冬萌

ここではエンタメ関係を主に書き記しています。 好きなのは、さだまさし、ベルサイユのばら…

冬萌

ここではエンタメ関係を主に書き記しています。 好きなのは、さだまさし、ベルサイユのばら、林遣都、映画関係など。 今のところ元気を貰った歌中心に書いています。

最近の記事

『終りに見た街』の街は果たして未来なのか

山田太一の原作を宮藤官九郎が脚色するというだけで期待値が上がる。 実は昭和と平成に2度もドラマになっていたのに全く見ていない。原作本も読んでいない。なので白紙の状態で見たのである。その為まともに食らってしまった、この作品のメッセージを。 主演が大泉洋って何だか軽い配役ではないかと思わないでもなかったが、逆にそれでこそだったのね、と思った。 そう、導入部では軽いSFのノリのように思わせながら、だんだんそれは違うのだ、とこちらが気づく仕組み。 このような物語でありがちなのは、主

    • 『今夜、宇宙の片隅で』にアンドレを見た

      現在TVerにて再見している。 当時、三谷幸喜が、シナリオ集をこの作品だけは出す、と知った時に、これは絶版になるかもしれないと思い買っておいた。このドラマが大ヒットには至らず一般受けしなかったのはわかる。私のような映画ヲタが見てる分には面白いけど、そうでもない人にしてみれば大して響かなかったかもしれない。 実は私の中でも、他の作品に比べて「大好き」とまではいかないんだけど、シチュエーションが私の好きな映画を踏襲してる部分など心くすぐられる。主人公を演じるのが西村雅彦という

      • 『スオミの話をしよう』の話をしようとしたらこうなった話

        最近、エンタメ関係で音楽以外の事を書くとつい文句タラタラになってしまう傾向があるのは認めます。とはいえ、好きなものが何だか変な方向へ行ったように感じるからなんだけど。愛は持ってるからこそ、そうなるのだけど。と思っているのだけど。 前に、私は三谷幸喜のファンである事について書いた。 なので当然のように新作映画を観に行ったわけである。 正直、前作と前々作は全く笑えなくて鮮やかな着地感も得られず消化不良を起こしてたので、今回も期待し過ぎないようにしようと思って臨む。 で、結論か

        • レモンを愛したいくつかの理由

          レモン、れもん、檸檬、Lemon…表記は様々あれど…たかがレモン、されどレモン。 子供の頃には、レモンスカッシュに代表されるような、レモンは爽やかさの代名詞的存在だと認識していた。まだ無果汁のジュースやソーダにしか触れてなかった身にはレスカは何だか眩しかった。 レモンは色も形も美しいし言葉の響きもいい。実際はあまりに酸っぱくて直に食べるなんて以ての外だったかな、それは子供だから。 でも歳をとれば酸いも甘いも噛み分けるようになる。その『酸い』の部分を担うのがレモンの役割かもし

        『終りに見た街』の街は果たして未来なのか

          LIVE IN 和歌山(mf記)

          和歌山に縁もゆかりもないけれど…竹原ピストルの『LIVE IN和歌山』のサビのフレーズにハッとさせられた。 私は、いわゆる精神安定剤の類が手放せなくなっている。医者はかなり弱い薬だと説明してるが、それすら減らすと調子悪くなってしまう。精神面で辛くなるというより体調が崩れるのだ。 効き過ぎて昼間眠いと思うことも時々あり、では少しずつやめようかとトライして、割とうまく行ったなと思ったところでまた体調崩し逆戻り、結局挫折する。 そんな弱い自分に嫌気がさす、その繰り返し。 でも

          LIVE IN 和歌山(mf記)

          おとなの掟(mf記)

          『カルテット』というドラマにはハマった。 登場人物が弦楽器の演奏する人達だし、キャストもたまたま『民王』を見て高橋一生よいな、と思ってたところだったし(もちろん他のメンバーも良い)何処かミステリアスな雰囲気も悪くないぞと思って見始める。 これがストーリー展開も面白いし軽井沢のロケーションも素敵だし勿論音楽も良いしで大好きなドラマになった。 しかも名台詞の宝庫である。 それがとってつけたような名台詞ではないのにビシビシ響いてくる。 最も有名なのは高橋一生演じる家森諭高の言う「

          おとなの掟(mf記)

          サンキュー神様(mf記)

          『茨にもきっと花咲く』という、さだまさしの歌がある。 若者の旅立ちへ年長者からはなむけの言葉を贈る。それは平坦な道ではないに違いない。茨の道であってもそこにはきっと花が咲くだろう、そう歌われている。 一方『サンキュー神様』という歌は、むしろ同世代、やはり平坦ではないだろう道へと旅立つ仲間か親友かに贈る歌のようだ。 茨の道を行くのかもしれないが挑戦する人がいて、応援する人がいて、その誰もが祝福されるに相応しくて、それを神に感謝するんだ、とそんなふうに聞こえる。 「大丈夫」と

          サンキュー神様(mf記)

          すべての山に登れ(mf記)

          『サウンド・オブ・ミュージック』という映画が好きだ。ただし観た回数はせいぜい3度ほどだろうか。 むしろサウンドトラック盤を凄い聴き込んで、ちょうど中学生だったのもあって英語の歌詞も一所懸命覚えた。このアルバムの半数くらいは暗記したと思う。 中には発音がよくわからない言葉もあったがなんとなく誤魔化しながら歌ってた。 『エーデルワイス』『ドレミの歌』『私のお気に入り』等など。 そして『すべての山に登れ』も。 この歌は修道院長がヒロインである若いマリアに諭すように歌う。 「夢を見

          すべての山に登れ(mf記)

          『その橋を渡る時』S記

          自閉症の娘は養護学校高等部を卒業したのち平日は福祉作業所に通うこととなり、当初は私が車で送迎していた。 朝、彼女を送り届けてから、その頃リリースされたアルバム『予感』をセットし、自分の職場に向かう。聴覚過敏のある彼女に配慮したのと自分が音楽を堪能したいのとがあったから。 橋、それは川ではなく線路の上の高架橋なのだが、そこに差し掛かった時にちょうど2曲目の歌が流れる。 そうして『その橋を渡る時』は偶然を装って私の心に沁み込んで来た。 夫が転職を決断し、娘の進路も決めなければ

          『その橋を渡る時』S記

          出会いはいつでも(mk編)

          偶然の風の中~♪ いわゆる推しの類に出会った経緯が自分は割とひねくれてるような気がしてる。 何においても一目惚れはしないタチだ。あとで気づいてハマることが多い。 三谷幸喜との邂逅もまさに、本当にあれは何だったのだろう、神の啓示か?と思えるような出来事だった(大袈裟やな) あれは1995年だったか、当時のNHK教育テレビで舞台中継の放送があった。普段そのようなものを観ないのに、その日は何故それにチャンネルを合わせたのか今もってわからない。 それが『東京サンシャインボーイズ

          出会いはいつでも(mk編)

          『関心領域』はアトラクションなのか

          『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観た時の衝撃を思い出した。 これはまさに体験というか体感する映画だった。序盤からもう既にスクリーンの中に入ることを強制されているかのように感じた。 映像そのものだけを追うとひたすら平和で整った生活に美しい庭、明らかに中流以上の恵まれた家族の姿が描かれてるのだが、音が不穏なのである。 その音とは塀の向こうにある強制収容所の作業音や発砲音や、ともしたら阿鼻叫喚かもしれない声だ。 他愛もない会話や暮らしがその中で延々と映し出されて行く。あまりにも

          『関心領域』はアトラクションなのか

          ベルばらと私

          王道、というものをあまり好まないタイプだと自分では思っているのだが、少女漫画界では王道中の王道である『ベルサイユのばら』が大好きである。それどころかベルヲタと化してしまった。 出逢いは週刊マーガレット。リアルタイムで読んでいた。ベルばらの連載が始まった時に小6で、終わったのは中1、それこそ思春期真っ只中。 魅了される要素は様々あるが、単純に物語の面白さにのめり込んだと言っていい。ちょうど世界史を習う年齢になってたので、1789年という年号だけはすぐにインプットされ、早くその

          ベルばらと私

          62番のバス(S記)

          『主人公』という歌は、さだまさしの歌の中でもファン投票で断トツの人気を誇る歌である。アルバムの中の一曲であって所謂大ヒット曲ではないにも関わらず。 ご多分にもれず私も大好きで、自分が死んだ時葬式で流してもらうならこれだ、と思っていた。過去形なのは今は葬式なんてしなくていいと考えているから。 歌詞の中にこんなフレーズがある。 「いつもの喫茶(テラス)にはまだ時の名残が少し 地下鉄(メトロ)の駅の前には62番のバス  鈴懸(プラタナス)並木の古い広場と学生だらけの街」 さ

          62番のバス(S記)

          『ありきたりな女』(mf記)

          椎名林檎嬢のにわかファンになったことがある。 『カルテット』というドラマにハマり、その主題歌『おとなの掟』の魅力にガツンとやられた。超絶格好良い。 その流れで遅ればせながらCDを数枚購入。こりゃあ痺れるね、と思う曲も幾つかある。 『赤道を越えたら』なんてとても惹かれた。男と女をこんな形で歌うとは。『おとなの掟』でも白黒つける云々が歌われ、対比を表現させたら林檎姐さんは天下一品なのではと思った。 ところで昔は、レコードやCDを買うとプレーヤーの前に正座して歌詞カードを見ながら

          『ありきたりな女』(mf記)

          『オーバー・ザ・オーバー』(mf記)

          ヨガ教室に通い始めた。 ヨガは以前も習ってたことはある。呼吸法でリラックスする方法を学ぶにはうってつけの教室だった。体がそもそも硬いのに加えて力を抜くのが下手らしい。自律神経も失調気味だ。 暫く通ったが家庭の事情などで辞めざるを得なくなり、その後コロナ禍もあって、たまにYouTubeで少しやってはみるが、こーゆーものは一人でやるとサボりがちである。そんな折、友人から誘われたのと時間的に大丈夫そうな教室があったので通うこととなった。 知らないで飛び込んだが、これはヨガという

          『オーバー・ザ・オーバー』(mf記)

          L島での休暇を夢見て(B記)

          ランゲルハンス島、行ってみたいような名前の島である。 村上春樹氏に『ランゲルハンス島の午後』というエッセイがあって、そのタイトルはなんだかのんびり過ごせそうな雰囲気を醸し出している。 しかし高校で家政学を勉強していた私は既に知っていた。 この島は世界の何処かの海にぽっかりと浮かんでいる島ではない。 膵臓の細胞のひとつで島のような形状をしているのだ。 つまり、この島は体内にある。 ランゲルハンス氏が発見したらしい。 不思議なネーミングと、父親が糖尿病だった事とセットで、記憶にし

          L島での休暇を夢見て(B記)