![20181208榊](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/8846221/rectangle_large_type_2_5e571df88dd86f8e9a27bc9c1b9a9f38.jpg?width=1200)
おばあと榊
昨日は旧暦の11月1日。
出勤前朝早く榊とりにいった。
お向かいの88歳のおばあが、旧暦の1日と15日に
集落の神様に榊を供えるのである。
ちょっと前までは、その辺ですぐに榊がとれたらしい。
移住して数年のわたしですら
おばあが歩いて榊とりに行っていたのを知っている。
ところが、○○集落の○○さんが、そこらの榊を切って
街で売るようになってから、
この辺の山の榊がぜんぜんなくなったという。
一度おばあと一緒に榊探しにいったのだが
切られた後の太い幹だけが残っているのをみつけて
悲しい気持ちになった。
なにもこんなに根こそぎ切らなくったっていいではないか。
「なんでこんなにとる?いっぱいあったのに!」
とつぶやくおばあ。
街にいってお金をだせば簡単に手に入るのだが
おばあは意地でも買わない。
どうしてもみつからないときは
神様に謝ってつばきの枝をお供えしている。
最近はちょっと斜面を登ったところに
人間でいう幼児くらいの榊をみつけたので
お供えしている榊が枯れてきたら
その小さな榊からほんの少しの枝を
いただくことにしている。
必要な分だけ山からいただいて
充分足りていたものが
お金になるからと根こそぎとられて
なくなってしまう。
循環していたものが
いま目の前でこわれてゆく。
やるせない気持ちになるけれど
お金でまわる社会にくらすわたしたち。
こわれていないもの
いまあるものを
手のひらにすくって大切に暮らしてゆきたい。
それができる余裕を
持ち続けられますように。
どうかどうか。
パンパンと
神様にお参りするのである。
*ふやよみ あおきさとみ*