「上手く弾けても褒めないで」の真意
子供は親を喜ばせるために生きている
という言葉をどこかで聞いたことがある。
んなこたなかったぞオイラ、と思っていた。が。
case by 私。
子供の頃。
上手くヒケタ時に母に褒められると母に怒る習性(?)があった。
「上手く弾けても褒めないで!弾けなかった時がカワイソウだから!」
と当時の私は口を尖らせながらぷんぷくりん。
もちろん他の誰かやお客さんに褒められることは大好き。むしろ大歓迎。
ではなぜ母親だと怒ったのだろう。
上手く弾けなかったとき、親に怒られるのが嫌だったのか?
よくよく最近思い出してみると、そうではないことに気付いた。
褒められて嬉しい気持ちもなかったわけではない。
そして、怒られるのが嫌だったわけではなく、
ガッカリされるのが辛かった。
上手く弾けないと親がカナシム。(´・ω・`)
だから上手く弾けるように頑張る。(`・ω・´)
でもその本番一回上手く弾けるか弾けないかは
「どんだけ頑張ってるか」に必ずしも比例しない。( ̄口 ̄;)
確かに私も、小さい頃お母さんを喜ばせたくて頑張った。
その気持ちを思い出してあげたら、なんだかあったかく切なくなりました。
ピアノ業界の母子関係(父もあるかもだが)は複雑な話が確かに多い。
「音楽」そのものに罪はないのに、結果音楽を憎むことになるケースもある。
音楽を憎みたくなくて親を憎んだり、親を憎みたくなくて音楽を憎んだり、
どちらも憎みたくなくて、不健全なまま愛を演じたりもする。
私は自分のケースでしか語れないけれど、
これだけは思う。
色んなことがある世の中で、音楽が癒しや救いになることあっても、
戦いや憎しみの原因になることだけは、あって欲しくない。
そういうことが、あるのも知っている。だからこその願いかもしれない。
今日宇徳さんのライブ、とっても楽しかったです。
やっぱり私は宇徳さんの歌、大好き。
その中で「神様からのプレゼント」という歌があり。
『生まれる前から両親(おや)を決めた瞬間が神様からのプレゼント』
この一文が心に残り。
そして今日もライブには母が来てくれていて。
最近はクラシックでもポップスでも一ファンのように楽しみにしてくれる母が、
「今日も楽しかったよー」と褒めてくれて、
その言葉を聞いて、
昔よりも純粋に「嬉しいな」という気持ちと
いまだに「褒めないで」という気持ちちょっぴりと(笑)
そして昔褒められた時にはなかった「ありがとう」という気持ちに気付いて
こんなことを思った夜だったのでした。
あの頃とはまた違うかもだけど。
でも、親孝行したいなと、思うのです。
(2011年6月25日 旧ブログ投稿記事より)
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