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懐かしの洋楽特集

山ごもりからの帰り道で、合唱の合宿の伴奏に立ち寄った。本番は5月。皆様おひとかたひとかたが上手。伴奏しながらも「あのアルトの右側の人あそこの部分綺麗」とか、聴こえてくるから面白い。


と、そこに向かうまでの車での道中は父と二人であった。
BGMは数年前の父の誕生日に買ってあげた懐かしの洋楽CD5枚組。
これがどれも名曲ばかりで凄い。

だけでなく、みな、どうしてこんなうまいのだ。
何をもって上手いと思うか、の話なのかもだけど、
でも、上手い。みんな、おんがく。

時代が流れると、
同じジャンルを目指す人は上手いひとを真似る。
上手い人の歌をフェイクしていく。

すると、音楽から離れて行くのかなぁ。
いつでも「ゼロ」に対して新たに奏でて行きたいなぁと
思うけれど、そもそも私の演奏スタイルでもある
クラシック曲をアレンジ、なんてまさに
元にある音楽のフェイクだよなーとか思ったり。凹。OTL。


あれあれ、では、その私が「元」と思っているスタンダード音楽って
本当に純粋「ゼロ」から産まれたのかな?と思ってみると、
それまでの芸術を学んだ上で壊していったものが時代の最先端だったり、
当時は斬新過ぎて批判された物だったりして、
あれ?あれれれ。

いつの時代の曲でも、どのジャンルでも、
奏でるのは「今」なので、それはかえようがない。
だったら逆に、それを受け入れて、生かして行った方が
きっとラッキーハッピー。


そうなると、「空間軸」と「時間軸」とのアンサンブル。
に自分なりに辿り着く。
お手本の演奏とか、理想の演奏とか、憧れの演奏とか、
そこに対してはもらせて行くのも大アリだけれど、
いつも自分なりの「ゼロ」を感じた時に
見えて来る「有」とはもらせると、
有るべき場所に音を還してあげられる感覚になる。


合唱って面白かった。
次のあわせまでに、試しておきたいことが見えた。

(2011年4月3日 旧ブログ投稿記事より)

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