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社寺検分のすゝめ -高野山・徳川家霊台と奥の院-
高野山探訪のお話、最後は徳川家霊台と奥の院です。
11時現地到着、大門から昼食休憩をはさみ壇上伽藍、金剛峯寺と駆け足。
時刻は15時、ぼちぼち帰る算段をしながらも奥の院まで行ってみました。
徳川家霊台
さて、徳川家霊台。
徳川家康と秀忠をまつる霊廟建築、俗に言う「お霊屋」です。
祖先または特定の人物の「みたま」のための礼拝施設ですね。
日本の霊廟建築といえば「北野天満宮」「大宰府天満宮」「高台寺霊屋」「日光東照宮」「徳川家霊台・霊廟」です。
人から神になった菅原道真・豊臣秀吉・徳川家康の御三方。
この中で現在も手厚く修理・保護されているのが徳川関係ですから、恐るべし江戸幕府です。
そう言えば次の大河ドラマは「どうする家康」。
タイトルに「どうした、大河」と心中で一瞬つっこみましたが、新しい家康像のドラマなのでありましょう。
この検分時、ちょうど司馬遼太郎の「関ケ原」「城塞」と読み進めていたために「徳川家康」に対してナナメな見方が入っており、続いて「太閤記」を読んだ今、司馬史観がぬぐい切れずであります。
話はかわって、
検分できない天候と言えばもちろん雨天です。
それに加え、晴天もやや困りもの。
まぶしい。そして色と形が見えない。
ありあまる光量ゆえに見えない。
スケッチもそうですが、日ごろの行いが良すぎると現地で目を細める状況を招きます。
加えて太陽の位置が低い季節柄、えらいコントラストが出現。
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何が言いたいかと言いますと、
ぜんぜん検分写真が撮れませんでした。
そのわかりやすい例がこちら。
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周囲の彫刻が完全に埋もれました
紅葉撮影大会をしているあたりから、うっすら気付いてはいたのですが
まぁ雲がなくなっていくこと…
晴れ渡る空、冴え冴えとした清々しい気候、
埋もれる彫刻。
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手持ちデジカメのオートで撮っているので仕方ありませぬ
そもそも霊廟にレンズを向けて良いのか。
私個人は「目的と礼儀と心構え」を持っていれば、建築外部に関しては断りを入れずに撮影して良い、と思っています。
勿論、撮影禁止の札や注意をうけるような場所では外部もしませんけどね。
帰宅後に明度調整しないとなぁと思いながらも
「あ、もうこれ撮影してもキビシイ」と途中で諦めが入ります。
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そして手前の蟇股(虎)がハレーションを起こす
なおかつ徳川家霊台は小さな敷地ながら人の出入りが多く
「鬼のように撮る」ことが憚られたため更に諦めが入る。
気分は「謀ったな、家康」である。
そんな時はそっとカメラをしまいこみ「心のシャッターを切る戦法」です。
現場でまじまじと見ながら感じたことを大事に持って帰るしかない。
まぁ、快晴すぎて目視もキビシイ…
東照宮系の建築全般に言えることですが、
非常に精緻に部材が組まれており、隙間という隙間を許さない気概を感じるほどに彫刻での埋め尽くしがなされています。
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THE東照宮形
この組物の間の三角スペースに彫刻をきっちり入れ込むスタイル。
東照宮の力の見せ所です。
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豪華絢爛です
また、こちらの組物も非常に東照宮らしいギッシリ感。
組物から斜めやや下さがりに出る「尾垂木」が
霊獣(獏さん)になっているのもミニチュア東照宮のような意匠です。
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高野山霊台の現状は素木で何も塗装されていませんが
当初は拭漆だったようで、鼈甲仕立てのような外観だったのかもしれません。
他にも東照宮系らしいポイントを紹介しますと、
例えばこちらの腰板に施された彫刻。
(格狭間彫刻という扱いで良いのか、パッとわかりません)
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金具の仕様もいかにも東照宮です
こうした板面、板のまんまにしておいたって良いのですが
徳川幕府においては埋め尽くすのみです。
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扉の板面に隅金具・細かな麻の葉文様での地紋彫り・浮彫は龍、そして総箔押しと生彩色
高野山霊台は秀忠の死後、1633年から10年かけて建てられたようで
1636年造替の日光東照宮と時期が重なります。
日光東照宮の彫刻には意味合いが明確についていることが多く、
有名なのが初代・家康の干支「虎」と2代・秀忠の「兎」、3代・家光の「龍」。
この3動物(霊獣)自体は、一般的によく用いられるモチーフですが
初代から続く干支の流れを重んじた配し方をしているのが東照宮の特徴で
東照宮において龍と虎が争う「龍虎図」が用いられない話は有名です。
今回の霊台でもその意図は如実に表れていまして。
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先の家康霊台はもちろんの虎で、こちらの秀忠兎を見守る形でも脇に虎を置いています
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浅間神社・秩父神社・少彦名神社等の兎は野兎で、このあたりもまたまとめたい
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多かれ少なかれ社寺彫刻のモチーフは意味づけがあるものですが
東照宮系は解説書もあり明確に打ち出されているため楽しみやすいです。
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縁板木口も金具なあたりがセレブリティです
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板面の空間を許さない彫刻たち(上段は鳳凰・下段は蓑亀)
小規模ながら日光東照宮での「満腹感」を思い出しつつ霊台を後にします。
最後に向かうは奥の院。
と、言いましても奥の院は「撮影禁止」エリア。
せっかくなので行ってみたいという気持ちのみで、いざ。
いや、すごかった。奥の院、非常に独特です。
彫刻が、とかではなく独特なエリアでした。
「奥の院なんだもの、当然」とも思いますが、なんでしょう、
立派に奥の院でした。(ちょっとどう言って良いかわからない)
平たく言うと「墓地・墓所」です。
ただ、弘法大師御廟に辿り着くまでの歴々たる墓所・墓碑・慰霊塔の数々。
戦国大名から、関東大震災・阪神淡路大震災・東日本大震災の慰霊碑、芸能業界の著名人、大企業の創始者・従業員慰霊碑などなど。
今も昔もこの場所に、死後の世界や供養を託している人がいることを否応なしに感じさせられる光景です。
豊臣家・織田信長・上杉家・伊達政宗・明智光秀・石田光成・薩摩島津家…
また天皇家の髪供養など。
企業墓でインパクト大は社団法人 日本しろあり対策協会の
「しろあり やすらかに ねむれ」でしょう。
言葉を選ばずに言うなれば、非常に面白い場所でした。
高野山に赴かれた際には是非とも足を運ぶべしです。
途中、撮影禁止ではないエリアで彫刻撮影。
頌徳殿正面に蟇股と欄間と兎の毛通しの彫刻を発見。
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兎の毛通し(唐破風の懸魚)は鷹と松。
奥の欄間は雲で、蟇股は流水です。
1915年に高野山開創1100年の記念事業として新築され、高野山では数少ない大正時代の建築です。
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見切れてしまいましたが、虹梁にかかっている白い紙は開運切り絵で
「吉祥宝来」というもの。
高野山では日照時間が短く稲作ができないため
藁のしめ縄の代用としてこうした切り絵を飾るとのことです。
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この欄間彫刻には箔押しと淡い彩色がされていました。
ただ、なんの鳥かなんの花かわかりづらいところ。
鳥は冠羽と尾羽の形状から、8割方「錦鶏」と思われますが
花の方は「花木」としか言えない彫りです。
錦鶏との組み合わせで考えると「椿」イメージのような気もしますが…
そんなこんなで無事に奥の院まで検分し、帰路につきました。
帰りも運転はCさん。
道中の鑑賞映画まで持参して頂くという、いつもながらのおもてなしに恐縮しつつも(AさんBさんは後部座席で就寝)
またこの作品(「French Kiss」1955年アメリカ)が面白くて…
すっかり集中して観ている間に京都へ到着でした。
道中に検分の感想を述べあうでもない、非常に気まま気楽な社寺研です。
というわけで、4回に渡ってお送りしました社寺検分・高野山。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
今後の検分予定は特にありませんが
良いまとめにもなるので、これまで検分したところをチラホラご紹介できれば良いなと思っています。
それではまたの機会に。
おまけ
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私的に非常口のピクトグラムよりも無味無臭なキャラだと思いました
悟りきったデザイン
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おそらく実寸模型の意味合いで設けてあるのだと思います
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