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音楽星

最近、音楽星についてよく思う。オンガクボシ。

地球みたいな惑星なのです。球体の。

で、地球のいろんな地方に人が住んでいて。
つまり球体のいろんな場所にぐるーーーーーっと
人が立っていて。


そう言う感じで


音楽星の球体の上にも
いろーーーーーんな場所にぐるーーーーっと
人が立っている。


日本と韓国がお隣の国で。
隣だから似ていることもあれば、
隣なのに全く違うこともある。


近くの国だから気候が似ていたり、
遠くの国でも何かの条件が似ていて共通点多い国もあったり。

その地方でしか観られない自然現象があったり。
ここでしかとれない資源、そだたない作物。


極端な話、「日本」ってくくるように「クラシック」とくくっても、
県民ショーじゃないけど、びっくりすることはいっぱいあったり。


クラシック国に生まれ育って
ちょっと「一時留学」みたいに他の国に行った、とか。


多分姉なんかも、ロンドンに留学して、今はロンドンに住んでいるけど、
帰って来たらロンドン人に変わっている、ということはなくって。
でも、ロンドンに住んでいる時には
日本から来た日本人としての、見えかた、感じ方があって。

グーグルアースとか、地図で厳密に現在地とかを数字で表せば、
オトナリサンとうちも、違う場所にある。


「へーーーー、そこからはそれが見えるんですね」
「ほーーーそこでとれる野菜、食べてみたいです!」
「一度よその国に行ったら自分の国がまた好きになりました」
「どこどこ地方に友達がたくさんいます」
「どこの国の文化は日本と近いです」
「日本語なまりですが、どこどこ語は会話くらいならできます」

そうやって、じぶんが立ってるところから見えるものだけが自分の音楽の世界と思っているところから、球体のある地点に立っているだけ、って思うと、知らないことって恥ずかしくないし、違いを否定し合う必要がなくなるし、自分がみずから動いて観ることできるものや得られる情報も一生かけたって一部分でしかないことがわかってくると、なんか、要らない感情がソギオトサレテクカンジがする。全部を把握出来ないし、きっとしなきゃいけないってこともないし、求めたい分だけでいいけど、でもその音楽星の大きさっていうか、球という形状というか、そこだけは、感じているなかで、今の立っている場所で誰もにその人だけに示されたものを受け取るという意味で、音楽受け取ったり還したりしたいなとは思う。

音楽に救われてるなって、音楽やりながら心底思う。
音楽そのもの自体は誰も傷つけない。
傷つけるとしたら、傷ついてるとしたら、
何かそこに介入混入されたものだ。
もしくは自ら持ち続けている因子。ヒトエキス。

自分はもちろん仙人でも天才でも神童でも神でもないから、
常にクリアで音楽に向き合えるわけではないし、
でも作曲家の過去話みても、極めて皆さん人間身たっぷりで。

うーーーーーーーーーん。


よくわかんないけど、時々、考え過ぎくらいに、考え込んだり、まわりくどいことぐるぐる言ったり、そういう自分に凹んだり、しても、結局音楽向かえば、そのときなりにやっぱり助けられちゃって、いいのかな。


戦う君の歌を、戦わない奴らが笑うだろう、ファイト!


このフレーズに、どれだけ助けられて来たか、わかんないや。


戦わない奴らって、別に他人じゃない、自分の中の自分。


戦い始めると、私、中学校の頃も二十歳も、三十路前も、
頭の中身、あんま変わんないや。笑


音楽星の中、他人と戦争するわけじゃない。

(2011年5月24日 旧ブログ投稿記事より)

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