【関西を元気にする”真の大阪都構想”】
《10月21日大阪北ロータリークラブでの卓話より》
本日はお招き頂きましてありがとうございます。相澤と申します。
1/大阪人以上に大阪を愛するが故に
私は九州出身で大阪とは縁がなく、親類縁者もいないところだったのですが、今から17年前にNHKの転勤で初めて大阪放送局にやってまいりまして、それから5年間で大阪がすっかり好きになりました。その後、また東京に転勤しますが、どうしても大阪に戻してほしいと上司にお願いして、また大阪に戻ってまいりました。そしてNHKを辞めて大阪日日新聞に移りましたので、このまま大阪に骨を埋めようと、身も心も大阪人になりたいなと思っています。
よく「なんでそんなに大阪好きなん?」と聞かれます。そんな時に「飯が美味くて安くて、人情があって・・・」と言えばその通りなんですが、それではありきたりなので、私はこういうふうに答えます。
私が生れた宮崎は人間関係が凄く濃くて、世話を焼いてくれますが、はっきり言うと干渉してくるので暑苦しく感じます。その後、私は東京で過ごしてNHK時代も東京で仕事をしました。東京は一言で言えばスーパードライ、切れ味良すぎてコクがない、要するに人間関係が希薄です。立ち飲み屋に一人で飲みに行って横の客と仲良くなるかというと絶対ありません。大阪は知らない客同士が10分後には仲良く話しているということがよくあります。凄くフレンドリーで、ところがある一定以上には踏み込んでこない、適度に距離をもって、適度に放っておいてくれて、適度にかまってくれる、この絶妙な人間関係が大阪は素晴らしく、だから私は大阪人になりたいと思いました。皆さんは納得して頂けるでしょうか(拍手)
大阪に住んでもう13年になります。何となくエセ大阪人として大阪弁を使いたくて大阪弁を使っていますが「あんたの大阪弁おかしいで」と言われます。最近、中国の人からも言われました。その人は20歳の時に日本に来て大阪の日本語学校に入って、関西大学で4年間、その後も大阪で仕事をしている、日本語的にはネイティブ大阪人と同じ、大阪文化圏以外で暮らしていないので流暢な大阪弁を使います。
私は大阪人が好きで大阪弁を真似して、イントネーションがおかしいと言われながら大阪人になろうと、大阪で生まれ育った人よりも大阪の良さが分かっていると思っています。だから大阪にどんどん良くなってほしい、大阪を元気に、そして大阪、関西を元気にするにはどうしたらいいのかということをいつも頭の片隅においています。
2/都構想を批判する人たちに欠けていること
大阪の経済界の錚々たる皆様が集まっておられる席で、住民投票をやっている時に、この話題を避けてはダメだと思って選んだのが「関西を元気にする”真の大阪都構想”」というタイトルです。私は基本的には反対も賛成もしません。別の視点で話をしたいと思います。
都構想を批判する人、維新を批判する人、要するに維新のやり方じゃダメだ、「大阪市分割」には反対だと。パンフレットを見ると、なぜ維新がダメか、なぜ都構想がダメかということが書いてあって、もっともな理屈ではありますが、「大阪を守ろう」だけでは若い人に通じません。
「大阪を守ろうだけでは若い人に通じない。何か希望を感じられる言葉はないものか?」と言ったのは、実は反対運動をやっている人です。住民投票、維新の都構想に反対運動をしているある人が、若い人に一生懸命ビラを配って分かってもらおうとする活動を通して、「これじゃダメだ、特に若い人に通じない。未来に希望を持てる何かが必要ではないか」とおっしゃっています。
何も変えないでいいのか、みんな何か変えてほしい、もっと良くしたいと思っているわけです。そこが維新の力の源泉だと思っていて、維新は変えると言っています。内容が良いか悪いかは別にして、そこに希望が感じられて支持が集まっているのだろうと思います。
現在は多分賛成と反対は拮抗していると思います。前回の住民投票をみても本当に僅差でした。恐らく高齢者の批判票が集まったから反対が多かったのではないか、老いも若きもみんな一致して大阪を良くしたいというようなものが必要ではないかなと感じています。
3/維新の都構想に欠けているもの
現状で賛成と反対が拮抗しているということは、半分ぐらいは反対しているということで、みんなが一致団結していないということです。
維新の都構想をみていて「へぇー」と思うのは、実現しても「大阪都」はできないということです。都構想と言いながら「大阪都」にならない、最近は都構想と言わなくなって「大阪市分割」というようになりました。大阪市を分割してそれを大阪府が吸収して二重行政を解消する、そこまではいいとして大阪府は大阪府のままです。
そもそも「都」というのは何だろうと考えたら「都」は首都です。日本の首都は東京であり「東京都」に違和感はありません。それに対して維新の人たちは「副首都構想」、大阪を副首都にすると言っていますが、維新が言い始めたことではなく、ずっと前から大阪の人たちは「副首都構想」と言っていました。「副首都」というのは魅力でしょうか?
ここにいらっしゃる企業のトップの方々、「俺も将来社長になるんだ」と意欲を燃やす若者は応援しますが、「俺は将来副社長になるんだ」と言われたら「何で最初から副なの、何でトップをとらないの」と思われることでしょう。「副首都」は全然魅力的に聞こえないので、真の「大阪都」になるには都をもってくるしかなく、都を持ってくるというのは、つまり遷都するということになります。
4/関西遷都の可能性と歴史的・経済的正当性
私は関西遷都というふうに仮に名づけました。「そんなことは夢物語だろう、実現できっこないだろう」と皆さんは思われるでしょう。そこを考えてみたいと思います。本当に夢なのか、全く可能性がない話、もしくは正当性のない話なのか。東京はそもそも何で首都なのかと考えたことはありますか?
江戸時代まで天皇陛下は京都におられました。京都が都、だから関西は上方でした。江戸には幕府があって政治の中心は江戸でしたが、都は京都でした。それが1868年明治元年に明治政府が明治天皇に京都から東京に遷って頂いた、これ以降、東京が都だと認識されるようになります。それまで京都だった都を東京に遷すなら東京遷都になるはずです。
ところが明治政府もそれ以降今に至るまで東京に遷都したと宣言していません。あれは「行幸」と言われるもので、「東京行幸」でした。京都にいらっしゃる明治天皇が東京に一時的に旅行する、そう言わないと京都の人が納得しないからではありますが「行幸」と言って東京に行って、そのまま江戸城に住まわれました。ちょっと長い間、150年旅していることになります。京都には1200年間都がありましたので、そろそろお戻りになられてもいいのではないでしょうか。
因みに天皇陛下がお住まいになっているのは皇居、江戸城ですので武士の住むところ、だから堀があって石垣があります。天皇というのは雅な存在、神事を司る、日本の伝統と文化、古式ゆかしく守っていかれる方々が城にお住まいなわけです。京都御所、あれが本来の天皇のお住まいです。だから天皇陛下には京都にお戻り頂こう、遷都ではないです。これはなかなか筋が通っていると思っています。すると京都が都ということになります。
明治天皇が東京に行かれた時にもう一つの構想として大坂遷都というのがありましたが、諸般の事情で実現できずに東京になりました。大阪は東京と張り合っても都になる価値は十分ある街です。京都を首都にするとしても京都の町に中央官庁全部を収容できるだけの土地はなく、学術文化都市です。天皇陛下には相応しいですが、政治家たちが有象無象やってきて、わいわいやるのには向いていないところですので、やはり大阪がそれに相応しいと思っています。
大阪に都を持ってくるとして、どこかというと当然大阪城です。大阪城はなぜあそこにあるのかと考えたら上町台地、元々は本願寺、高台で地盤がしっかりしていて、大阪では一番確かな場所だから城を構えたわけです。明治になって第4師団司令部がおかれていました。
あそこに首相官邸を構えたらどうでしょう。あの周りにはいっぱい土地があります。昔、砲兵工廠だったところはほとんど利用されていませんので、中央省庁を新たにつくって建てる場所はいくらでもあります。足りなかったら向かいに大阪府庁がありますので移ってもらう、大阪府と市が合併して一つになるのだったら中之島の市役所に移ったらいいかなと思ったりしています。
ただ、全部関西に持ってくるとなると東京の人は怒ります。「何で勝手なことを」と納得しません。だから国会は立派な国会議事堂がある東京に残しましょう。首相官邸も中央省庁も建物はそのままおいといて、大阪には国会議事堂以外の中央省庁の機能を持つ建物を全部新たにつくって首都を2つにする、二重首都、結構世界にそういう国があります。通常国会は年に150日間開かれるので、その間は首相も大臣も中央省庁の幹部も東京に行く、国会が開かれていない時は大阪で執務をするというふうに行ったり来たりして、両方どっちも首都として機能するようにしておくことです。
何が起きるか、首都直下地震、今もしも関東直下地震が起きたら東京は壊滅して機能しなくなります。今の日本はあまりにも東京に集中していて、東京が壊滅したら日本全体が倒れてしまう。日本の未来を考えたら本当に危険なので、首都機能を分散させなければいけないという構想は前からありますがなかなか進みません。やはり日本は首都が2つあった方がいいと思っています。狭い国土ですが東京と大阪に離れていれば、両方が一気に壊滅することはまずないので、これ以上の防災対策はないわけです。こう言うと関西だけではなく日本中の人が「なるほど、もっともだな」と思ってくれる余地があると思います。
同時に首都機能の半分を大阪に持って来れば、東京は今の超過密から少し緩和すると思います。長距離通勤、最近はコロナ禍のリモートもありますが、本来あるべき姿ではなく、職住が近接した方がいいはずです。首都機能の分散は東京人にとってもいい、関西も東京も日本全国にとっていいということです。みんなが得する世界を目指したい、要するにウィン-ウィン、フィフティ-フィフティに仲良く分けようということです。
元々天皇陛下も日本の都もずっと関西から出たことがなくて、神話の世界からまずは奈良にあって、奈良から一時期は難波宮、大阪にあって、それから京都に行って、一時期は大津にあったこともありましたが、関西から出たことがありません。政治の機能が関東にいったのは鎌倉と江戸、それ以外はずっと関西にありました。日本の伝統と歴史に照らして関西にあるのが当たり前、天皇陛下に京都にお戻り頂きましょう、歴史と伝統に立ち返りましょうと、関西では関西遷都運動、東京では首都機能分散と、同じことを言葉を変えて言っています。そしたら大阪が文字通り「都」になって、本当の「大阪都」ができます。
その場合の「大阪都」はどうやってつくるのか。今、住民投票で問われているのは大阪市を解体して府がそれを吸収するという形での構想です。でも逆があってもいいのではないか、大阪府を解体して大阪市が吸収してもいい、二重行政の解消だったらどっちにしろ解消できます。
前例がありまして、東京都は、東京市と東京府だったのが戦時中に行政効率等の問題を考えて無理やり合併しました。その時の合併は形式的にはともかく、実態は東京市が東京府を飲み込んだ、圧倒的に東京市の方が規模が大きかったからで、足腰がしっかりした基礎自治体はそう簡単になくすよりも利用した方がいいのではないかと思ったりしています。
最後に「無理に決まっているだろ。関西遷都や大阪二重首都なんて…」と思われるかもしれませんが、大阪にはいい言葉があります。「言うのはタダ」。
その後ろには、言ってもダメだと思いますけど…という気持ちが隠れています。言ってみてダメな方がすっきりと諦められます。ただ、言ったら意外に上手くいくかもしれない、言うのはタダ、ダメ元で言ってみたらいいと思っています。やはり何か希望が感じられることが必要、大阪がこのままでいいと思っている人はほとんどいなと思います。何か変えた方がいい、変った方がいい、その先には夢が必要です。その夢はでっかい方がいいじゃないですか。
まずは大きく言って、「首都を持ってこい」と言って結論は「副首都」で終わるかもしれませんが、最初から副首都を目指すのは話が小さい。話はでっかく、夢はでっかく真の大阪都構想でいってはどうかなというのが、私が記者としての取材経験を通して今感じていることです。
皆様、ご清聴ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?