グルーヴの増幅

今日はRH。

いつも共演者様や機会に恵まれてると思う、自分。
上手いーとか有名ーとかでかい仕事ーとか、そういう話ではなくて。
なんかタイムリーにタイムリーな気付きがいつもある。
そしてその気付きは、「今」「この人」だったから発見出来たー!というものばっかりで、きっとこの共演が1ヶ月ズレていたら気付けなかったーとか、 対応出来なかったーとか。

で、今日はRH。今日の発見ポイントは「グルーヴの増幅」の感覚。
グルーヴを共有出来てる感覚っって、一緒に音鳴らしていてアンサンブル感覚を持とうとしている方なら、子供でも簡単に体感出来る。


ピアノという楽器の性質上、アンサンブル時には「伴奏」的役割にまわることが圧倒的に多い。上に乗っかるよりは、下から支える方。もちろん乗るときもあるけれど。

そして私自身はドラムベースレスのポップスを演奏することが多かったせいか、ひとりでそのリズム隊3人分のニュアンスを受け持つことが結構好きだった。自分の波次第で上もの楽器のヒトが泳ぎやすくもにくくもなる。「乗られてる感覚」「乗せてる感覚」そこではかる感じ。


今日、その感覚に、さらに新しい感覚があった。もちろん今までもなかった感覚ではないけど、最近興味持ってた分、よりはっきりと体感出来た。


初めから「乗せてもらおう」「乗ってやろう」と思うと、上に乗る時に、なにかおかしくなる。鍵盤ハーモニカアンサンブルをさせてもらう時に、いつも思う。この企画の良いところは共演者がお子様だったり生徒さんだったりする。だから上に乗っていながら、私の方で、下の波の作り方(?)を風吹かせて波起こしてあげながら自ら乗るみたいな感覚になる。もし初めから鍵盤ハーモニカの時はいつも自分が吹き易いヒトにしか伴奏してもらいませーーーんということだったら、ちっとも楽しくなかったような気がする。おかげで、ケンハモの時に関しては上にのるのであっても無意識に波発生装置の感覚を持てやすくなってきた。


そして、下にいるとき、上のヒトの回したい波と違ったらどーしようとか、思い出すともうまわらなくなって、テンポとか計り出すとびくびくしてきて、まわってないけれど「このセン!」という妥協グルーヴのまま曲が終わってしまうこともある。

体感速度は結構変わるもので、メトロノームいくつ、と言われてそのテンポを出したとしても、相手の気分や体調、心境で、「遅い!」「早い!」は簡単に変わる。びくびくし出すとますますわからなくなって相手の様子を伺うようになってしまう。

相手の様子を伺ってお気に召すテンポになるとOKが出るならそれでもよいが、その頃には回らなくなっている場合がある、妥協グルーヴ。

この場合相手もあるかもだけど、こちら側に圧倒的なグルーヴがないことがやっぱり問題なことが多い。最初の時点で顔色を伺っているのだから。気は「使う」と減ってしまう。上手な人は気を「配る」ことが出来て、もっと上手な人は気を「まわす」ことが出来る。なるほどと思った。

そして今日。ある程度自分の中の回転装置がまわっている曲で、不思議な体感。シンガーさんはあからさまにノリ乗りとかあからさまにグルーヴィーとか、消してそんなタイプではない。けれど、シンプルな声の中に、超圧倒的なグルーヴがあって、さらに、私の回転を打ち消そうというものではなく、逆に120パーセント感じ取ってくれた上で、どっちがどっちに乗るとかいうわけではない共有グルーヴがあった。引き出されるままに私もその回転の中に入れたとき、「あ。透明になった。」と思うくらいの共振。不思議体験の域。


受動と能動のゼロ領域。この言葉、大好きなのだけど、ここのゼロ領域って、ものすごく透明で広いんだなと思った。


透明になったときに一番存在が浮き出て来る。そんな歌。凄さが派手じゃないけれど、本当に凄い。

(2011年5月31日 旧ブログ投稿記事より)

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