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紙の箱

今日は面会のために朝から準備した。と言っても朝ごはんを食べて身支度を整えるだけなのだが。

今日は結構パッと目が覚めて、昨日のコンソメスープを温め直して飲んだ。ウインナーが何度か温め直した時の独特のふにゃふにゃ状態になっていて残念だった。

長く電車に乗るので、カバンに本と手のひらサイズのぬいぐるみを詰めて家を出た。ぬいぐるみは応援団。

通勤で乗る電車と同じなのだが、今日はその先まで。実家に帰るために電車に乗るのは久しぶりなのでもっと勤務先から先の方だと思っていたが、案外数駅だった。そこからまた乗り換えてローカルな電車に乗るのだけど。

電車に乗っている間はひたすら本を読み、スマホをたまにいじり、缶のココアを飲んだ。後半めちゃくちゃトイレに行きたくなって焦ったけど、大丈夫だった。

父と母と共に昼食を買い、久しぶりに実家でお昼を食べ、テレビを観て、祖母の入院している病院へと向かう。二人までしか入れないため、私と母が面会に向かった。

病院へと向かう車内で「おばあちゃん、38キロだって」と聞いて驚いた。もともと祖母は結構恰幅が良かったから。とはいえ数年病と闘っている祖母を途中まで見ていたので、確かにそういう体重になることもあるか…と思ったりした。

私は母の話を聞きながら、祖父が亡くなる直前の姿を思い浮かべていた。祖父は一気にガンが進行して、父母が私たちにその事を話す頃にはかなりやせ細っていた。太ってはいないものの、骨がしっかりとしていてのしのしみんなの先を歩く祖父がガリガリになって話も出来ない状態になっていたのはかなり衝撃的で、私は当時涙をこらえることが出来なかった。

祖父に会う前の車内の中でも、父に「泣いたりするなよ」と釘を刺されたことを思い出す。今回の母の方が言い方はソフトだが、きっと同じことを言っている。やだな、という思いを振り切れないまま病院で受付をし、検温など手続きを済ませて病室に入った。

祖母ははじめ私を見てもピンと来ていないようだったが、母から「ふゆが来たよ」と言われると恥ずかしそうにはにかみながら髪の少なくなった頭を撫でた。一度抗がん剤ですべて抜けて、薬をやめたことで生えてきた、柔らかそうな髪だった。身体を守るために薬を飲んでいたのに、その薬をやめたら髪が生えてくるとはなんという皮肉だろう。

祖母は確かにやせ細っていたが、母から聞いていたよりも元気そうに話してくれたことが救いだった。ただ、2人きりになってしまった時になにを話せばいいかわからず、黙ってソワソワと目線をさ迷わせ、祖母もじっと静かに虚空を見つめる時間があり、それが苦しかった。私は普段からこういう空白を生み、そういう空白を埋める手段を持たないのだが、なんだか私が母に言われて仕方なく来た、みたいに見られるのは嫌だなぁと思えば思うほど、話題が見つからなかった。

見通しの良い大きな窓があり、遠くの方で蒸気だか煙だか分からないものがもくもくとしていて、それを見ながらマスクのズレを治したり、髪を耳にかけたりと無駄な動きをした。「見晴らしがいいね」とでも言えばよかった、と母が戻ってきて窓の外の話題を振った時に思った。

カレンダーを母が破り、11月になる。切った紙をくれと言うので祖母に渡すと、綺麗に手で四つ切りにし、紙の箱を折り始めた。

私は手先が器用でないことに加え、記憶力も良くない。紙の箱の折り方を昔祖母に教わったことがあったと思うのだが、もう忘れてしまった。それどころかカレンダーのような厚い紙を綺麗に真っ直ぐ四つ切りにすることだって上手く出来ないだろう。

祖母が起き上がり、「薬入れにするから」と、膝の上で黙々と紙を折る。母もベッドに腰掛けながら紙の箱を折り始めた。私はそれを黙って見ている。静かな部屋に折る音だけが聞こえる。時折母がなんでもない話題を話し、私がそれに反応する。祖母の節だけ太いしわくちゃの指が、丁寧に紙を折る。いままでいくつも折ってきたから迷うことなくスムーズに、あるべき方向へ着実に向かっていく。この箱は祖母の積み重ねそのものなのだ、と思った。

「お母さんも箱折れるんだ」「私は簡単なのだけどね」と祖母と母が話す。祖母は母の母だが、私がいるからお母さんと呼ぶ。おかしいけれど、いままでずっとそうだったはずなのだ。けれど今日はやけに気になったりした。私はこれからも母を「お母さん」と呼ぶが、母が私を「お母さん」と呼ぶことはないのだな、と思ったりした。余計な感傷だ。

母の作る箱の方が大きく簡素で、祖母の作る箱は小さいが形が美しく、頑丈そうだった。私はどっちの箱も折れないなぁと言いながら、「折り方教えて」と言って一緒に折ればよかった、と思った。もしかしたら今日が最後、ということだって有り得る。でも恥ずかしさみたいなものが邪魔をして、結局教わらなかった。食い入るように見つめていたのだが、全く覚えられなかった。記憶が弱い。

「ほかの病院でも薬入れのために折った。看護師さんがハサミもテープも使わないで作れるんですか?と驚いていた」とすこし誇らしげに祖母は話す。「薬を入れたりするのにちょうどいいの」と祖母は話す。

私は「そのずっと前には私の食べるとんがりコーンや剥いたミカンの皮を入れるのに使っていたよ」と言いたかった。でもやっぱり言えなかった。あまり家を思い出す話題をするのは良くないんじゃないか、と思ったのだ。余計な配慮だったかもしれないが。家に帰れない祖母に家を思い出させるのは酷だと、勝手に思った。勝手に考えて黙ることこそ酷いことだったのかもしれないのに。

帰る前に祖母と写真を撮った。そういえば祖母と写真を撮ったことなんてなかったかもしれない。祖母は母が「起き上がれば?」と言っても聞こえていないかのように黙って横になったままピースをしていた。これこそ酷いことだったのかもしれない。

祖父は余命宣告ぴったりに亡くなった。祖母はどうだろう。

帰り道、母が「おばあちゃんは…っていうか親戚みんなせっかちだからそれが困るよねぇ。私は全然受け継がなかったけど」と笑っていた。「全然似なかったなぁ」と言っていて、確かに母は見た目以外あまり祖母に似ていないなぁと思った。ただ、来る前に祖母に出来たコブを「おにぎりぐらい」と母は言っていて、祖母も同じように「おにぎりぐらい大きくなったの」と見せた時、確かに二人は親子なのだと思った。

私と母にも、そういうものがあるのだろうか。私は紙の箱も折れないし、料理も何も教わらず、性格も私はどちらかと言えば父寄りなのだけど。

なんとか病室では泣かずに済んだが、気持ちを整理しようとこれを書いていたら涙がぽろぽろと零れてきた。電車の中なのに恥ずかしい。思い出すと後悔ばかりで困る。祖母の作った紙の箱が頭から離れない。

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