【20240802】肩肘を張るな

暑くて疲れて楽しかった一日。
今日は珍しく真面目な用事があった。企業見学へ行ってきたのだ。けっこうなオフィスビルで、想像の3倍はデカかった。あるいはそれ以上かも。

こういう活動をすると、自分が「社会に溶け込んでいる」という実感を得られるのでいい。結果的に就職に繋がるかという以前に、「前進している」という感覚を味わえるのが精神衛生上とても効くのだ。

社会復帰以前に、こうして自己肯定感を上げるためだけに就活を続けたいとすら思える。「やってやった感」、言うなればやりがいってのは馬鹿にならんね。それで搾取するのは論外だけど。


SUMMITというラッパー集団?のテーマソングを聴いている。
活動内容やメンバーの詳細は一切知らないが、とにかく曲がいい。中毒性がある。

Spotifyをランダム再生していると、どうしても気分と合わない曲が流れてくる。それ自体は全く気にしていないのだが、作業などに集中するあまり、スキップするタイミングを失ってしまうことがある。
そうなるとダルい。序盤のスキップは気にならないけど、曲のリズムやグルーヴに乗ってしまった後だと飛ばしづらい。「これが聴きたい!」という積極的な曲変更ならともかく、「なんとなくこれじゃないな」という消極的曲変更には若干の後ろめたさがある。気分ではないだけで嫌いなわけじゃないし、倍速視聴とかで作品の味を損なっているわけでもないのにね。
(私は倍速視聴のアンチである。否定しないけど、できれば肯定したくない)

この後ろめたさは、おそらく自分の完璧主義に起因するのだろう。
曲をじっくり聴きこむべきだ、最後まで聴くべきだ、みたいな「よりよい鑑賞体勢」を自分に強いている気がする。その割に、普段は「ながら」で聴くことばっかりなのにね。

こういう「しっかり味わうべき」という思考、ただただ作品鑑賞へのハードルを上げるだけなのでやめたい。マジで百害あって一利なし。刹那的な快感もないから、なんなら煙草以上に有害かも。
この「べき思考」のせいで、アニメも映画も漫画も小説もインスタントに楽しむことがほとんどなくなってしまった。気分が乗った時に本腰入れて鑑賞しないと100%楽しめない、と思ってしまうというか。

作品の鑑賞体勢なんて、軽い気持ちで観始めて、段々熱中していくくらいがちょうどいいと思う。その方が気軽に、気楽に、より多くの作品を楽しめる。

こないだ実家帰った時、姉が「とりあえず序盤だけでも観るか」と言ってネトフリで『THE FIRST SLAM DUNK』を観始めた時はびっくりした。個人的には、いつかじっくり腰を据えて観ようと思っていた作品なので。
しかし映画が始まるや否や、姉も自分も熱中して観ていたのがすごい。いい作品ってのはすごいな。どんどん話に引き込まれるし、グルーヴが生まれていく。めちゃくちゃ集中して、手に汗握りながら観ていたレベルには面白かった。ド名作です。

ともかく、あらゆるコンテンツにおいて「とりあえず味わってみる」というラフな姿勢は、かなり有用なのではないかと感じた。肩の力を抜いて、まずは序盤だけでも観てみる。聴いてみる。読んでみる。それがより多くの作品に触れ、そして楽しむ秘訣なのではないか。

なんかめちゃめちゃ硬い文章になっちゃったけど、要は「肩肘張ってないでまず見てみろ」という自戒です。俺はいつになったらこの呪縛から逃れられるんだ。


ニコニコ動画の復旧が近くてうれしい。
なんだかんだ言われてた時期もあったし、自分自身も色々思うことがあったけど、それでも俺はニコニコが好きだ。めちゃめちゃ使いやすいタグ検索機能とか、コメントの一体感とか、ちょっとアングラなコンテンツとか。
見られなかった時期が長かったので寂しかったけど、もうすぐ復旧するようで楽しみ。プレ垢入って運営に貢献したいとすら思っている。

最初に何見ようかな。ベタだけど、ニコニコ動画流星群とかアツい気がする。中学時代、恭一郎が流星群を歌い上げる切り抜きを見て育ったので、今見たら泣いちゃうかもな。思い入れがすごい。

あるいはめちゃめちゃ逆張りして、ミーム系の動画を見るのもいいかも。雑多な繁華街みたいな治安の悪さがクセになる。まあこれに関しては遅かれ早かれ見るので、後回しでもいいが。


ドロヘドロ二期、とても楽しみ。近いうちに一期をもう一周したい。
なんかこう、雰囲気がすげえ刺さった。単行本は3巻までしか買えていないので、経済的に安定したらぼちぼち買い進めたい。

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