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東日本大震災から10年

あの日からもう10年。
もう10年なのか、まだ10年なのか
言葉にするとわからなくなる。

あの日、栃木の足利にあるファストフード店で、バイトをしていた僕はその日の事を鮮明に覚えている。
普段無口な店長が、「地震です。すぐに安全な場所に避難して!!」

そう言ってすぐに長い横揺れと共に店内のガラスというガラスが軋み、コーヒーポットや、油がバシャバシャ揺れた。

自分の中でこれは危険だ。すぐに動かないと!
そう脳内スイッチが動いた。

その刹那。パートのおばさまが、お肉のパティを片付けようとしたり、パニックになって何をすべきかわからなくなってる人もいた。

その時、勝手に体が動いて、「そんなん良いから!逃げよう!!」そういうってパートさんの肩を抱いてすぐに避難させた。

外の広いスペースにスタッフを全員避難させた後、店長は、そのテナント内の店長達、本部と連絡を取るため少しその場を離れた。

恐怖で泣き崩れる人、唖然する者。
一瞬にして、当たり前の日常が崩れ去り、
非日常が降りかかってきた。

その後、携帯でワンセグ放送が出始めていた時だったため、ワンセグ対応携帯所持者に見せてもらい。ニュースを見る。その時はまだ情報が整理されていなく、大地震が起きた事。それしか確認できなかった。

余震が続く中、各店舗は休業せざるを得なくなり、帰れる者は家に帰り、家族の安否確認に追われた。
身一つで店舗から脱出したため、荷物を取らなければならず、余震が続く中店舗内に入るのは、とても危険であった。

そこで、僕は、居ない店長の代わりに誘導係をする事にした。
スタッフを何人かに分けて、中に突入する。
その時、アドレナリン全開で全員分の荷物を取る事ができた。

一仕事を終えた後、ニュースを見てる人から悲鳴が上がった。
東北の町を包む、大津波。燃え盛る被災地、流される人たち、、、この世のものと思えないほど、絶望という言葉が似合う光景だった。

徐々に家族と連絡が取れた人が増えていき、それぞれ帰路に着くことになったのだが、被災地から遥か遠く離れた町である足利でも、道が陥没と隆起したり、電気が届かず、信号機無しで帰らねばならない。
家に帰るまでの最短ルートの道は陥没しているため使えず、大渋滞の中帰路に着く。

家に帰宅すると家具はなんとか、無事だったが本棚等は倒れ、部屋の片付けに追われた。
そして、夜になり家族が集った。

停電しているため、長蝋燭で部屋を照らし。夜ご飯も味覚が少ない中食べて、お風呂も蝋燭を持って入る。
ケータイは節電のため触らないようにする。

明るくなったら活動して。暗くなったら寝る。
ごく当たり前の生活だが、電気がある事の有り難みを痛感させられた。
その後も計画停電などの影響はあったが、徐々に震災の影響は落ち着いてきて、今日まで生きてくる事ができた。

あれから10年僕は結婚して子供にも恵まれて、今は静岡に住んでいる。
技術の進歩やコロナ禍で暮らしは大きく変わったが、きっと人間の本質は変わらない。
そんな思いを再度思い出す今日という日をただでは終わらせたくない。

身の回りにいる家族。遠くにいる家族。
自分を愛してくる友達、仲間。
その人達への感謝を思い浮かべながら
今日という日を僕は過ごす。

https://fukko.yahoo.co.jp/?cpt_n=3.11&cpt_m=bnr&cpt_s=startpage&cpt_c=spapptoplink1st

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