ブルーロック最新話286話までを読んでみて。ついでに推しであるカイザーについて触れる回。
①新しい視点、「エゴ」に着目した異色のサッカーマンガ!
ご存じの方も多いと思います。週刊少年マガジンで連載中の、超新感覚サッカーマンガ、それがブルーロックですよね。
多分私の記事に足を踏み入れてくださった方は、おおよそストーリーを知っていると思うので、その辺は割愛しますが、ここでは私が最新話まで読んで思ったこと、そしてカイザーという唯一無二の存在について(私的に)、少々深掘りさせて頂きたいと思っています。
まず、私が率直に感じたこと。このマンガはサッカー理論を謳うだけに留まらず、人間の生き方に影響する名言をたくさん残しています。
その理論の原点が、「エゴ」であり「エゴイスト」。
全員フォワードってあり得ないだろ、チームプレーの概念をぶち壊し、成立しない、などと言うのが一般的感覚だと思います。
私もそう思っていました。生粋のハイキュー!!ファンですし。
ただ、読んでいく内に考えが変わっていきます。
そしてなんと私、日本人の国民性にまで辿り着かせてしまいました!
ちょっと考えすぎだろ!と思う方、もう少し読んで頂けたら幸いです。
②先に円陣組んじゃってない?「個」ってなぜ後回しにされる?
私はカイザーの他にも好きなキャラがいますが、例えば蜂楽廻。
彼は逸脱した才能を持ちながら、周囲からそれを認められず、技術があっても孤立する幼少期を過ごします。
そんな中、彼は自らの心にイマジナリーフレンドを作り、その友(ある種自分)と闘い、闘った上で、主人公・潔世一に出会うんですよね。私はこの出会いは、蜂楽が一人でも闘ったからこそ生まれた出会いだと思っています。
エゴを育てた者が同じエゴを見つける、みたいな。
他にも聞き逃せない台詞を発するキャラクターがいます。糸師凛。こちらはめちゃくちゃ好きなキャラクターではないですが(ファンの方すみません、でも魅力十分のキャラです)、全国高校生ナンバワンプレーヤー。天才の部類の人間です。そんな彼、実兄糸師冴との確執があり(こちらも天才)、天才ながらも苦悩し、いつもイライラしています。口癖は「殺す」。恐いです。
しかしそんな彼、U20の試合途中、試合的にも精神的にも兄と対峙し、本質的な部分に辿り着きます。
「自分以外の何かに答えなんか求めるから、縛られるんだ」
凛は、ある意味不自由だったんですかね。この気付きをきっかけに、彼はそのまま覚醒へと向かっていきます。
これは主人公である潔世一も度々抱く感情で、私は自分の日常生活で置き換えて、この考え方に共感し随分と励まされました。
何か困難なこと直面したとき、ついつい他者の変化を求めてしまう。なぜ分からない?どうしてこう動く?そんな苛立ちとばかりと闘っていた。だけど凛や潔の言うとおり、思い通りにできるのは自分だけ。他者じゃない。サッカー理論としてだけではなくグッときて、何だか涙が出てしまったことを覚えています。凛は恐いですけどね(笑)
これは蜂楽とは逆のパターンで、共存の苦しみに抗った先にある(兄に固執しすぎた)、エゴだったのでないかと私は考えています。
そして、ここまでエゴを語ったからには、そろそろカイザーに触れましょう。いや、触れさせてください。
③ルッキズムを制し才能を制し、絶対的カリスマ性をも持つ、『ミヒャエル・カイザー』。
そんな彼が執着する勝利と、宝石のように光る孤独。
まず表題長い(笑)。私のカイザーに対する想いが出すぎですね。
言うまでもなく、カイザーに魅了されている人って、多いと思います。
※ここで少し注意書きとして記したいのですが、私は決してルッキズム至上主義ではありません。このマンガ内に置ける容姿への価値観、世界観を自分なりに捉え、「容姿」に悩む人が多い世の中、カイザーのように容姿に恵まれても、消えない傷があるという主旨に持って行きたいため、敢えてこう表現しています。
話、戻ります。カイザーの魅力って、何だろうなと考えた時に、私の初めての感覚は、本当そのまんま皇帝感でした。「皇帝感」なんて普段あまり使わないけれど、つまり無敵。ハイキュー!!で言うと及川徹感。呪術で言うと五条悟感。とにかく、強い。そんなイメージ。
だけどなぜでしょう。回を追うごとに、彼には何か仄暗さが漂う。隠しきれない暗闇。
読んでいる方はご存じだとは思いますが、カイザーには父親に虐待されていた過去があります。この凄惨な経験が、彼の人格形成に関わっているのは否めないと思います。そして唐突ですが皆さんに問いたい。
「悪意」って、一体どうやって生まれるのでしょうか?
カイザーは、サッカーで認められ始めてからずっと、相手を蹴落とすことに快感を抱いていました。けれど潔に出会って、その快感に終わりが来ます。サッカーに置いて、初めて負けの瞬間が近づく。
そのとき彼が思い出したのが過去の自分。そして自分に問います。
「本当に守りたい尊厳はなんだ?!」
これ、私はすごく考えさせられました。
尊厳とは、必ずしも一つではない。
尊厳とは必ずしもはじめから手にしているものではない。
カイザーにはそもそも尊厳はなかった。
虐げられ、その中で自分を守るために身につけた「悪意」。
自分を守るために望んで見つけた、悪意と言う名のエゴ。
カイザーのエゴは悪意。って言うのが、今までのカイザーだった。
だけどカイザーはもっと思い出します。
悪意でできたエゴを抱きながら、「仲間・共同体」を探した日々を。
そして見つけたのが、サッカーボールだった。
カイザーが自分で望んで手に入れたものは、悪意だけではなく、サッカーボールも然りだった。
ここまで、私の見解です。
だから、何て言うのかな、カイザーにとって「悪意」と「ボール」は相反するけど重なってもいて、
どちらの存在もあったから「勝利」に拘る。きっと快感を得るだけの日々には、自身の尊厳を忘れていた。忘れていたけど思い出す。思い出したらもう、勝つためなら何でも捨てられるんだなって。プライドも。ある意味負けも。(負けてないけど!)
結局じゃあカイザーの魅力って何だったの? ってなると思うんですけど、
敢えて言うなら、ストーリー性がある過ぎるんだけど、それを口にしない。
いや、自分の弱さや想いを語ることが悪いわけではなく、影あるキャラクターに魅力を感じる経験は多いけど、それとも違う。言語化が難しいんですよね。
私個人の意見だと、もらえなかったもの、持っていなかったものを、望んだ形で望んだ上で作る、という姿勢に魅力を感じているような気がします。
あと、次何を言うのかな?とか、どんなプレー見せてくれるんだろうなって、気になって仕方ないのが正直なところです。
カイザーのところ長くなりすぎました。すみません……
④日本人をよく表したストーリーと人間性
最後に述べたいのがここ。
このマンガは日本人の特性である、同調主義や集合主義、思考停止的傾向を、よく表していると思います。
チームになってからさあ頑張りましょうね、で個を育てるのではなく、
個を育ててからチームになる発想が、残念だけど、日本では出にくい。スポーツの場だけではなく、社会でも言えること。
絵心さんが計画したような壮大なプロジェクトは、どこでも簡単にできることではないけど、日本はどこでも、人を育てる余裕も根気もない。失敗したらはい終わり。それってどうなの?と私は思うのです。終いには、ミスが少し続いただけで、「あの人発達障害なんじゃないの?」とか言い出す。その言葉使いたいだけだろう、と思ってしまいます。治外法権を覚えたての学生みたいに。
絵心さんが一人ひとりに問題提起し、考えさせ、成長に繋げるというのは、どこのコミュニティでも少なからず必要だと思うのですが、資本主義が行きすぎた日本では、難しいというのが現状なのかもしれません。とは言えそう言い訳ばかりしていたら、やはり人は育たない。
金銭面でも気持ちの面でも、損をしたくない日本人の性質。
数百円単位、数センチ単位の損くらい許容しようよ!思っている筆者です。
ブルーロックを読んで、そんなことまで考えさせてもらっている私です。
さて物語はカイザーと潔のタッグで熱くなってきました。
これからまだまだストーリーは続きそうです。
また、何か思うことあれば、ブルーロック記事書きたいと思っています。
長い文章読んで頂き、本当に感謝です。
おわり。