はらわたの具合

今日本も地球も大変な時期の中で
全然関係ない超個人的なトピックにはらわたがぐつぐつと
音を立てているような自分をみて

それをなさけないとか、ばかみたいとか、
思わずにむしろガン見してみたいなとふと思う。

ここから目を背けるということは、
世の中からも目を背けることに、結局なる気がする。


そして、

はらわた煮えたとしても、その状況を客観視さえ出来れば、
その感情、状態は多いに利用出来る、成長出来るチャンス
な気がする。
歳を重ねると、いつのまに、ちょっとやそっとで
感情がぐらぐらしなくなるけれど、
そんな中で、むかっときたり、いらっときたり
思わず口から、言いたくない言葉を吐いたり
それは、チャンスなんじゃないかなって。


誰かにイライラするときは、
何かの因子を「自分」サイドが持っている。
その因子が「良い」「悪い」という話ではない。
ただ、因子は「自分」サイドが持っているのだ。
そのことさえ気付けたら、これはチャンスなのではと。

だいたい、自覚済みなんだ。
取組中でもあるけれど、少し時間がかかってるだけなんだ。
だから、その途中で、萎えるようなこと言われたくない、のが
きっと本音で、
でも、
要するに、他人に映るものも自分なわけで。


実感が持てるようになった。
それは大きな進歩だったかもしれないけれど、
もう一つも二つも先に行くには、
自分の実感だけではなくて、それが伝わらなくては
なんの意味もない、というところにくる。
実感なく、自己責任もなく
「伝える」が先に立っちゃうとおかしくもなるけど、

向き合う先に、伝えるではなく、「伝わる」に辿り着けるのだとしたら

向き合い足りないのかな。
悔しいな。
寝よう。 

(2011年4月4日 旧ブログ投稿記事より)

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