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やっぱり耳なんであって

この「耳の位置」の話を、他人に説明するのはすごく難しい。

個人的には、階層があるような、なんだか不思議な感じで、
離れるほど深くなる。
それは「自分」が音楽の方向に入って行っちゃうのではなく、
客観的な方向に離れて行く程、
音楽の深さに気付いて結局、
自分ではなくて音は深く入って行くような。

イメージはエヴァの
あの長いエスカレーターもしくはエレベーターで、
それを引きの絵でとっているような、

こんなにジオフロントは深かったんだ、天井高かったんだ、
みたいな。

これは全体的な耳の話。

あとは耳を発音の時系列上の「どこ」を追い続けて音楽を進行させるか。

発音直前の子音の質感なのか、
語尾のいちいちデクレッシェンドする減衰音の切れ目か、

一番あいたたたな耳になっちゃうのは、
譜面的オタマジャクシの打鍵タイミングを追って行くパターン。
どんどん弾いていてつらくなる。
それは音がひとりぼっちになっちゃうからだと思う。

単音を追って行くのは
appleをアップルと発音せずえーぴーぴーえるいーと言うくらい
おかしい。が、
残念ながら日本人はその言語の影響もあるのか、、、
(ひらがなは一文字一音。そして必ずその読み方しかない)

えーぴーぴーえるいー耳に陥り易い。むーん。
私もぼーっとしてると陥ってしまう。
その穴には落ちたくないのに。


その時にうまく利用出来るのが、
まず拍子、まず和声。
その大前提があった上で、
そこに対してリズムとメロがどうなってるか。


こうなると音楽的解釈の話にもなってくるけど、
単純な耳の位置の話でいうと、
なんとなく、出してすぐの音で判断しようとすると、
和音もまだぜんぜん馴染んでない頃ではもってないし、
料理で「塩振りました」「醤油入れました」の直後で
味見しようとしているくらい、へんちくりんな気がする。
まぜてまぜまぜまぜまぜする時間。まぜ具合、まぜ時間。
それにもよるし、
混ぜたあとの味の味見、という聴き方ではなく、
「これから混ぜようとしているものをちょっと味見」
という、全体に混ぜる前に耳を使う(発音の瞬間とか)
っていう手もある。


ようするに、どれかの耳だけだと多分どの曲弾いても全部同じ感じになっちゃうので、場所場所によって、その耳を使い分けることが、曲によっての色出したり、音色になっていったり、立体感になるのかしら。

みみみみみみみ。と思って弾いてて、ふっと「手」って思うと、いやーーーーなんで何も考えてなくても指動くんだろおもしろいーーという不思議な気持ちになる。でもよく考えたら。料理するときに、味のこと考えても、お玉を握る手の角度とかって、考えたりあんましないよなーと。もちろん、余計な力みがあっったり、これは悪影響っていうことをしないための意識とか、千切りするときの手のコツとか、そういうのはあるから、もちろん技術といういみでは大事だけど。味。って思うと面白いな。しっくりくる。


料理もがんばってみようっと。。。

(2011年4月9日 旧ブログ投稿記事より)

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