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IUとイ・ジウン(BAZAAR 2023.2.22)の記事翻訳

韓国の雑誌「BAZZAR」のWEB版に掲載されたIUちゃんの記事を翻訳しました。
インタビュアーの質問が的確で、あいゆちゃんの意図を汲みつつ思いを引き出していたのが素晴らしかった!!

(意訳含まれます。素人の翻訳につき間違いがある場合がありますがご了承ください。
翻訳の転載は一言お知らせください。)

IUとイ・ジウン

ただひとつの言葉で定義できない、この時代のアイコンIU、そして素顔のイ・ジウン


Q.今日の撮影は二重性をテーマに、IUとイ・ジウンという二つの顔を表現しようとした。余裕ある表情で撮影を終えられたが「今日の撮影は正直難しかった」と言っていた。

正直、GUCCIとの仕事はいつも難しい。実験的な服やシーン、メッセージが多いからだと思う。特に今日は私の別の自我を視覚的に具現化するという目標だった。ミラノでの2023 S/Sコレクションはかなり衝撃的で興味深く拝見した。その時の記憶があったのでコレクションからモチーフを得たという今回の撮影コンセプトを聞いて、簡単にはいかなさそうだなと思った。でもその分面白かった。このような濃いスモーキーメイクも初めての試みだったし、撮影の構成や小物、スタジオの空間まで色々と新鮮な企画に参加できて感謝している。

Q.最後のカットは濃いスモーキーメイクをしたIUさんが、すっぴんに近いイ・ジウンの張り紙がぎっしり貼られた壁の前にいるシーンだった。正直、壁の写真は今日の撮影分だとは思わず、「ペルソナ」の「ラブセット」のスチール撮影程度だと考えていたと。IUにいくつもの顔があるということは知っていたが、時間帯によって別の顔があるということを実感した。

さっき楽屋でうちのスタッフも似たようなことを言っていた。今は濃いスモーキーメイクをしたけれど、さっきは可能な限りメイクを落としたりして。朝なのでむくんでいたのが童顔の感じも出ていて(笑)功を奏したと思う。出来上がった写真を見て私も昔を思い出した。



Q.GUCCIと長い間パートナーシップ関係でいる。IUというアーティストの性格を考えるとGUCCIというブランドの哲学と価値観に賛同しなければできなかったことではないか。GUCCIとIUの芸術的ビジョンはどういう点で一致するか?

GUCCIは多様性を重視していて、精製されていないものから美学を追求するブランドだと思う。あえて私と似ているとするならその部分ではないか。私はやはり結論に到達しない、未完の過程から生まれる考えと感情を歌詞に溶け込ませる方法でつくるので。



Q.お話されたようにIUさんはいつもその当時の自身の姿を素直に表現する点で勇敢だと思う。芸能人として大衆には完璧に飾られた姿を見せなければという強迫観念はないのか?


昔は本当に何もわからなかった(笑)「今私の考えはこうです、今私はこういう歳です」と言わなければだめな性格なので話さずにはいられなかった。一方では昔から自分が完璧な人ではないという認識があった。それは真似をしてできることではない。この職業を生業にした以上、私としては勝負しなければなかったし私を加減なく見せることで手を打ったという側面もある。そのようにして始めたことが今にきて私を表現する方法のひとつとなった。

Q.最近の細かい活動も同じ流れなのか。ミラル学校の先生が学生のために歌った登下校歌でIUの声を聴くことができる。「夜の手紙」の作曲家キム・ジェフィさんがこの学校で勤務しながら感じたことを歌にし、これにフィーチャリングとして参加されたということで。

ジェフィさんは音楽的な才能を差し置いても大切な友達だ。初めは彼が学校で学生たちに教えると聞いてうまくいくのかと心配が先立ったのは事実だ。でもうまく社交性を生かし適応して「姉さん、学校に歌を贈りたい」と言うので感心したし応援したかった。正直、こんなに話題になるとは思わなかったけれど冗談っぽく「自分のアルバムより一生懸命やった」と言うほど一生懸命レコーディングした。学生たちが聴いて気分良く登校してくれればいいなと。元気が出るように。

Q.IUさんとパク・ボゴムさん、そして「サム、マイウェイ」の作家イム・サンチュンさんがタッグを組むということで話題のドラマ「本当にお疲れ様でした」がもうすぐ製作に入られる。この作品を選んだ理由は何か。


たぶん作品が公開されたら皆さんがこう思うと思う。「あ、私でもこれはやりたかったな」と。イム先生の前作があまりにも面白くて、しかもこの作品だけの新しい話もあって新鮮だった。ただの活字なのに人にこんな感情を与えてくれるとは、私はやはり文を読んで書くことが好きな人間として先生の才能が羨ましいほどだった。作品のテーマも良いが、重い話を重く感じさせず伝える点が特に良かった。

Q.IUさんが演じるエスンは「反抗しても声がヤギのように震える、貧しくもしっかりとした考えを持つ文学少女」だ。この作品が「ホテルデルーナ」以降4年ぶりのドラマ復帰作で、正反対のキャラクターという点でも注目されている。

「ホテルデルーナ」のマンウォルは確実に普通ではない人。でもエスンもやはり独特なところがある。エスンこそよくいる人物に見えるが、細かく覗き見てみると人間としての個性が際立っている人物というか。私はそういう性格の人に惹かれるのだと思う。

Q.ある俳優は自分が演じる人物に自分自身を探すというやり方で役に入りこむそうだ。IUさんはそういうタイプか?エスンとIUさんはどのくらい似ているか?

私が絶対に理解できない性格の人物も確かにいるが、もしそうであるなら快くその作品を選ぶことはできない。自信の問題だ。今まで私が演じてきたキャラクターはどの点においても理解できる人物であったという証明でもある。そのなかでもエスンはこれまで演じてきたどの人物よりも私と似ている。イム先生は観察力が素晴らしい。私が持っている、しかし表には出していない特徴を人物に溶け込ませたいと仰った。実際に台本を見て「あれ、私にもこんな一面があることがどうしてわかったの?」と思ったほどだった。



Q.「マイディアミスター」から「ホテルデルーナ」、「夜明けの詩」から「ベイビーブローカー」、「ドリーム」。ドラマであれ映画であれ思いきってその次に進むというか。前作とは違う作品、違うキャラクターを演じるのは作品を選ぶ際の第一の基準なのかと思うほどだ。

ロングヘアも長くしていると染めたり切りたくなるものではないかと。基準ではないが、ほぼ数ヶ月以上その人物として生きたあとは別のことをしてみたいというのが無意識に働いているように思う。

Q.ボブもしたいしショートカットもしたいがもしかしたら自分には合わないかもと、ずっとロングヘアを貫く人が大半だ。

でも私はしたいことがあるならとりあえずしてみる。しないで後悔するより、して後悔するほうがよっぽど耐えられる。

Q.俳優としての自我と歌手としての自我を切り離すのは違う、と考えているように思う。コンサート前日とクランクイン前日の心理状態は同じなのか違うのか?


コンサートの舞台は観客が記憶を消さない限りは、たった一度の機会しか与えられない生放送と同じであるなら、撮影現場は監督や相手の俳優とその場その場で意見を交わすことができるし、何テイクも撮るチャンスがある中から最も良い結果を観客と共有するという点で同じ前提ではないように感じる。でもコンサートでは始まってからしばらくは緊張感で一人だと感じた末に観客とひとつになって胸がいっぱいになる瞬間があるし、撮影現場では多くの人が同じ目的を持ちひとつのチームになって動いているのを見ると、私たちが一緒に呼吸を合わせているのだということに気付く瞬間があり、それがとても似ている。いずれも私ひとりでは成し遂げられないという点でとても魅力的だ。歌を歌うときであれ演技をするときであれ、私はただ一瞬一瞬自分の役割に最善を尽くす人になるだけだ。


Q.昨年デビュー14周年記念のコンサート「The Golden Hour オレンジの太陽の下」で「10代のときから私が挑戦し駆け抜けてきた舞台が本当に最後の到着地だと思っていたが、今この瞬間が新しい出発点、新しい始まりになるだろうという希望が見えた」と話した。本来どこであっても定着すれば楽であるものなのに、絶えずどこかへ歩もうとされている。どこへ向かっているのか?その先には何があるのか?


20代のときはその「方向性」に対する考えにとらわれて生きていたといっても過言ではない。それはその当時の私にとって「血が騒ぐような」テーマだったというか。その強烈な悩みは楽しくもあったが正直疲れることもあった。30代になってからは特に方向性を念頭に置いていない。私もこんなことは初めてだ。


Q.今IUさんは浮遊しているのか。

その表現が正確だ。浮遊している。これ自体が30代である今の方向性にもなっている。去年ずっと「この気持ちを維持したい」「こうやって生きるのが楽しい」と思った。一方で心が楽になったこととは別に、面白いイベントがたくさんあった一年でもあった。20代のときにずっと「私が何かを逃すと世の中がいつも別のものを手に握らせてくれる」という考えに縛られていた。でも必死に握りしめていたものをパッと放してみたら世の中が持たせてくれたその「別のもの」は意外とこういうことだった。心を空っぽにすると世界が面白いもので満たしてくれたのだ。後々もっと歳を重ねて振り返ったとき、私の30代には栞が挟まっているのではないかと。

Q.振り返ってみると、これまでの14年間IUさんは歌やコンサート、ファンの方々とコミュニケーションをとったりいつも何かをしていたという印象を受ける。あなたにとっての休むこととは何か?

正直、休むという概念がよくわからない。体が休まっているからといって特にリフレッシュされたという感じはしない。広い意味での休みがストレス解消やリフレッシュだとするなら、私の中に溜まっているものが最もすっきり消えるのは逆説的に見ても仕事をするときだ。快感を覚えるほど自分も満足して仕事をやりきったとき。そういう時は何日も家で横になっている時よりはるかにすっきりした気持ちになる。そうでなければそもそも仕事の考えをしないというほど没頭できるものがあればいいのだが、私の場合は仕事と同じくらい好きなことが多くはない。今思い出せることで言うなら、寝るとき、ユ・インナさんとおしゃべりをするとき、私をよくわかってくれる友達や恋人とたわいもない冗談を言いながら笑うとき、人生史上最高の映画を見返すとき、本当に美味しいものを食べる時、そのくらいだ。生きていると私のように精神的な休息がそんなに必要ない部類もかなりいるみたい。でも体力はまた別の話なので、30代を迎えてさらに走り抜かなければいけない時のためにも自己管理をしようと努力はしている。休めるときにできるだけ横になって過ごそうと(笑)。

Q.そのコンサートで「今日という日を刻んでさらに14年進んでみます」と言われた。14年後の姿を具体的に想像したことはあるか?

当時の基準で44歳の自分を思い浮かべてみると・・・変わらずに仕事をしていると思う。それ以外のことは正直よくわからない。「私は変化する人」という前提の上で見るなら。たとえば14年前とは今の私を構成する考えが全然違うから。

Q.変わるということは柔軟だからかもしれない。率直に、死ぬまで変わらないと信じているほうだからか?


その言葉にもほぼ同意できる。でも14年前の基準で言うなら私は競争は嫌いだし勝負を避ける人だった。当時の日記を見ると「私は競争社会がとても辛い。勝負欲がないから心配だし、勝負するのは嫌い」と書かれてあった。でも振り返ってみると、デビュー後14年ずっと勝負を楽しんでいた。実は勝負に夢中な人だったんじゃない?と思うほどに。もしかしたら勝負欲があるということに気が付かなかったりわざと否定したかったのではないかと思った。

Q.どちらにしてもデビュー間もない少女が「私は競争が嫌い」と日記帳に書く姿は可哀想に思えるのだが、今とても変化されたIUさんがその当時のIUに伝えたい言葉はあるか?


あなたは実はあなた(自分)のことが大好きだよ。



Q.「世界に嫌気がさしてても人同士は愛し合いながら生きてほしい」と話されたことがある。余裕のない世の中において自身が好きな信じる希望とは、変わらずに愛なのか?

言葉で言うのは恥ずかしいが、それでも愛が憎しみに勝つと信じている。結局は愛は勝つ。重心を失い揺り動くときも「でも結局愛が勝つのに」と繰り返し、論理を整理したり思考の筋肉を育てたりして心を落ち着かせたりする。愛が勝つという命題は私の人生を通して十分に経験した。これからもそのように信じようと思う。

Q.シンガーソングライターは自身の考えと感性を音楽という結果物として作り出すことができる点で幸せな人だ。特にIUさんの音楽で歌詞がどれほど重要な位置を占めているのか理解している。最近IUさんの頭の中に浮かんでいる歌詞は何か?

呆れられそうだが、今さっき記者さんと話したことについて書いている。実は浮遊という言葉が出て、内心すごく驚いた。目的地なく宙に浮くこと。次のアルバムのテーマになりそうだ。

Q.「二重性」という今日の撮影コンセプトで再び振り返ると、アイコンとしてのIUと一般人であるイ・ジウンはふたつの自我を両方忠実に生きている感じを受ける。このバランスはどのようにして維持しているのか?

少し不便ではあるが私を輝かせてくれるきれいな服と、少し平凡ではあるが私を自由にしてくれる楽な服を時期に合わせて脱ぎ着しながら、一瞬ごとに適度に満足し、また適度に警戒することがバランスをとる方法だと思う。私は輝く時もあれば平凡な時もあるという当然の事実を自然に受け入れている。

Q.「私の日記帳のなかにあるすべての言葉を取り出すことはできないけれど」今のIUを説明できる一文は何か?


「その子は花ではなく胞子として生きることにした」

#IU #韓国語 #翻訳

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