超年下男子に恋をする㉟(彼の誕生日プレゼントに「忘れられない思い出」を)
12月、彼の誕生日。
その日もやはりバイトだった。
ラスト作業が終わって着替える頃には日付が変わり、私が一番に「おめでとう」と言った。
日付が変わった瞬間彼は両腕を振り上げて
「21歳になった!」
と叫んだ。
いいなぁ、誕生日に年齢を堂々と言えて……。
私も実は夏にバイト先で誕生日を迎えていた。
でも誕生日と言った途端、男の社員に取り囲まれて、「実際いくつなの?」とか「40いってる?」とか、とにかく実年齢を探ろうとされてうんざりした。
本当にどうして日本という国は実年齢にこだわるのか。
芸能人とか歌手とかいちいち年齢出す必要ある? 若い頃と比べなければ、今も商品価値のある美しさなのに「劣化」とかわざわざ叩くのは悪意以外の何ものでもない。
芸能人じゃなくたって、若く見えたら見えたらで、「その年ですごいね」とか「若作り成功」とかどこか嘲笑を含んだ言い方をされる。
だいたい「若いですね」ってのが褒め言葉って何なの?
「素敵ですね」とかでよくない?
何その若さが正義みたいな大前提。
美魔女も美女でよくない?
姫みたいな見た目のママでも姫ではなく魔女前提。
誕生日にしても、年を取るとうれしくないって人もいるけれど、私はこれはちがうと思う。
誕生日は生まれてきたことに感謝する日で、重ねた年齢はここまで生きながらえてきたことへのありがたさ。
私は若くして亡くなった同級生や友人の年齢を思うたび、今自分が生き続けている日々は、彼らが生きたくても生きられなかった時間だと痛切に思う。
二歳の娘を残して病で死んだ高校時代の親友が、娘の成長とともに重ねていきたかった時間の積み重ねが今の私の年齢だ。
なのに若さ偏重主義のこの国では、老いは恐怖で、女は若くなければ価値はないとでも言わんばかりだ。
でも私もその呪いの真っ只中にいる。
彼に愛されない。恋愛対象外。二十歳じゃないから付き合えない。
それだけでもう私は私の年齢を否定して、まるで犯罪者が罪を隠すかのように年齢を伏せている。
今の私はこれまでの時間の積み重ねによって熟成された私で、若い頃の情緒不安定な自分より今の自分の方がずっと好きだと思えるのに。
彼に愛されないからって私の価値が下がるわけじゃない。彼に愛されないからという理由で、私自身が私の価値を若さに求めているからこんなに苦しくなるのだ。
でもそもそも私は「愛されたい」ということよりも「愛せる」ことに喜びを感じていたはずだ。
元旦那との関係が壊れて、愛されなくて、愛せなくて。愛されることを条件に愛してたのかとすら思って、自分は人を愛せないんじゃないかと思ったりもした。
でも私にとっての彼は、ただただ愛しい存在で、愛されなくても、愛することをやめることはできなかったし、何があってもどんな時でも私は彼を許したし、助けた。突き放すことはたぶん一生できないだろう。
これはもう母親に近い感情なんだろうか?
でも恋だった。恋してた。
だからこそエゴとの葛藤に苦しんだ。
彼を煩わせたくなかったし、傷つくなら自分でよかった。
彼には笑っててほしかった。彼の幸せを守りたかった。
彼の隣にいると優しくなれた。
まるで空気清浄機みたいだと思った。
嫌な気持ちも一気に晴れて、ただただ愛しさで満たされた。
私にとって彼は温かい。
私でも人を愛することができるんだ、大事にすることができるんだって初めて思えた。
だから出会いに感謝したい。
存在してくれることに感謝したい。
そんな彼がこの世に生まれた日。
生まれてきてくれたことに感謝を込めて、
私から彼へのプレゼントは「思い出」だ。
それは冬の花火の思い出。
夏に買っておいた花火を冬にやろうと思った。
二人きりよりほかの人もいた方が喜ぶだろうとリョウも誘った。
でもリョウは当日風邪をひいてしまい、参加できず。
男子はいた方がいいと思ったので新入社員男子の健も誘ったけど、その日は彼女と予定があるという。
男子ではないけど、ミワが行きたがったので連れていくことにした。
花火をしに行く前に健を送ることにしたので、まずは車内で乾杯。
私はお祝いのためのスパークリングワインと紙コップを用意していた。
スパークリングワインを飲むのも彼は初めてだという。イタリアの甘めのスプマンテにしたので、案の定彼は喜んで、
「日本酒よりおいしいですね!」
なんて言っていた。
お酒は飲めないと言うミワにも
「お祝いだから一口だけでも。乾杯つきあってあげて」
と頼んでコップに注いだ。
ミワの分を用意しようとしたり、健に注いであげたりと、彼は気を遣っていたが、一番に彼に注いであげた私に対しては
「あ、山田さんは、運転だから水でも飲んでください」
と相変わらず失礼。
「いいよ、私は空きボトルもつから」
そう言って、私がボトルを手にしたところで乾杯。
みんなでバースデーソングを歌って、「おめでとう!」と祝った。
「僕、こんなふうにお祝いされたことない!」
と彼は本当にうれしそうだった。
その顔を見て、私も本当によかったと思った。
やっぱり私と二人きりより、他の人もいた方が楽しそう。
みんなで祝ってあげようと決めた私の選択はまちがってなかった。
そしていよいよ冬花火。
今思えば、季節外れの冬の花火は、超年下男子に恋をした私の恋心のようだ。
そしてこの時も願っていた。
どうかこの冬の花火が彼の中で美しい思い出となりますように。
彼が生まれてきたこの日に彼が喜びで満たされますように。
ところがこの冬の花火は想定外のことが起こり過ぎた。
今もまだあの日の火花が鮮やかに脳裏に蘇る。
胸を焦がす想いと共に。