち鑑賞者がどう向き合うかについて書かれた本だからだ。
序章はこう始まる。「これこそが美術だというものが存在するわけではない。作る人たちが存在するだけだ。」――すべてはこの二文に集約されるのだが、ゴンブリッチは以降、わかりやすく解きほぐしていく。――「作品」とは突然に出現するものではなく、ある時期、ある人がある事象を表現しようとして、どう表現するかを懸命に考え、試行錯誤し「これで決まり」となるまでこだわり続けた切実さの結晶である。それらの文脈を理解しようともせず、限られた見識によって不当に嫌い批判するのは愚かな態度だ。また知識を得たがために「立ち止まってじっと見ないで、記憶をさぐって作品にふさわしいレッテルを見つけようとする」のも愚かだ。同様に、たとえばひと目でわかる美しさや正確なデッサンをもたぬ名作の存在を知り、「その知識を自慢したくて、美しくも正確でもない作品だけを指して、これが好きだと言う。そんな人は、ひと目で楽しく感動的だと思える作品を好きだと告白すると、自分が無教養だと思われはしないかと、いつもびくびくしている」。そんな「俗物根性を助長する生半可な知識を持つくらいなら、美術についてなにも知らない方がよっぽどましだ」。そしてこう言う。「私が手助けしたいのは目を開くことであって、舌が回るようにすることではない」。
これを読み、内省しない者がいるだろうか。続く本編では、文脈を知るごとに作品の味わいが豊かで複雑なものになっていくのを実感できる。だからこそこの序文が重みを増す。知識は不可解なものを早合点し不当な評価を下すためにあるのではなく、ただ表現の切実さの一端を理解するためにある。新鮮な心で、自らの俗的心情に囚われず作品と真摯に対峙できるかどうかが重要なのだ。美術だけでなく、人の手による「作品」との向き合い方に迷ったとき、その道筋を照らしてくれる本である。