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125ccで日本一周記 東日本編#1 埼玉県(自宅)~宮城県石巻市

2023年5月。日本一周をしようと思ったのは、概して後ろ向きな理由がきっかけだった。

何もかも上手くいかず、かといって我が身可愛さで自分の命すら絶つことができなかった己への悔恨。21歳という大した事ない私は妙に悟った気分と相成り、「今生に救いはない」「いなくなってしまおう」などと一丁前に考えていたのである。

しかし、地元である埼玉で「いなくなってしまう」ことなど不可能だ。もしやったとしたら少なくとも1週間以内に秋ヶ瀬公園あたりで埼玉県警に発見され、「若くして消えた、救えた命」などとありきたりな二つ名をつけられて火葬されてしまう。面白くない。
それなら、日本一周をしよう。そして気に入った場所で、いっそ本当に「誰も知らない」場所で人生を終わらせてやろうじゃないか。そう思い、日本一周の計画を立てた。自分探しの旅、という物があるが、私の場合、当初は「死に場所探し」の旅であった。それよりも前に北海道を一周していたのでちょうどよかった。

しかし、私というものは大変にチョロい人間であり、その後に美味しい食べ物や素晴らしい映画などに溺れた私においては、出発となる同年10月には「死に場所探し」という目標など、とうに忘れていた。本格化していた就職活動から逃げるための、逃避行へとなっていた。

ただの「就活からの逃避行」なら飛行機に乗って北海道にでも行けばいいのだが、やはり若い男にはバイク旅が、全てにおいて不便極まるバイクがいい。旅をするならバイクに限る。若きチェ・ゲバラの南米バイク旅を描いた映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」があるように、若者のバイク旅にはそれだけで映画になってしまうほどの強烈な青春が埋まっているのだ。
バイクで日本一周しよう。大学生活という人生最後のモラトリアムは、これで締めても悪くはない。
そんな感じで、私の長い日本一周記の、長い前書きとさせていただこう。
また、この日誌は去年の秋に私がメモとして残していたノートを文章化したものとなる。よって季節に乖離が生じていることになるが、ご了承いただきたい。


旅の相棒

さて、旅の友を選定するにあたって、私はホンダのCT125・ハンターカブにした。

伊豆にて

もっと大きいバイクを買ったほうが良いという意見は往々にしてあろう。しかし、リッター60キロを越える燃費や全バイク中恐らくトップの積載可能量、世界的に伝説となっているカブシリーズの堅牢さや耐久性、そしてなにより、ここでハッキリ言わせてもらうが、私はこのバイクが持つ旅情に、一目惚れした。
若きチェ・ゲバラが「ボテローサ(怪力)号」と名付けた英国製バイクにも、軽自動車より大きいエンジンを積んだ米国製バイクにも及ばない、本当にちっぽけなバイクだが、私にとってはこれがノートンであり、これがハーレーであった。
この記事を書いている現在、もう5万キロも走っているが、定期的な消耗品の交換と各種オイル交換を怠らなかったおかげか、現在でもすこぶる快調だ。地球を1周と四分の一走っても未だご機嫌なエンジンには、やはり「世界のHONDA」を思い知らされる。

さて、出発する。4日分の服や雨具、東北を走るので冬用のジャケットと寝袋、非常用の野宿セットにガスバーナー。何かあったときに簡易的に修理ができるだけの工具。就活と並行して3ヶ月働き詰め、それでも少し足りずあちこちからかき集めた10万円が入った埼玉りそな銀行の封筒をバイクに押し込み、11月上旬、長かった夏の空気をすすぐ冷たい風にバイクと旅情をゆらされつつ、自宅・埼玉県朝霞市を出発する。
当面の目標は本州最北端・大間岬だ。

2023年10月30日 10:30 出発


国道298号

外環道の真下にある国道298号を走る。なんとなくチェーンから異音がするので確認したいが、この国道にはロードサイドのお店が一切ないので止まれない。国道4号に合流した辺りでコンビニがあったのでそこに避難して確認したら、チェーンが伸びていた。もっていた工具を使ってチェーンを調整したが、日を追うごとにこのチェーンの伸びは深刻になっていく。
少し寝坊してしまったので家を出るのが遅くなり、そのツケで埼玉県内では大変に渋滞していた。
国道4号を走る。日本橋から青森までを一本の線で結ぶ、江戸五街道「奥州道中」の流れをくむ道路であるが、この道路とは仙台で一度お別れすることになる。

13:00 休憩(茨城県五霞町)


道の駅「ごか」で一度目の休憩を挟む。埼玉の自宅からまだ50kmも走っていないのに、渋滞でもうヘトヘトだ。地元のヤオコーで買っておいたメロンパンを、缶コーヒーで流し込む。


喫煙所ではアイコスの販売員がアイコスを勧めてきた。アイコス含め加熱式タバコは口に合わないので忌避していたが、「そう言わずに」と勧められて吸わされた。口に合わなかった。私にはハイライトがある。

14:00 栃木県に侵入

この頃から次第に帰りたくなってきた。晩秋の昼過ぎは、段々と冬の片鱗を見せてきた。日本には四季があると聞いたことがあるが、恐らく嘘だ。夏→真夏→冬→真冬であろう。
そして、私のバイク・CT125から出る振動も私の体力を少しずつであるが、着実に摩耗させている。私のバイクのエンジンは大変に揺れる。時速70キロを越えた辺りから顕著だ。エンジンの振動は普段なら旅情を掻き立てる素晴らしいものとなるが、連続して長く走れば走るほど、この振動はギャラルホルンとなる。腰の破滅を予言する振動である。

15:30 二度目の休憩(栃木県宇都宮市)

宇都宮市で二度目の休憩。餃子が食べたかったが、餃子を食べると酒が飲みたくなる。酒を飲むと運転できなくなる。ならばいっそ餃子も食わんとこう。カスのロジックで宇都宮市を後にした。
餃子に勝る食べ物など存在しない。「アイドルマスター シンデレラガールズ」の夢見りあむもそう言っている。しかし私はそんな餃子の聖地・宇都宮にて、まァ間違いなくそれしかないであろう宇都宮の名産である餃子をスルーしてしまったのだ!ああなんということだ!餃子を食べずに旅をすることの虚しさよ!
この辺りで帰宅意欲はマックスになった。このまま宇都宮で餃子を食べ、適当なネットカフェかホテルで一泊して明日に変えるのではダメなのだろうか?そもそもなぜ私は日本一周をしているのか?ぐちゃぐちゃと考え込みながら、バイクはそんな私を急かすかのように東北への路を小気味よいエンジンの音を刻んで進んでいく。

栃木県では、中々に面白い施設を見つけたので紹介したい。

廃墟のような外観のこの建物だ。スロットやパチンコが置いてあり、食べ物や飲み物、うどんの自販機なども置いてあった。
トイレには30年前くらい?のタバコのポスターが貼ってあった。この頃はタバコの規制も緩かったのか「吸いすぎには注意しましょう」くらいの注意勧告しか描かれていなかった。今では「吸ったら死ぬ」くらいの書き方なのに。

な~~にがCIGARETTESだ ふざけてんのか?

だんだんと、人口希薄地帯に近づいている感覚がした。太平洋ベルトから外れた「蝦夷」の地、奥州までもう少しだ。

Goproで撮影

16:30 福島県到達

白河の関を越え、ようやく福島県に到達した。ここからひたすら走り続け、本日の宿泊地は福島市に決めた。とはいえ、ネットカフェなのでチェックインの時間を気にする必要はない。ゆっくり焦らず、いつかたどり着ければいいのだ。金はないが、時間だけはたくさんある。

夕日が好きだ 死にたくなるから

18:00 夕食(郡山市)

ゆったりと福島県内を流していると、郡山市に到着した。郡山は私とかなり長い付き合いの友人が住んでいた土地であり、オススメの夕飯屋を聞いてみた。開成山公園近くの「正月屋」というラーメン屋をおすすめされた。

スープを水筒に入れて持って帰りたいくらい美味かった

東北6県はラーメン大国であり、その中でも福島・山形は最強であるそうだ。そんな福島県内の中でもとびきり美味いのがここらしい。美味かった。

さて、夜も更けてきた。私のバイクはライトが大変に暗いため、常に前を走る車がいないと心細い。郡山から福島までは国道4号を乗り通す人が多かったので大丈夫だったが、あまりこのバイクで夜道は走りたくない……。

20:00 福島市到達

何事もなく、というか書くこともなく福島市に到着。福島市のネットカフェに宿泊した。明日何するかも決めていないが、とりあえず寝るとしよう。ネットカフェの個室に荷物を置き、なんとな~~くコンバースの靴底が抜けそうな気がしたのでダイソーで靴底と、明日口寂しくないようにスニッカーズやサクマドロップスを買い、就寝。今日は関東を長く走ったせいか、ひどく疲れた……。

二日目 2023年10月31日@福島市

快活の朝餉をいただき、目的地を決めていないままネットカフェを精算して外に出てしまった。これからどうしようか。
そういえば、東北の有名なドライブスポットに「磐梯山」というものがあった気がする。まぁ、行くアテもないし、行ってみるとしよう。

家から270km走って700円。リッター60キロはさすが世界のHonda

福島市から会津・日本海側に向けてコマを進める。段々と山間部の光景へとなってきた。
今は稲の収穫時期だ。磐梯山の麓にみっちり敷き詰められた関東の台所・東北地方には、金よりも美しい黄金色の稲穂が頭を垂れ、これから来るであろう農家の方々にご挨拶をしていた。

東京に長い事いた。田畑など、あまり見ることもなかった。しかし、こういう人工的な自然物というものは、やはり一種の美があって素敵だ。私の自宅・朝霞は水はけの良い武蔵野台地にあり、田園には適さない土地である。稲穂は私にとって、武蔵野の民にとっては新鮮この上ない光景なのである。

山道を登っていく。約9馬力しかないこのバイクは、坂を登るのも一苦労である。エンジンは大層な音を立てながら、スピードは50キロで頭打ちになってしまう。ギアを落とすと苦しい。
後続車に道を譲りつつ、無理のない範囲でバイクをしばく。

9:30 休憩(道の駅 つちゆ)

山の中腹にある道の駅で休憩だ。10月31日、晩秋の東北はやはり寒い。少し凍えてきたので、温かいコーヒーで暖を取ることにした。
美味いコーヒーと美味い空気。ここに美味い煙草もあれば満点なのだが、あいにく禁煙だ。またの機会にしよう。

8時半。東京なら丸ノ内線で殺人級の通勤ラッシュが起こり、渋谷や新宿、新橋などではめまいがするような雑踏をかき分けて職場にありつく頃だ。
それがここ福島ではどうだ。この道の駅には私を含め数人の人間しかいない。道の駅の職員が談笑しながら開店の準備をする。そこに東京のような、息の詰まる感覚はないように感じた。
「東京出身」。埼玉の山間部に住んでいた昔、あんなに輝いていた称号に、今はなんの憧憬も感じられなくなっていた。ネオンに輝く東京は、鬱と隣合わせのデスシティであった。もちろん、田舎の閉塞感というものは存在する。私が昔住んでいたようなドン田舎(むら)には、結構ある。

人間、イキイキと住んでいくならこういう地方都市がちょうどいいのかもな。そう考え、煙草を一本くわえた。禁煙なのを忘れていた。そっと箱に戻した。


気付いたら雲の上にいた

11:40 吾妻小富士 到着(磐梯吾妻スカイライン)

磐梯吾妻スカイラインの車窓のピーク、吾妻小富士に到着した。ここまで来ると結構な数の観光客がいた。概して私より干支が3周も4周もしていそうな人たちで埋め尽くされていた。

隣にダックスが停められていて、うれしかった。

地獄へと向かう一本道のようなこの吾妻小富士を登ると、ぽっかりと空いた噴火口があった。そこを一周ぐるっと回れるそうだったが、私は面倒くさいのでやめた。砂利はコンバースで歩くと痛い。

とんでもなく寒かった。私の記憶はそれだけであった。
晩秋の東北の、それも山の上だ。寒いに決まっている。坂東の冬と同じくらいの寒さである。この駐車場にあったキッチンカーで法外な値段の豚汁をヒョイヒョイとつられて買い、あたかもそれを神の恵みであるかのようにありがたがって食べた。ヤミ市で残飯シチューに食らいつく兵隊上がりのように、満面の笑顔で豚汁をすすった。それくらい寒かった。

山から見る福島中通り

帰り際、片側交互通行になっている道路の写真を撮った。日本ではないようで、素敵だった。東北で住むとしたら、仙台か福島だ。あと郡山。

13:30 下山

さて、山を降りた。此処から先、どこに行って何をするのか、全く決めていなかった。とりあえず仙台で泊まろうかしら。そう考えて仙台駅近くのホテルを見てみたところ、軒並み結構高かった。やはりインバウンド需要なのだろうか。都会はネットカフェも高い。
しばらくホテルを物色していた私に、一件の通知が飛んできた。

「件名:〇〇株式会社 秋インターンES締切は明日の午前9時まで!」

14:00 テンパる

ヤバい。すっかり忘れていた。
旅行の楽しみに任せっきりで、就活のインターン応募のことをすっかり忘れていたのだ。しかも連絡をくれた企業は第一志望群であり、関西では知らない人はいない大企業だった。なんとしてでも応募しておきたい企業の一つであった。
現代の就職活動は早期化しており、こういったインターン経由での早期選考での採用が一般化している。つまり、このチャンスを逃すと、この会社に就職するチャンスをひとつ失ってしまう、ということだ。
福島駅近くのコンビニでコーヒーを買い、焦る気持ちを落ち着かせる。
まず、ネットに接続できる環境に行かんといけん。それに、PCが置いてある環境。やはり快活か。
しかし、仙台駅近くの快活は高い。明日は三陸方面へ行きたいため、宮城県北部で泊まるべきだろう……

……石巻だ。

14:30 石巻へ魂の爆走

脇目も振らず、石巻へ向けて爆走した。腹が減っているが、仙台周辺でなにか食べればよい。今は飯どころではない。
福島といえば幸楽苑発祥の地。郡山から全国チェーンになった数少ない例である。とにかく腹が減っていた。
もうなんでもいい。目についたところで飯を食ってしまおう。

16:00 宮城県突入

東北の雄、宮城県に突入した。伊達政宗の築き上げた新興都市・仙台市を擁する、東北地方のプライメイトシティである。
ここまで来ると、ロードサイドの風景は東京郊外と遜色無いものとなってくる。仙台駅は大宮駅に似ているし、仙台はどことなくさいたま市のような雰囲気を感じる。
とにかく、飯である。なんでもいいから飯が食いたい。そう思いながら、私はあろうことか黄色い看板につられ、ノコノコと全国チェーンのラーメン店に突っ込んでしまった。
そう。私は東京から遥か遠く、岩代の地において、自宅から徒歩10分くらいの場所にもある幸楽苑で、遅めの昼食を取ってしまったのである!

ああなんということだ!仙台まで我慢すれば牛タンやその他ナウでヤングな飯にありつけたはずなのに!よく食べよく笑いよく寝ることくらいしか取り柄がない私なのに……!

仙台のイオンにて休憩。なぜか旅先のイオンには吸い寄せられてしまう

こんな調子なので心がひん曲がってしまい、終いには「今日はハロウィンだから、腹いせに仙台駅周辺で東京に憧憬を抱きつつもビビって東京人にはなれなかった、哀れな仙台市民の無様な駅前ハロウィン百鬼夜行で一杯やろう」などと平均的Twitter民のようなことを言い出し、仙台駅方面へと舵を取る始末であった。

17:40 仙台駅到着

何事もない、平日の仙台駅であった。仮装している人などおらず、ただ歩いているのはひどく疲れた顔をしているサラリーマンと、これから東京に戻らないといけない面倒くささを顔からにじませている、スーツケースを引いた出張族がいるだけだった。東北学院大の陽キャが仮装して人に迷惑でもかけているのかと考えていたのだが、そんなことはなかった。
恥をさらしたのは私の方であった。

18:30 松島海岸到着

そのまま三陸方面へとバイクを走らせた。途中で松島海岸に寄った。
松島といえば様々な形をした島と、松であろう。
松の木というのは東アジアにおいて演技の良いものとされている。そんな松がおもろい形の岩にバカほど生えている松島は、江戸の世からありがたいものとされ、とうとう「日本三景」と呼ばれるまでになった。
私はこのような松の機敏がわからない若輩者であるため詳しくは書けない。この松島は月見の名所でもある。松島の月は14世紀から文献に登場しているくらいで、その美しさはかのアインシュタインをもってしても「おお月が……」と語彙を失わせたくらいだ。

写真で伝わらないのが惜しいくらいである

ああ美しや松島の月。大仰な「さあ、感動しろ!」と言ってくるようなライトアップではなく、月光に照らされる松の木に機敏を感じ、心を揺らされる自分が結構好きだ。夜の海というものは、人工の明かりを照らすよりも、こうした自然な光の調和が一番映えるというものだ。
シャルル・アズナブールの"Hier Encore"を聞きながら、ゆっくりと海岸沿いを歩く。
若い頃を懐かしみ、そして過ぎ去った記憶を悲しむ美しいフランス語の歌詞。今の私は、未来の私が恥じるような人生を送っていないだろうか。「若い頃は良かった」と話す、普通のおじさんになりはしないだろうか。それはとても悲しいことだ。

つい昨日のこと 僕は二十歳だった 僕は時を浪費していた 時を止められると信じつつ そしてそれを取り戻そうと、先取りさえもしようとひた走りに走り、そして息を切らしてしまった

Charles Aznavour-Hier Encore  日本語訳

19:30 石巻市到着

しばらくバイクを走らせ、そのまま石巻市へ到着した。快活に荷物を降ろし、そのまま近くにあったスターバックスにてエスプレッソを頼み、一気に脳みそへ流し込んでインターンのエントリーシートを書いた。
まだ私は21歳だ。将来なんてこれから決めるべきことなのに、社会というものはそれを許してくれないらしい。「早く立派な社会人になれ」と急かすのだ。世の中に置いていかれないようただひたすらに走り、そしていつか息切れしてしまう。それはいつのことなのだろうか。
底知れぬ恐怖と寂寞感に苛まれ、しかし時間もないからひたすらに無心でエントリーシートを書き、提出した。
提出した瞬間にどっと疲れが押し寄せ、何も食べず、着替えもせずにそのまま失神するように床についた。

ちなみにエントリーシートを出した企業は受かってた。本選考で設けたが2次選考で辞退した。


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