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太陽(価値観)を直視するためのワークをして。

昨日読んだ本、
『あっという間に人は死ぬから』(佐藤舞さん著)の本にあった、価値観を見つけ出すワークを今日は行いました。

少しネタバレになりますが、、(すみません💦)
本の中では、「死と太陽は直視できない」もので、回避しがちになる人が多い、、とも書かれてました。(※ここでいう「死」は、人生の中で避けられない3つの真理である「死、孤独、責任」をまとめて象徴してます。)

そして、心の底からの本心の価値観もまた太陽のように眩しくて直視できないこともあるそうで、自分の気持ちに蓋をして嘘をついて、良いように言い訳して、テスト前に部屋を掃除したり、万年起業準備中だったり、貯金のためと…仕事にのめりこみ忙しくしたり、、、こういう本当の価値観とずれてる状態を「自己欺瞞」というと書かれてありました。

仮のでもいいので、現時点の自分の価値観を導き出すワークも細かく丁寧に書いてありまして、
回避行動の多い自己欺瞞だらけであっただろう私は、自分の人生の車輪を回す原動力になる価値観の太陽を直視したく、今日はiPadのノートに目一杯、正直に細々と書き出しました。


驚く言葉も色々でてきましたが、それでもやはり、なるほど、、、やっぱりそうなのね、といった太陽が見えてきました。


ワークでは、
過去に起きた困難な体験を振り返るワークや、
15歳以下までくらいの子供の頃を振り返るワークなどがありました。

困難な体験のワークでは、
・その体験から何を学んだか、
・またその困難な体験を通じて何があなたにとって本当に重要だと感じたか、
・あなたの人生にどのような意味を持っているか、
・その時とった行動や価値観は何でしたか、、などなどたくさん書き出しました。
(少し、、ほろりと涙もでました。やはり太陽を直視するのは痛みが伴いますね。笑)


子供の頃を振り返るワークも。
・1番楽しかった思い出は?
・家族や先生から褒められたこと
・どのような友人や大人に影響を受けたか?
・夢中になったことや熱中した活動
・家族や教育環境が価値観にどのように影響を与えましたか?
・子供の頃の夢
・子供の頃の困難や挑戦

などなど。。なるべく丁寧に思い出して、でもシンプルに箇条書きで書き出しました。


私は子供の頃、とある習い事をしてました。
上は大学生から、下は0歳児の幼児まで縦長で活動してました。第二の家族と呼んでいた大好きな居場所でした。

今で言うと、「サードプレイス」という呼び名があるのかもですが、当時はその呼び方は知らず、自他共にみんなで「第二の家族」と自称してました。

家族の安心は一番の基盤でしたが、
家でも学校でもない、心許せてゲラゲラ笑いながら毎週の活動を楽しみに通えた居場所があることがとても楽しく、また心の安定にも繋がっていたと思います。

子供の頃の価値観としては、
サードプレイスも家でも居場所を失いたくなく、
壊したくないくらい大切な場所や関係性など、維持するためには自分の思いも主張もなるべくしまっておくことだと思ってました。

でも、浪人を経て、大学へ進学したり、大人になっていくにつれて、私もひとなみに沢山の困難を経験し、身体も心も壊すことも経験しました。ますます思うようにいかなかったり、でも悔しいことにも、全ての資本は強く健康な身体と、そして、安定した心の状態だったり。。

「憎まれっ子世にはばかる」とは言いますが、
嫌な人が去る事はなく、また他人を変えることもできず、自分の穏やかで楽しくいられる場所に環境を変える選択をすることも選択肢のひとつと知ったり、環境を変えたからこそ出逢えた大学時代のかけがえのない苦楽を共にした仲間たちもいたり。どう言うわけか、たくさん健康にも悩まされました。

そして他に大きな困難は、やはり家族の他界でした。30代の頃に、次々に祖父母も、親も、親の姉や弟など、、親や親戚との死別と法事が相次ぎました。

準備期間は多少あっても、その日は突然なので、生きてる内にしか会えない、伝えたい言葉も言えないということを痛感しました。また残されて生きている家族とのこれからの時間の大切さも感じられました。

子供の頃は、壊したくないために主張しなかった私ですが、こういう経験を重ねてきた今現在は、
関係性はお互いの努力や歩み寄りで育んでいくものだとも、薄々気づいてきました。たとえ、一時的に壊れても誠実に接していけば、生きていれば、きっと修復できる時もくるし、挽回も、フレッシュスタート(再スタート)も可能で、何度でもやり直せると、私のヨガの先生からも学び、相変わらずの七転び八起きの日々です。

とはいえ、思いやりの気持ちはとても大切だと今も思ってまして、(人間関係に悩んできた荒波の中で、私自身の失敗も多々ありましたが、やはり心無い言葉を投げてしまう人にも自分にも非常に違和感がありました。)自分のケアをし、余白をもたせることがとても大事なことも、なかなかに痛感してる日々です。

「人にやさしくあるために、まずは自分をケアし、自分の心身をしなやかに強くしていきましょう」というコンセプトのOM YOGAという根本仏教の哲学をベースにしたヨガには、惹かれるべくして惹かれ、魅了された、、、と頷けて、納得でした。

また、子供の頃の夢として、
・ペットショップの店員(幼稚園の時)
→犬も猫も苦手でしたのに、人に言う時にかっこいいからと、人の目を気にしてたのはなんとなく覚えてて、、幼児ながらに、今の私の原型だと思い出しました。笑

・テニスの選手(小学生)
・スポーツ選手(中学生)
→可能性の難しさも理解してきて、ちょっと曖昧に。。また、親からの「スポーツ選手は、怪我したら終わりだからダメ」ということで、その先目指すことも、努力することもなく、諦めるように。

・体育科の教師(高2や高3の頃)
→同じく、家族の怪我したら…の助言の下、教育学部の体育学科を目指すのはやめました。

・その後、夢なし。
→自己欺瞞の人生の始まり?

でしたが、目指すこともしなかったことも
少し心残りだったので、やはり、今ヨガの先生として、惹かれるべくして魅了されたのかもなと
これまた少し頷けるというか、納得でした。

サードプレイスの話に戻りますが、
私は、ヨガの先生を目指してく中で、
自分で開催するクラスより、スタジオでの勤務を希望してました。

もしかしたら、これも失敗するのが怖くて、少しでも安定を目指す「自己欺瞞」のひとつだったかもです。。

でも、今は少し目的が違います。
最終的には、自分で開催するヨガクラスで、いつでも気楽に出入りできる「サードプレイス」を作ろうと価値観が定まってきました。

なので、スタジオ勤務をまた希望してもいるのですが、指導やクラス進行についての経験を積み、学ばせていただきたいとも思っています。

私のたくさん学ばせて頂いてきた、ヨガスタジオや昔の第二の家族の習い事の先生のスタンスのように、誰にでもオープンで、いつきてもこなくても大丈夫な、そんな練習の場所を作り、
今度は自分で運営していければとてもいいなと思ってます。

その為にも、さまざまな努力を、、重ねなくてはなので、頑張っていこうと思います。
お金も貯めたり…笑💦

価値観も修正できるものなので、現時点の価値観になりますが、ちょっと書き留めておきたいと思います!

また、習い事の国内交流のキャンプや、合宿、学校行事でも修学旅行やセカンドスクールなど非日常のイベントがとても楽しく、大事にしてきた活動や思い出でもあるので、
たまに、野外活動として自然の中でヨガしたり、、、リトリートに行って羽伸ばしたり、、

そんな運営がいつの日かできたらとても楽しそうで、楽しみです😊

だけど、OM YOGAの別名でもあり、
大切にしてる考え方の、
「Ordinary Magic(日常の中にある魔法)」という精神に反しない程度。。かなと、塩梅をみたいと思います✨🏝️

(リトリート運営までこぎつけるのには、なかなかにハードル高そう。。遠い日に向けて、今を積み重ねて、一歩ずつ歩んでいきたいと思います。がんばります😊)

想いや、価値観を定期的に見直し、
ブラッシュアップして
温めていこうと思います。✨

太陽は眩しい。
でも、目指して歩けたら楽しそう。😊