出来ないことを克服する機会
今出来ないという状況を身近な人が許さないと
自らが出来ないことを克服する機会を奪われる
成長の始まりは、当たり前だけど、「出来ない」ことの自覚から始まる気がした。
しかも、本気で自分で実感しないと、効果がない。
「出来ない」 と「愛されない」がごっちゃになると
非常に面倒なことになる。
一見、「愛されるためにガンバロウ」と思う
↓
モチベーションとなり、成長スピードが早まったかのような錯覚になる。
↓
表面的に出来るようになったり結果をとれると、愛される、と感じてしまう。
しかし、ものごとの習得には時間がかかるものがたくさんある。
器用に真似っこ出来ても中身がスカスカだったり、
基本のないまま表面的に積み上げてしまってあとで苦労したり。
自分であーでもないこーでもないと考えあぐね、
色んな人のアドヴァイスを鵜呑みでなはく自分なりに落とし込み、
電球がぴかーんとなるような「分かった」瞬間を重ねかさね重ねて
少しずつ自分のものになってくる。
ここにはとっても時間がかかる。
周りからみていたら、いらいらするような時間のかかり方だったりする。
でも本人が自主的に、望んでそこに向かっていたとすれば
全くもって無駄な時間ではないと思う。
本質に興味を持ち出すと、本人が学ぶことが楽しくなるはずだと思う。
そして「愛される、愛されない」というトピックが
やっと、関係ないものになってくる。
出来なかったら相手にされない。現実に出ればいくらでもそんな状況はある。
でも、向き合う機会すら奪われたら、
結果的に成長が著しく遅れると、思う。
でも、誰かにその機会を奪われているのでなく、
その機会を掴みにいくことは、本人次第で出来るのかもしれないとも、思う。
(2012年12月31日 旧ブログ投稿記事より)
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