伝えたい欲
そもそも、
何か伝えたい欲、って
「ある」フリをしてたことはあったけど
本当にあったのかってきかれたら、
今も昔も、謎かもしれない。
「私になりたい」
という自分探しのうちは、そこに依存していられたけれど、
そこがクリアになり次の30代を迎えるまえに、
また、社会の中の役割として仕事を選ぶ上で、
もう一度「なぜ」を考えてみてもいいのかもしれない。
今確信のある感覚。そこをもとにしてしまうと、
私は、極端な話、共演者もお客さんもいなくても
ひとりでも音楽を続けられることになってしまうし、
そこで完結しようと思えば完結も出来てしまう。
こまった。
この感覚に疑いをかけるのではなく、
むしろ、掘ってみるか。
しかし、
解り易いくらい透けて相手の心がみえるときって
映し出されているものも、結局「自分」なのかな。
(2011年4月4日 旧ブログ投稿記事より)
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