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125ccで日本一周 西日本編#2 徳島県徳島市〜高知県梼原町(四国カルスト)


私には、逃げ癖がある。
いろいろなことから逃げるくせに、大事なことからは逃げないので大変にタチの悪い人間であろう。
今回も逃げてきた。半年後に迫った就職、人間関係のこじれ、卒業論文。それらを投げ出し、バイクに夢とロマンの詰まったものだけを乗せて家を出た。
旅自体に意味はないのだ。ただの問題の先延ばしである。家に帰ったら、またそれと向き合わねばならないのに。

私は、いつまで逃げ続けていれば気が済むのだろう。

9月12日 9:30@徳島県徳島市


船酔いが残ったまま目を覚ました。ひどい吐き気を覚えた。二日酔いになるほど飲んでもいないし、おそらく船酔いがまだ続いていたのだろう。
何かミントのものはないか……と快活の周りを物色していたが、当然ながらない。アイスクリームを使ってごまかせるか……?と考え、アイスクリームを一気に口の中へ頬張り、脳髄までアイシングをしてやった。なんとか消えた気がする。

起きてしばらくしたら船酔いのことなどとうに忘れていた。私はバカなので病気をしないのだった。

このまま無料モーニングをかきこみ、服の洗濯をして快活を出発した。
まずはやはり、徳島駅に向かわねばならない。

私はZ世代だ。常にインターネットに触れて生活してきた私が、今までずっと続けている趣味が2つある。
1つがバイク。もうひとつは『アイドルマスター シンデレラガールズ』である。なんとなく察していた人もいるであろう。

下賜 Sunday

その中でも、私は「久川颯」というキャラが大変に好きだ。詳しい話をするとこの日本一周どころではなくなってしまうのでここでは割愛させていただく。
とにかく、私は彼女の笑顔と愛嬌、芸能人として優秀な姉と「どんなときでも絶対にポジティブを忘れない」という天性のアイドルという比較が美しい。

徳島最後のデパート、アミコ東館


そうじゃなくて。
私は彼女に大学受験を支えられたと言っても過言ではない。そのお礼参りとして、彼女たちが生まれた地である徳島を訪問したのだ。
そんなに聖地巡礼できる数が多いわけではないが、これは神社への参拝と同じだ。行うことに意味がある。

桃園の誓い

10:30 徳島市 出発

さて、徳島に長居する意味もない。さっさと出発するとしよう。今日の目的地は高知市。室戸岬を観光し、高知市にある無料キャンプ場で酒盛りをすることに決めた。
四国は猫の額ほどの平地がわずかにあるだけで、面積の7割くらいは山地である。そのせいで四国の各地域にはあまりまとまりがない。私の体感ではあるが、徳島は大阪の方を向き、香川は岡山の方を、愛媛は広島の方を、高知はカツオの方を向いている印象だ。

徳島の何も無い国道を走る



四国にはお遍路さんが大変に多く、5分に1回くらいのペースでみかける。そして四国のアップダウンの激しい山道を一心不乱に登り降りしているのだ。お遍路とは「四国遍路」のことであり、88箇所のお寺を徒歩で巡っていく一種の修行である。これは88箇所のお寺と、総延長1200kmを徒歩で巡っていくことが一緒になっており、バイクや自転車での走破は四国遍路にワンチャン入らない、らしい。これは四国遍路が仏教における修行と位置づけられるのも納得である。常人ならできない。
徳島を抜けて室戸岬へ向かう途中、ドライブインで休憩した。四国はお遍路さん向けの休憩所が多く設置されており、大体は峠の頂上にある。


私がタバコ休憩をしようとしたとき、隣にお遍路のおじさんが来たので喫煙所を開けようとした。副流煙を吸わせるのも気が引ける、と思って私がそこを立ち去ろうとすると、お遍路さんは「お気になさらず」と言った。

「いや、気にするけど……」とは思いつつ、そろそろと喫煙所に戻った。私がタバコをふかしている間もおじさんは無口だった。何となくそれに耐えきれなくなって、私の方から口火を切った。
「お遍路さんですか?」そりゃ見ればそうだろう、という質問から話を膨らませていった。2023年の秋に東北地方をぐるりと一周したが、そのときの私との違いは「人とよく話す」ことであろう。
そしてなんと私が昔住んでいた広島県呉市の、私が昔住んでいた山奥にある集落と近いところに住んでいたのだ!これにはなんとも驚いた。世間とは案外狭いものである。「ああ、あそこ!」お遍路さんも随分と驚いていた。
私は少し気になって、こんな質問を投げかけてみた。「なぜお遍路をしようと?」
どうやらその人は元々銀行員だったようである。銀行という職場は中々に殺伐としていたようだ。何人もの人を騙したり、期待を裏切ったこともあった、と言っていた。
今回、会社をやめて新しい事業に挑戦するらしく、お遍路は前の職場で背負ったものの清算、と話していた。
「どうですか?清算、進捗の方は」「歩くのに必死で清算どころじゃないよ」。おじさんはそう言って笑った。その笑顔は心做しか爽やかであった。
おじさんと別れるとき、何か歩くのに必要なものを渡そうかと思い、湿布を手渡した。湿布を見たときのおじさんは、私と話した中でも一番の笑顔であった。

11:30 徳島県海陽町

さて、また出発する。徳島県南部から高知県にかけては、本邦でも屈指の秘境地帯となっている。人が住んでいた形跡すらない。あるのはただの山と、猫の額ほどの土地にまばらに点在する民家、そして崖。この言いようのない寂寞感と向き合いながらの旅になった。

美しい海にテンションが上り、思わずバイクを降りる22歳男性
いいね

ふと、朽ち果てた人工物を見つけた。バイクを止めてうまく見えそうな場所を探してみる。
草むらをかき分け、開けた場所に出た。
これはなんだ?朽ち果てた大きな柱とクレーンのようなものがあった。船を持ち上げていたのだろうか。
割と私は廃墟が好きだ。人が住んでいた痕跡、そして消えた後の朽ち果てた建物。ロマン、という言葉だけでは人括りにできないほどの魅力がある。
例えてみるのなら、人間が消えた後の地球を先行体験しているような感覚だ。非日常の極地が、いろいろなところに転がっている。

暫く走ると、唐突に海へ出た。

気持ちの良い海風に吹かれ、残暑どころではない夏真っ只中の照りつける太陽から一時的な逃避行を楽しんでいると、ふいに一つの看板が目に止まった。「むろと廃校水族館?」

12:30 むろと廃校水族館


水族館といえばカップルか家族かその辺りが子作りの前座で行くような場所であろうと私は勝手に踏んでいるのだが、なんだかんだで一人で来てしまった。しかし、その日は平日だったからか客は私と、いかにも大学生グループといった感じの若い男4人組であった。
チケットは600円。「この金で飯食えるなァ」とぼやきつつ、いそいそと階段を登る。
外観は田舎にありがちな小学校なのだが、中にはいってみるとこれは驚き。小学校をリノベーションした水族館であった。すべての展示が学校に即しているものになっていてとてもかわいい。

ゴンズイ。釣り人が嫌う毒魚である
集合体恐怖症には堪えそうだ

ふと、小学校に居たときのことを思い出した。
私はあまり小学校に馴染めないだけでなく、運動神経も悪いし背も小さかったし、しまいにはもうその時には「映像」の魅力に取りつかれていた。格好のいじめの標的である。
今となっては「なんとクッソしょーもないことで悩んでいたのだ」と感じてしまうが、小学生の私にとってのそれは、ひどい苦痛であった。
同級生の男子だけでなく、女子や年下にも殴られ、蹴られ、しまいにはランドセルを取られて水たまりに投げ込まれたり、なんてこともあった。
大人から見たいじめは「学校という小さな世界で起こった些細なこと」かもしれない。しかし、子どもはその「小さな世界」しか知らないのだ。

プールが水槽になっている

この小さな「学校」という世界に巨大にして無限な海の生物を展示しているとは、霊長の頂点たる人間の凄みを感じる。
しかし、やはり展示はかわいい。かわいければいいのだ。

何もできていない

13:30 室戸岬到着

むろと廃校水族館から10分ほどバイクを走らせ、ついに四国の端、室戸岬へと到着した。
四国の端というわけではないのだが、海へ向かって突き出した地形の先端というものは言いようもない寂寞感があって私は好きだ。

日本最北端である北海道の宗谷岬は立派な観光地になっていたり、本土最東端の納沙布岬もちょっとした建物があったりと、こういう「端っこ」は何かと資本主義の餌食にされるものなのだが、ここにはマジでなにもない。
山の方を見上げると世にも名高い室戸岬の灯台が目に付く。その光度160万カンデラと光達距離49キロは日本一のものである。
しかし、その時の私にとってはクソほどどうでもよく、というか腹が減ってそれどころではなかったため、私はこの室戸岬を早々に立ち去ることとなった。
「なぜ旅人は端っこに釣られてしまうの?なにもないのを確認しに?バカじゃねぇの?」とブツブツ文句を言いながらすごすごと室戸岬を立ち去った。

飯処の1つや2つあってもいいじゃないか。そう言いながら室戸の市街地へ入っていくと、一件の食堂を見つけたので、入った。
店に入ると、そこは手前側が売店に、奥側が食堂になっている田舎にありがちなアレであった。早速奥側の席に座ってメニューを一瞥する。
天ぷら丼と小さい刺身がセットの定食が1200円くらいだったのでそれを注文しようと思ったのだが、一向に店員が来ない。
「すみませ~ん」、と呼びかけても人が来ない。
ミスって定休日に入っちまったか……と考えて店を出ようとすると、超ダルそうに店の奥から人が出てきた。「は~い、ご注文ですか」。私の顔を見るや足取りも遅くなり、顔からやる気が喪失していた。

うっ、もしかしてここ、ジモティーしか来ちゃいけない空気のところ?

しかし、そんなことこっちの知ったことではない。私も負けじと、「〇〇定食、ごはん大盛りで」と付け加えた。
私が注文を終えた頃、この近辺に住んでそうなおじさんが入店した。店のおばさんはそのジモティーと楽しそうな会話をしながら、「今日は港からカツオが入ったから、カツオのたたき定食が出せるよ」と一言。

えっなにそれ!?俺もカツオのたたき定食がいいんだけど!?

しかしそんな事は言えず、あとから来たジモティーのカツオ定食が出された約5分後、「俺昨日風呂入ったよな?もしかして俺、臭いのか?臭いからご飯が来ないのか?」などと考えているうちに定食が到着。

画像はイメージです

ジモティーとおばさんが楽しそうに会話をしている最中、私はこの場を早く離れたい一心で無我夢中に胃腸へモノを押し込み、何故か私だけ出てこないお冷を勝手につぎ、ひたすらに皿をキレイにすることに執心した。

「ごちそうさまでした」。最後の抵抗として、会計時に挨拶をした。返答はなかった。

その後、近くにあったスーパーで室戸の朝捕れカツオと安い刺身、酒と炭酸水、そして氷を購入し、無理やりバイクに押し込み、ジモティーのおじいさんが興味深そうに私のナンバープレートと積載を見つめる中、無駄に空ぶかしをしながら早々に室戸市を後にした。

14:20 室戸市 脱北

「これだから田舎は嫌いなんだよ」と坂東からわざわざ西まで来て文句ばかり垂れ流しつつ、存続のためには私の生誕地である秩父市のような、都会人でもウェルカムな雰囲気を田舎は作るべきなんだ、と虚空に向かって大声で持論を展開していると、いつしか視界の右側に迫っていた山々も途切れ、安芸町に入った。

安芸町といえば三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の生誕地として知られているが、岩崎翁は天性のドケチであり、新潟の英雄こと田中角栄や、我が埼玉に多大なる功績を残してくれた渋沢栄一とは異なり、地元である土佐にビタ一文も落としていないらしい。

そんな安芸町を私は華麗にスルーし、ついに高知市へと到着した。

16:30 高知市 到着

高知市街地はいい。私の目当ては種崎千秋公園である。
この公園にはキャンプ施設があり、なんと「手続きなし、無料」で宿泊できるのである。無料キャンプ場の聖地・北海道の無料キャンプ場では電話予約が必要になっていたり、時間制限があったりするところも珍しくないのだが、これはありがたい。

さて、公園に着いてやることは1つ。設営である。
もう慣れたもので、15分もあればすべての準備を終え、近くのホムセンで薪を買い、火をつけ早速晩酌だ。

まだ日が落ちきっていないので汗だくではあるが、疲れた体に染み渡るビールは最高である。
しかし、少し嫌な予感がして、というのも、あまりにも暑すぎてこの場所から離脱する可能性を考え、飲むのはビール一本だけにしておいた。

たらふく食った後、歯を磨いてタオルで体を洗い、就寝。風呂は明日に回そう。












24:00 高知市

ぜんっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぜん寝れないんだけど。
全身から異常な量の汗が出ている。服を脱げど脱げどその状況は変わらない。下着は汗で完全に変色し、足からも大量に発汗している。この日の高知市の夜は気温29度。完全なる熱帯夜であった。
これ、もしかしてヤバい?

一度近くのコンビニで制汗シートを購入して全身に塗りたくってみたが、効果は限定的であった。これはまずった。
私はキャンプ用具をしまい、真っ暗闇の中テントを畳み、テントに湧いてきたゴキブリを一匹残らず地獄へ叩き落とし、Gの遺体に唾を吐きかけ、公園を後にした。
350mlのビール缶なら3時間もあればアルコールは抜けるはず、今はもう運転しても大丈夫だろう……どちらにせよ、ここで熱中症で死ぬよりは多少アルコールが残っているかもしれなくても、ここから離れた方が生存率は高いはずだ。

朦朧とした意識の中でバイクの積載を完了させ、残っていた2Lの水を全て飲み干し、出発した。汗のしみまくったシャツで走る夜の高知は、涼しすぎて涙が出た。

30分ほど走り、高知県唯一の快活CLUBに到着。席が空いていなかったので2時間ほど深夜の高知市内をバイクで走って時間を潰し、適当な席で腰を落ち着け、シャワーを浴びて速攻仮眠した。


2024年9月13日 6:00 @高知県高知市


本日の行程

全くと言っていいほど寝れていない。しかし、1秒でも早く私はここを発ちたかった。
というのも、あまりにも隣のいびきがやかましすぎるのだ。こんなんでどう寝ろっていうんだ。
というわけなので、私は日の出と同時に快活CLUBを出発し、桂浜へ、そして四万十市へと向かうことにした。

桂浜は、坂本龍馬が「日本の夜明けぜよ」とか厨二病っぽい台詞を残したのをそのまま観光地化しちゃった場所である。坂本龍馬は恥ずかしくないのだろうか。昨日の種崎千松公園とも近い。

サラッと見て解散した。特に感想はない。「海だ~」。以上。
そのまま四万十市への工程を進めることにした。

四万十市まで、本当になにもない場所をひたすらぐんぐんと進んでいく。峠を登っては降り、無料の高速道路に向かう車を羨ましく思いながらまた山を登り、降りる。
このあたりから、もう家に帰りたくなった。

登らないバイクを3速に落として必死に登らせる。下り坂に差し掛かり、4速で駆け下りる。そんなことを2時間ずっとだ。
こんなことをしているのなら、間違いなく今すぐに家へ帰って卒業論文をしたためたほうがいい。
バイクほど、というか原付ほど時間を浪費する移動手段はない。非効率の極みなのである。時間より金の価値のほうが高い今のうちにしかできない、と思って当時は日本一周を始めたのだが、どうも色々なことに気を遣いすぎる。
宿をどこで取るか、食事は何にするか、街中にバイクの駐輪場はあるか、この街の観光名所はどこか、etc……
色々と気疲れする。私はもしかすると、旅行に向いていないのかもしれない。しかし、もう家を出てしまったのだから仕方がない。
帰りたくて仕方がない。家に帰ってマトモなベッドで寝たい……。

9:30 黒潮町

とりあえず黒潮町の海岸で休憩を取ることにした。まだ9時なので日光もそれほど強くなく、コンビニで買っておいた朝ご飯をつまむのにはちょうどよかった。

しばらくサンドイッチと缶のアイスコーヒーを嗜んでいたら、一台の軽トラが止まり、そこから出てきた知らないおじさんに声をかけられた。
「バイク、君の?」
「え?は、はいそうですけど……」
「どこか壊れてしまったんか?うちに工具あるから直せるけど」
どうやら、私が「バイクが壊れて途方に暮れている人」に見えていたらしい。「いえ、お腹が空いてちょうどご飯にしていたところなんです」。私がそう答えると、おじさんは「なんだ」と安心した顔をして戻っていった。

なんなんだ……。

田舎ではおそらく私が不審者に見えるのだろうか。海岸でドカ座りして飯を食べている人間は。
いや確かにそうか……不審者だな……。そう思い、残りのサンドイッチを胃の中に放り込んで立ち去った。
全然やる気が出ないが、行くしかない。行かないと帰れない。

10:00 四万十市

逢坂トンネルといういかにも京都を意識したトンネルを抜け、いよいよ高知県四万十市へ突入した。ここは昔「中村」と呼ばれており、応仁の乱で京都から逃れてきた超名門公卿・一条家がここに居を構えていた時からの地名だったのだが、NHKが「日本最後の清流」として紹介した四万十川があまりにも有名になりすぎたため、川の名前がそのまま市名になった。
このような「乗っ取り市名」は、トヨタがあるから愛知県豊田市、天理教があるから奈良県天理市、というものにも近そうだ。
四万十市に入ってすぐに私は市街地を去り、その「日本最後の清流」とやらを見物してみることにした。

京都っぽい橋。市街地が碁盤の目状になっていたりと、なんとなく京都へのコンプレックスを感じる

四万十市に入ってしばらく走り、「佐田の沈下橋」と呼ばれる場所に着いた。
昭和30年代で時が止まったような背景にひっそりとたたずむ、頼りない橋。
日本最後の清流のせせらぎはその存在を主張する訳でもなく、ただそこにあるだけだった。

なんだ、こんなものか?と少し拍子抜けしたが、私はなんとなく、ここにずっといたいような気がした。
日本の原風景だからだろうか。もう日本には存在しない、原風景。
テンションが上がるわけではない。刺激がある訳でもないが、少し深呼吸をしたくなる場所だった。

近くの田圃

興味本位で、四万十川の水をすくって飲んでみた。キンキンに冷えていて美味い。
小学生の頃、川で遊んでよく親に怒られたっけか。用水路でザリガニ釣ったり、ひたすら川の鯉を追いかけたり。懐かしいな。
夏の盛りも終わり、陽の光も緩やかになっていた。秋を告げる少し冷たい風がゆらゆらと私の顔を撫でた。川に反射する太陽の暖かさと、水に跳ねる川の飛沫が心地いい。
多分この時川の生水を飲んだせいで、この後5日間くらい私は正露丸のお世話になる羽目になるのだが、それはまた別の機会に。

水車も見た 水車だった

11:00 戻る


さて、来た道をまた戻って四万十町・窪川へと進む。ここからは四国カルストの旅だ。

遠いよ~


この先にある四国最南端・足摺岬にも行っても良かったのだが、あいにく今の私にそんな体力はない。というかもう早く寝たい。なので足摺岬はパス。
そしてどうやら明後日からは四国地方は雨に見舞われるようだった。なので明日までには四国を脱出することにした。
窪川から先は本邦でも屈指の山岳地帯であり、人里もまばら、コンビニなどもってのほかである。

窪川の道の駅でアイス休憩。おいしかった

しかし、こんな山道のちょっとした場所にも、田んぼは存在しているのだ。これにはひどく驚いた。
日本人の特殊スキルは「隙あらば米作り」であることはなんとなく聞いてはいたが、ここまでとは。


全体的に時が止まっている高知の山々をくぐり抜け、トンネルを抜け、また山を登っていく。
私は電波の届かない道を走りながら、一時的なデジタルデトックスを強いられた。
しかし、私の身体と心は、重りから解かれたように軽かった。
昨日はほとんど寝れていない。疲れは溜まりまくっている。しかし、私の心と体の体調は、東京にいる時のそれよりはるかに良いものだった。

つい一年前の私は就職活動の真っ只中であり、その中でひたすらに自分を見つめ直す作業を強いられた。
収入や社会的地位、学歴による対応の差など、みんな言わないけど確実に存在しているものを、就活中にまざまざと見せつけられるのだ。
私はそれに嫌気がさし、東北へ放浪の旅に出た。

東北旅行の感想は、「私と東京はウマが合わない」だった。
なぜ東京が苦手なのか、上手く言葉で表すことが出来ないまま旅に出ていたが、今こうしてゆっくりと旅をしていて分かった。

東京は、生き急いでいる。

地方との圧倒的な情報格差や収入格差による東京の優位性ももちろんある。圧倒的な外見データの蓄積も得られた。「蛍光色の靴履いてる人はヤンチャ」みたいな。その点においては東京に感謝せねばならない。
それ以上に「資本主義の頂点」を目指すべく、東京にいる人間は否応なしに全員が争いに参加させられている感覚があった。
まず上京時の住まい探しにおける優良物件「競争」、通勤、通学時の席取り「競争」。マウンティングのためだけの情報取得「競争」に、所持品や行った場所などでのマウンティング「競争」。
常に誰かと比べられ、蔑まれる。それによって反骨精神が湧く人ならいいのだが、私は湧かなかった。
地方都市を様々に巡ってきたが、東京の閉塞感は群を抜いていた。私はそれにも耐えられなかった。
だから私は、東京に本社があって転勤が伴う会社への就職によって東京から逃げることにした。いざとなれば本社配属で東京にも戻ってこれる、という保険付きだ。

ここに生き急ぐ人はいない。ただ今の、この過ぎ去る時間を大切にしているだけだ。

私にとって東京はチャレンジする場所であって、生きる場所ではないのかもしれない。そう結論付けだ。無理やりかもしれないが。

しかしなんだろう、この感覚は……。
私は自ら進んで東京を出ていったのに、なぜこんなにも「都落ち」の屈辱を感じてしまうのだろう……。

そんな事を考えているうちにもはや林道とも見分けがつかない道をたどり、ぐんぐんと標高が上がっていき、そして突然視界が晴れた。

ここが四国カルストであった。

14:00 四国カルスト 到着


このあまりにも壮大な風景に、私は思わずバイクを停めてしまった。もはや私の拙い言葉ごときではこの景色を表すことはできない。
「ジブリっぽい」「ゼルダっぽい」、色々なコンテンツで例えられるかもしれないが、私にはそれすら失礼なように思えた。
壮大であるが、同時に漠然たる寂寞とした感情も持った。初めての感情だった。

死ぬならここで死にたい。私はそう感じたのだった。

夏とは思えない涼しい気候、さらさらと体を撫でる風に揺られる。ずっと山を登ってきてモノクロだった世界に、唐突に色が差した。私は、この景色を最期にしたいと感じた。

それは私の潜在的な願望なのかもしれなかった。美しすぎる景色を前に、感情が解放されたのかもしれなかった。自分の持つ「感動」のキャパシティを超えてしまったのかもしれなかった。
詳しいことはわからないし、自分の感情をうまく説明することができない。とにかく私は、そう思ったのだった。

カルストのキャンプ場で受付をして、今日はここでキャンプ泊だ。さっさと準備をして、寝袋を敷いて、寝た。とにかく眠かった。

世界一優雅な昼寝である
寝る前に飲んだかわいいカフェラテ 日焼けすごい

起きたら日は傾いていた。少しばかり日暮れのカルストを散歩した。歩いてみると急にさみしくなって好きな曲を流してみる。私が大好きな映画『風立ちぬ』の「旅路(夢中旅行)」を聴きながらこのカルストを歩く。

夕暮れに沈む草原をゆっくりと歩く。世界にはただ私一人になった。涼しい風は太陽のぬくもりを忘れて少しずつ冷たくなっていく。
夕日は最後の明かりを消そうとし、ここにはゆっくりと暗闇が訪れていく。辺りは雲に呑まれ、もはや一寸先の光景すら怪しくなっていく。

辺りが暗闇に包まれそうになり、慌ててテントへと戻る。今日の夕飯は3割引きになっていたステーキだ。昨日飲めなかった分の酒も飲んでしまおう。
薪に火をつけて、安い肉を焼こう。道の駅で買った枝豆を茹で、それをつまみながら暗闇を待った。どうせなら酒も開けてしまおう。

余った枝豆はごま油で炒めて中華風味にしてみようか。ステーキ用のソースに醤油とみりんと日本酒に中濃ソースを入れてみようか。そんなことをやっていたら、いつの間にか買っておいたウイスキーの小瓶がなくなっていた。
焚き火の火消しをしながら歯を磨き、仕方がないので寝ることにした。

なんとなく、今日が終わってしまうのが惜しい気がした。ほんの少しだけ夜ふかしをして、ゴダールの映画を見ていたらいつの間にか寝ていたのだった。

Elle est retrouvée.
Quoi ? L'éternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.
―また見つかった! 何が?
永遠が
太陽と共に去った 海が

アルチュール・ランボー『永遠』―ジャン=リュック・ゴダール『気狂いピエロ』より



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